八犬伝第四集序文
犬が夜に家を守るのは、その本性なのである。主人を敬い、主人を識るのもその本性である。
ことわざに言う、悪人の盗跖を吠えるのも、聖人の堯も吠えるのも、それは犬の罪ではない。犬は相手が善人か悪人かに関わらず、見知らぬ者を吠えるものなのだ。
それと同じく家臣や家の子の心が乱れた場合においても、よくその職分を守り、私心がないことこそ、この犬と同じようにあるべき姿である。
なぜなら、古代中国の殷の時代において、殷の三賢、微子、箕子、比干は、周の西伯こと武王には忠義を尽くさなかった。
しかし周は、あえて彼らを罪とはしなかった。
ゆえに孔子いわく、君主が君主らしくなかったとしても、家臣は家臣でなければならない。
父が父らしくなくても、子は子でなければならない。
恐らくこれは、殷の三賢のうち、最後まで殷王に忠義を貫いた比干や箕子などのことを言ったのであろう。
これを見ると、その性質が優れている点においては、犬といえども人間と異なるところはない。
ああ、人の世には、君主から禄を受けながらも、父母を心配させ、夫婦が互いに憎しみ合い、兄弟が敵となり、古くからの友人を遠ざけて新しい者に媚び、騒々しく吠えたて、がみがみと騒ぎ立てて私利私欲に走る者たちとは、大きな違いがある人がいる。
まことに、国に賢い宰相がいる時は邪まな家臣がいなくなる様に、家に良い犬がいる時はこそこそと盗み見をするような不届き者はいなくなるものだ。
このようにして、周囲の人々は努力せずとも守られ、隣近所の人々は枕を高くして安心して眠ることができるのものだ。
これこそが、私がこの八犬伝を書き、道理を知らない人々を目覚めさせようとするところであり、また、義の精神をここに取った理由でもある。
この物語は多くの巻数になり、すでに世に刊行されている。
また続きを編み、このたび第四集にまで至った。
刊行するにあたり、出版元の山青堂がしばしばやって来て、序文を書いて欲しいと非常に急かすのである。
各集にはすでに自ら序文を書いているので、今さら断ることはできない。
よってこの数行を書き添えることで、彼らの要求に応えることにする。
1820年文政三年庚辰の冬十月、著作堂の西側の部屋、山茶花が咲いている場所でこれを記す。
飯台 曲亭蟫史

犬田小文吾
板扱均太(いたごきのきんた)、牛根孟六(うしがねのもうろく)、塩浜鹹四郎(しおはまのからしろう)
小文吾VS悪童トリオ(?)
悪童トリオの名づけは、大塚の三悪太郎みたいにちょっと安直チック。
1対3の取組みは、三国志の呂布VS劉備、関羽、張飛か( ゚Д゚)
修験道観得(しゅげんどうかんとく)、山林房八郎
彼らについて書くとネタバレになるので、ノーコメント(笑)
でも、山林房八郎さんは堅気っぽくないですね。ん?卒塔婆を持っているのかな?

沼藺(ぬい)、大八
沼藺ちゃんは若妻、ちょっと色っぽいのです。大八についても、ネタバレになるのでノーコメント。ただ言えるのは、左手がポイントかな。
戸山妙真(とやまのみょうしん)、大先達念玉(だいせんだつねんぎょく)
妙真さんもまた色っぽい熟女(笑)。男を惑わすのです(´・ω・`)
念玉さんもノーコメント。法螺貝を持ってますかね。

古那屋文五兵衛
文五兵衛さん、今回活躍しますよ~
背中の文字がさっぱり読めません。お遍路さんっぽくもあるのですが。
そして空に何を見ているんだろう?
簸上杜平、新織帆大夫
悪代官の弟(笑)と古河公方の部隊長です。
新織さんが持っているのは首桶かもしれません。
昔の人は言っている、禍福はあざなえる縄の如く、人間万事塞翁が馬。人生で何が幸福で何が不幸かは、後になってみないと分からないものだ。
そして幸福の寄る場所、あるいは不幸が隠れている場所、それがどこにあるのだろうと思ってみても、誰が良くそれを見極めることができるだろうか。
憐れむべき犬塚信乃は、親の遺言と形見の名刀のことばかり考えていて、普段から身に着けていた。艱難辛苦の中で年月を経て、ようやく得がたい時を得たことにより、何とかはるばる古河へやってきた。名を上げて、家を再興するためだったが、その幸福は今は禍となってしまった。それは取り換えられた村雨なのである。
刃は元のものではなく、我が身を激しく裂こうとする仇となり、事情を釈明することもできずに意外な展開になってしまった。
どうにか当座の屈辱を避けるために、数多くの囲みを切り開いて、芳流閣の屋上によじ登ってはみたが、どこにも逃げられるところもなく、ここに死を覚悟した心のうちはどうなっているのか、考えるだけでも痛ましい。
そしてまた犬飼見八信道は罪も犯していないのに、ここしばらくの間獄舎に繋がれていた。
その禍は今は恩赦の福となり、自分を監禁していた縛めが解かれて、しかし人を捕えねばならない役目を与えられて、あの犬塚信乃を捕まえろとなまじ選ばれてしまった。
他の者の憂いを自分の手柄にせよ、ということは喜ばしいことではない、と思うものの、断ることは許されるはずもなかった。
君命は重く、そしてはるかに高く、今、目指す楼閣も高く、三層であった。
その二層の軒の上まで身を隠しながら登ってみると、足元は遠く、雲は近く、照らす日差しは激しく耐えがたいものがある。
今日は六月二十一日、昨日も今日も空気は乾き、蒸していた。火照りを伝え熱を伝える屋根の敷瓦は、凹凸のうねりは隙が無く、波に似てさえいる。そしてこの楼閣の下には、滔々と流れる大河があった。その大河はこの迷い苦しむ現世の生き死の海に流れていく。
流れる大河の名はその名も坂東太郎、川の水際の小舟はすでに舵を失って、進むも退くこともできない。頭上の敵である犬塚信乃が追いつめられたかの様である。
敵であるならば、どうにかして船を繋ぎ止めるかの様に捕まえてみせようと、むささびが枝を伝わる様にするすると登っていく。
登り果てた屋根の三層には視界を遮るものは何もなく、二人が互いに隙を窺いながら、にらみ合って立つ有様は、仏塔の上にあるこうのとりの巣を大きな蛇が狙っているかの様である。
下の広庭では足利成氏卿がいて、横堀史在村たちの古河公方の老臣から若党までがその周囲を取り囲み、床几に尻を掛けて、勝負がどうなるものかと見上げている。
また屋根の東西には、武装した多くの士卒たちが槍、薙刀を煌かせて、あるいは弓矢を構えて、もし二人が組んで落ちて来るようであれば討ち果たそうとして、首を上げて見ていた。
芳流閣の外では、途切れることがなく遥かなる大河の水が巡っていて、水際を浸している。
もし信乃が力が衰えることなく無事に見八に勝ったとしても、古代中国の墨子が作ったという木製の鳶でもなければ、虚空を飛ぶことができまい。また同じく春秋戦国時代の魯般が作った攻城用の雲梯でもなければ、地上に降りることはできない。
鳥ではないが、信乃は網に入ってしまったのだ。獣ではないけれども、狩場にいるのだ。
命が絶えてしまえば、すべてのことが終わってしまう。逃げ切ることはできないだろうと思われた。
その時信乃は思った。
初層二層の屋根の上まで追いかけてきて、登って来ようとした武士たちを蹴散らして落とした後は、絶えて近づいてくる者はいなくなった。
しかし今ただ一人、登って来るものがいる、あれはきっと有名な武芸者なのだろう。
奴は、欽明帝のころの膳臣巴堤便(かしわでのはすひ)が虎を退治したほどの勇者か、鹿の角を引き裂く怪力で知られた鎌倉の富田三郎親家ほどの勇者か。
とにかく一人の立派な敵だ。組み合って刺し違えて、死ぬことなど難しいことではない。
良き敵であろう、これこそ相手にとって不足はない。眼にもの見せん。
信乃は持っていた血刀を袴の隅で拭ってから、高瀬舟の様な屋根の天辺に立って、近づいてくる敵を待った。
また近づく見八も思った。
あの犬塚の武芸と勇敢さは、誰も敵わないほどの桁外れの強さである。しかし捕まえられずに、他の人の助けを借りるようなことでもあれば、獄舎の中からこの役目に選び出された甲斐もない。
捕まえるとも、仮に討たれようとも、勝負は一時で決するだろうと思った。しかし逡巡はせず、
「ご命令である」
と呼び掛けた。
持っている十手を閃かし、屋根の左から飛んだ様に登り進んだ。
見八が組もうとしたが、信乃はそれを寄せつけずにただ短く、
「心得た」
と鋭い太刀風で打ったのを受け止めて、見八が払えば、すかさず切っ先を突き刺す。
それを支えて受け流す一挙手一投足、滑る瓦の甍を踏み込んで、しきりに繰り出す捕物術の秘技、しかしそれにも劣らず信乃の熟練の働き、上段からの太刀筋を外す虚々実々の駆け引きに、なかなか勝負の行方が分からない。
下の広場の主従士卒は手に汗を握らない者はおらず、誰もが集中して瞬きもせず、遥か下から見つめていた。
そのうちに犬塚信乃は、見八が侮ることのできない武芸の技量の持ち主であると気づくと、戦う勇気が増して、刀の切っ先から火花が発するまで寄せては返す太刀の音に大きな声を上げた。
二匹の虎が山奥に挑む時には強烈な風が吹き、二匹の龍が深く青々とした湖の底で戦う時には突然雲が起こるのも、この様なことなのだ。
春であれば山の霞か、夏であれば夕方の虹を眺めることのできるとても高い楼閣の棟にて、互いの死を争う様子は、未曾有の晴れ舞台でもあった。
着込みの鎖と籠手の端が突き破られるまでに裂けてはいたが、見八は太刀を抜こうとはしなかった。信乃も繰り出す刃が続かず、最初は浅傷を負っていたが、次第に身体のあちこちに痛みを感じるまでになっていた。しかし高い楼閣の足場を気にして、油断せずに動こうとはしなかった。
そんな信乃が畳み掛けて撃つ太刀を、見八は右手に受け流して、やっという掛け声とともに返す拳で眉間を狙ってはたと打つ。斬撃を十手で受けると、信乃の刃が鍔の際から折れてしまい、遥か遠くに刀身が飛び失せてしまった。
見八は今こそとやったとばかりに素手で組み、そのまま左手に引きつけた。互いに利き腕でしっかと掴み合い、相手を捩じり倒そうと、えいと声が同時に出た。
揉みに揉み合っていくうちに、力を込めていた足が屋根を滑って、二人は端の方へころころと身体を転ばせていく。まるで引っくり返った大八車の俵が、坂から落ちていく様であった。
高低が険しい楼閣の屋根を飾る甍の勢いは激しく、二人は止まる訳もなかった。互いに掴んだ拳を緩めず、何十尋もある屋上から落ちていった。
【犬飼見八、犬塚信乃、文五兵衛】

芳流閣で死闘を繰り広げる信乃と見八。
見八の身体のバランスがおかしいような?左手は十手かな。
信乃も軟体動物の様に身体を捻っていますか?
刀もちゃんと折れています^^
一方、何か悩みながら釣り道具を持った文五兵衛さん。
しかし遥かなる河の水底には入らず、ちょうど水際に係留してあった小船の中へ重なって、どうと落ちたのである。小船は大きく傾き、激しい波にざんぶと音がして水煙が上がった。船を繋いでいた綱が切れて、射られた矢の様に小船は河の中へ吐き出されていった。折しも追い風と引き潮に誘われて河を下る船は、行方知れずになってしまうのだった。
思い掛けない結果に古河の武士たちは皆騒ぎ出し、どこだ、どこに行ったと大きな声を出す。楼閣の途中にいた士卒だけが、窓からこの光景を良く見ていたので、やがて次々と報告するに至った。
古河公方の足利成氏は報告を聞いて怒り、かつ疑い、すぐさまみずから芳流閣に入って窓から見下ろすと、最近漁のために繋いでいた一隻の早船がないことに気づいた。ただ切れてしまった綱の残りだけが、岸の杭に残っている。
しかしここで諦める訳にもいかず、横堀在村は命令を伝えて、急いで水門を開かせて、用意を整えた早船四五隻に士卒を乗せる手配をした。
そして自分自身も船に乗り、櫓を連ねて舵を取り。飛ぶ様な速度で追い掛けてはみたものの、もうしばらく時間が立っていたためか、二三里(8~12キロ)の間には影も姿も見ることができず、痕跡すら見当たらなかった。
この河は流れが一つのため、うかつに他領に入って人を捕えるのはさすがに良くない、と古河にて権勢を誇る横堀在村は考えた。今更に打つ手立てもないまま、怒りの矛先を移して士卒を罵り、そこから船を返して城に戻る他はなかった。
そして古河公方足利成氏の前に出て、こう言った。
「犬塚信乃と犬飼見八が落ちた船を追うことはできませんでした。しかし彼らは数刻の間戦い、苦戦して大分疲労した挙句、あまつさえ高い芳流閣の棟から組み合ったまま持ちましたので、肉を破り骨が砕けて、死を免れることはないでしょう。そうは申上げましたが、確かめない訳には遺恨になると思われます。利根川の川下は、葛飾の行徳の港に出ます。そこから南は安房上総、北は武蔵の江戸、芝浜、あるいは水戸の港銚子口、半ばお味方の土地でございますので、捜索するのに利便が良いところです。再び士卒を遣わして、水陸ともに捜索すべきと考えますが、いかがでございましょう」
足利成氏はそれを聞いてうなづいた。
「お前の心配、私もそう思う。しかしたった一人の曲者のために、近在を騒がせてはならぬ。もし騒がせてしまうことがあれば、それは古河が侮られることのきっかけになってしまう。 万一他領に入ることがあるのならば、密かに行方を尋ねて、犬塚信乃がもし存命であれば計略を巡らせてこと穏便に捕まえよ」
主君がそう急がせるので、横堀在村は、心得て御前を下がることにした。
そして早くも古河の武者頭、新織帆太夫敦光(にいおりほだゆうあつみつ)を追手の大将と選び定めて、君命を申し伝えた。
横堀在村はこう述べた。
「曲者犬塚信乃の顔形は、貴殿も良く知っているな。またその武芸の早業もまた貴殿が良く知っているところだ。したがってこれは容易な捕物ではない。力を以って制するより、知略を以って謀ることが良いと思われる。例え奴が船中で死んでいたとしても、その首さえ持って御前に捧げれば、必ずや大きな手柄となるだろう。日が暮れて夜中になったとしても、急いで道を行け。遅々として罪に問われてはならん」
と厳しく命じると、新織帆太夫は承知して、何の文句も言わずに、急いで旅の支度を整えた。日が西の山に傾くころ、三十人ほどの部下を率いて古河の城下をあちこち歩きながら、坂東河原の下流に沿って葛飾の方へ向かって行った。
ここにまた下総の国葛飾郡、行徳という入江橋の橋詰に古那屋文五兵衛という者がいた。彼はこの土地に昔から住み着いている旅籠屋の主人である。
妻は一昨年前に亡くなり、子供は二人いた。
長男の名を小文吾と言う。今年二十歳になり、身長は五尺九寸(約179cm)、筋肉は固く、骨も逞しく、力は百人力にも匹敵するなどと言われている。またその器量はその辺の者とは違って、性格は武芸を好み、子供のころから親にも隠れて、また友からも離れて、師匠について技を磨いていた。剣術、拳法、相撲まで習って会得していた。
その次の子は女子であり、十九歳である。その名を沼藺(ぬい)という。この子は十六歳の春のころ、隣の郷の市川の船長、山林房八郎(やまばやしふさはちろう)という若くて壮健な男に嫁いで、その年の終わりには早くも男児を産んだ。その子は大八と名づけられ、今年四歳となる。
さてこの古那屋文五兵衛は金儲けのことには疎く、家は富豪ではなかったが、足ることを知っており、無駄に衣食の欲もなかったので、暇な時には良く入り江で立ち釣りをしていた。釣りがこよなく楽しみだったのである。
時に1478年文明十年六月二十一日、この浜辺にも牛頭天王を遷して祭る催しがあり、日が川と山に落ちるころから里の者、港の者が入り混じって、船に神輿を乗せて浜辺から沖までを漕いで廻るのである。
笛を吹き、太鼓を叩き、賑やかに踊っては、きちんと疫病神を祓い、あるいは海の幸を祈り、行徳の塩田の収穫を祈り、これは土地の恒例なので、家ごとに酒を出し、祭りを楽しんで遊ぶことに夢中になるのだ。
しかし文五兵衛はそれには加わることもなく、旅籠の仕事があるので、昼間は特にすることもなかった。祭礼は夕暮れからなので、うつらうつら昼寝をして待つのも無益だと考えて、少しでも楽しむために、釣り竿を持って独り入り江に立つことにした。
葦を地面に敷いて座り込み、餌を針に刺して降ろしてはみたが、時刻は七つ(午後16時)に近づいており、引き潮の最中であったためか、小さなはぜの一匹も釣ることができなかった。しかし釣りをすることが好きなので、その場を離れるつもりはなかった。
夏を忘れる様な浦風が吹き、葦の葉がそよいで、夕方の太陽の影を乱す。水際や空を走る船の帆を磯の水鳥が飛び、海と山の雲に入っていく。
入り江に向かって、石に座る時、すべて万事は無心になる。竿を上げて釣り糸を垂らす時、天子を補佐する三公の地位にも代えがたいと昔の人が言うのも良く分かる。
水面で一つの波が起きると、それが周囲に広がり、他の波もその影響を受けて揺れ動く。細かい波紋が起こって、大きな魚がいることが分かるのだ。
釣の楽しみはまだ途中である、と文五兵衛が思った時、水面を見ると、見慣れない船が潮に引かれて、波に揺られて、川上から流れて来た。やがて澪標にせき止められて、呼んでもいないのに、こちら側の岸に流れ着く。
覗き込むと、船の中には二人の武士がいた。しかし二人とも倒れていて、まるで死んでいるかと思われた。
この様なものをここいらに置いておけば、災いになるに違いないと文五兵衛は思った。竿を握り直して船を流そうとしながら、武士たちの姿をよく見てみた。
一人は茶褐色の麻衣に、明るい藍色の袴は裾を上げて脛を現わしている。髪を乱して歯を食いしばり、左の肘と右の腿に浅傷の傷が二か所ある。
またもう一人の武士は細かい鎖のかたびらを着込んでいて、平金の籠手に亀甲が入った脛当てを身に着けている。ところどころを切り裂かれて、こちらも左の肩先に浅傷の怪我が一か所あった。月代の跡が長く伸びて、髪の元結いがちぎれて顔に髪が掛かってしまっている。しかし右の頬に痣があり、その形は牡丹の花に似ていた。
どこかで見憶えのある人だと文五兵衛は思うと、このまま捨ておくこともできず、ことの成り行きが怪しくなってきた。うち騒ぐ胸を静めようとしながら、川の水に流れていく綱に釣り竿の針を引っ掛けて、手元に引き寄せた。そして水際の石に繋ぎ留めて、その船に乗り移って、見覚えのある武士の顔を良く眺めた。
見れば例の武士の息は絶えてしまった様であるが、死ぬような深手の傷は見当たらなかった。船上で人と戦って、二人とも共に切り倒されてしまったか、そうでなければ二人が互いに戦って、共に相打ちになってしまったか。
どうにか呼び起こしをして、ことの次第を聞くしかない。
文五兵衛は頬に痣のある方の武士を抱き起して、介抱しながら声を高く呼び掛けたが、息が返らない。仕方なく武士をまた横にして、旅籠に戻って薬でも取ってこようと立ち上がった時、思わずもう一人の倒れていた武士の脇腹をしたたかに蹴ってしまった。
それが息を吹き返す死活の法に適ったのか、すぐにうんと唸って、身を起こすと同時に辺りを見回して、
「ここはどこの国の港でしょう。あなたはどなた様でしょうか」
そう問われた文五兵衛は、驚きながらも、膝を打って起き上がった武士の顔を良く覗き込んだ。
「もう一人のお方に見覚えがございまして、呼び掛けていましたが、起きてくれませんでした。そして見知らぬあなた様が生き返りなさったのです。ここは下総葛飾の行徳の入江です。私は里の旅籠屋、文五兵衛と呼ばれる者でして、ここの葦原に釣りをしていましたら、この船が流れ着いたのです」

江戸時代ですが、古河と行徳の地図です。場所をイメージしてみて下さい。
網乾が目指した(?)板橋も記載されています。

もうちょっとリアリティのある地図。
青色の古河から赤色の行徳までどんぶらこ、どんぶらこと流された訳です。
銚子の方へ流れなくて良かったね、信乃ちゃん。

行徳の拡大図。海には面していていません。
文五兵衛は、話しているうちにもう一人の武士のことを思い出した。
「あの頬に痣のあるお方は、古河の御所に仕える犬飼見兵衛様の一子、見八信道殿です。以前から知っておりましたので、放ってもおけずに船を引き寄せて、何とか介抱している間に、意外にもあなた様がまず生き返ったのです。古河の同じ藩のお仲間でいらっしゃいますか。船の中で倒れて、ここまで流れて来たのは何か訳があったのでございましょう、お話し下さいませんか」
文五兵衛が言えば、生き返った武士はため息を吐き、口を開いた。
「後難を憚って、仮にも嘘を偽り、話を飾ろうとするのは、武士たる者の本意ではありません。本当のことを申し上げましょう。私は武蔵の江戸に近い大塚村に由緒のある郷士、犬塚信乃戌孝という者です」
信乃ももう本当のことを言うしかなかった。
「祖父匠作三戌は足利成氏卿の兄上であらせる春王安王にお仕えし、結城にて討ち死にいたしました。父の犬塚番作は深手を負って歩くことが適わず、廃人同様になってしまったので、旧領大塚村に退隠し、齢四十五歳の時、1470年文明二年に身罷りました。その時私は十一歳、腹黒い伯母と伯母の夫の家に住み、年が経ったので親の遺言がございましたので、この度古河へ向かったのです。公達の形見である村雨の名刀は祖父匠作から相伝して、私まで三代に及んでいます。時が来れば古河殿へお返しせよ、と言われた親の遺志を継ごうとずっと守って腰に離さずにおりました。ようやく時節を得て、はるばる古河へ持って来たのですが」
信乃は今までのことを思い出しながら話し、そして起きた事件を思い返しながら続けた。
「ところが、その宝刀は余人によってすり替えられていたのです。刀を見参する日に気づいたものですから、それを訴える暇もなく、敵方からの間諜と疑われてしまったのは、我が身の薄命、虚実も確かめようとはせず、ただ疑い深い横堀在村の命令に従う士卒数十人が私を生け捕りにしようと群がったのです。私もおめおめと手をこまねいて捕縛され獄舎に繋がれて、無実の罪に命を落とすことになれば、我が身のことだけではなく、父祖の名を汚すことになり、と思って危機から逃れるためにやむを得ず戦って、広庭に走り出た後は、軒から軒に伝わって、とても高い屋根の棟に登りました」
言わずと知れた芳流閣である。
我ながら怖いもの知らずと思いながら、話を続けた。
「しばらく息を吐いていると、この犬飼見八とやらが、あなた様の話によって名前を知りましたが、ただ独り追い掛けてきました。しばらくの間、戦い、私の太刀がとうとう折れてしまい、組み合って揉み合う間に、二人とも足を滑らせて、取っ組合いながら大河の岸に繋がれていた船の中に落ちてしまったと思うのですが、その後のことは分かりません」
信乃は首を振った。
「私もその人も気を失ってしまい、どうしてここに来たのかが良く分かりませんが、今から思えば落ちた時に船を繋いでいた綱が切れてしまい、潮のままに流されたのでしょう。不思議と言えば、それだけでありませんが」
信乃は不思議そうな顔をして、見八の方を見た。
「初め戦った時にはまったく気がつかなかったのですが、今見八という人の顔の痣が、牡丹の花に似ているのを見ました。思い当たることがあるのです」
かつて弔った年老いた友人のことを思い出したのだ。
「我が故郷の大塚に、糠助と呼ばれたとても貧しい百姓がいました。私の父が亡くなる時に近所に住んでいたひとなのですが、何かにつけて親身にしていたのです。父が亡くなった後には、私が孤児になったのを憐れんで下さり、真心で接してくれましたので、私も精一杯誠実に応えたつもりです。そしてその糠助は去年の七月のある日、流行り病で亡くなりました。私は時々少しばかりですが薬代を贈って、老病と貧苦をお助けしたことを恩に感じ、義を頼みとしたのか、臨終で話されたことがあるのです」
信乃は威儀を正して続けた。
「この様なことを言われました。糠助が安房を追放されてしまったころ、行徳の入江橋にて、赤ん坊を抱きながら身を投げようとした時、武家の使いの方に止められたのです。そして諭されて、求められるままに任せて、わずか二歳の子をその人にお任せしたと言う様なことを話してくれたのです。その時、武家のお使いの方は、足利成氏卿の家臣と聞いただけで、名字を聞かず、糠助もまた名乗らず、そのまま別れたそうです。これだけであれば、親子再会の手立ても何もないようですが、糠助の子の幼名は玄吉と名づけました。そして」
文五兵衛は夢中になって話を聞いている。
「その子は生まれながらにして、右の頬に痣があって、牡丹の花に似ているというのです。今この犬飼見八の痣も牡丹の花の形、符節が合っているのではありませんか」
ううむと文五兵衛は唸らざるを得ない。
「それだけではありません、糠助の子供を養うことにしたその武家の使いの方は、君命を受けて安房の里見家に向かう途中で、使いの帰りでもなければ、赤ん坊を連れて行くことができない。この辺りには定宿があり、そこの主人に良く言っておくから、そこに預けて欲しいと言ったそうです。帰りに引き取ると最後に言われたのです。あなた様はこちらの旅籠屋ということですから、この犬飼見八を以前からご存じというのは、このことではありませんか。この他にも何か証拠になる様なことがあるかもしれませんが、こちらの犬飼見八本人以外には、誰も知らないでしょう」
しかし一転して信乃は悲しそうな顔になった。
「私の祖父は鎌倉の故足利持氏卿の旧臣です。糠助はこのことを良く知っていたので、古河殿のところへ行くことがあれば、その子は今も古河殿のお身内にいるかいないかを尋ねて欲しいと言いました。遺言を遺した人の親愛情誼に、私は感動しましたので、他人ごととも思えませんでした。この度古河へ行くからには、親と友の遺言を果たそうと思いましたが、持参の宝刀が返って仇となってしまいました。昔の人は言ったものです、玉を抱いて罪なく咎あると。つまり、身分不相応なものを持つと、とかく災いを招く、ということです。そのせいで、この悲しい思いをどうすることもできません。探していた人ではないか、とふと思いながらも、思わず組み討ちをしてしまった。そして私だけが生きて、その人は死んでしまいました。私の親には不孝となり、友の糠助には約束を違えてしまったと同じことです。ただ、運命の行きつく先を知るべきでした。私の身の上はこんなものです」
信乃は一度言葉を切ってから、また続けた。
「裁きの庭へ引き出されるのであれば、従いましょう。とにもかくにもここの土地の法に任せて、私をお裁き下さい」
あくまで覚悟の言葉はさわやかであり、くじけない勇士の面魂である。それを見た文五兵衛は感動して、思わず膝を叩いてこう言った。
「ああ、あなた様は親孝行の気持ちを忘れずにいて、また正義の人です。裁きの場など連れていくものですか、ここの法にも従うものですか。今あなた様が話された物語には、私も納得することがあります。糠助さんと呼ばれた方の名前は、夢にも知りませんでしたが、古河の御所のお使いの犬飼見兵衛様は、安房の里見殿へのお使いに行かれる度に行きも帰りも我が家を定宿にされていました。今から数えれば十七八年、早や十九年の昔のことになります。そうです、例の見兵衛様は、ほらあちらをご覧下さい」
文五兵衛は川に掛かる橋を指し示した。
「あそこの橋の近くで、飢えて疲れ切った旅人が、幼児を抱きながら身を投げようとした時、橋を渡ってお止めしたんですよ。親の方にはいささかの路銀を渡し、その幼児をお引き取りになって、また宿へお戻りになって、その子を預けて置かれたことがあったんです。うちの家の小文吾が生まれた次の年ですから、私の妻の乳もそれはもうたっぷりと出ていましたので、分けてやり、育て甲斐がございました。その子は良く肥えたものです」
昔を懐かしんだか、文五兵衛は眼を細めた。
「その後一か月余り経ちましてから、犬飼見兵衛様がまたここに来て、赤ん坊をお迎えになったのです。それ以来仲良くさせていただきまして、年始に手紙の文を取り交わす様になり、お互いの消息を知る様になりました。子供の安否を問われ、またこちらからもお聞きして何年も経ってしまいました。一昨年秋ごろ、犬飼見兵衛様がまた里見殿にお使いをお受けなされて、そのお帰りになる時に子供とともに我が家にお泊りになりました。その時に言われたのが」
私はすでに老いてしまい、もうこれ以上長く役儀を勤めることが出来ない。
従ってせがれの見八に見習いをさせようと思って、横堀殿にお頼みして、従者として連れて来た。
本当は、ここまで育ったことをあなた方ご夫婦に見せるためだ。
子供のころから武芸が大分好んでいたので、若いころから二階松山城介殿の教えを受けて、弱輩ながら抜きん出た高弟と称される様になり、中でも拳法や捕手術は古河の中でも無双らしい。
本当かどうかは分からないが、少しは出来る様になったようだ。
この子を養い引き取ることになった時、こちらのお内儀の乳を分けていただき、育まれた恩義がある。
ということは、ご子息の小文吾殿とは俗に言う乳兄弟であり、年齢も同じではないか。
また小文吾殿も武芸を好むとか、逞しい身体になり、大そうな力持ちとお見受けする。そうであれば、二人の好むところは似ている。
小文吾殿に兄はなく、見八には弟がいない。初心を忘れないためにも、小文吾殿と見八に兄弟の義を結ばせれば、今後頼もしいことになると思う。
文五兵衛殿、あなたの気持ちはどうか。
「見兵衛様がそう言われましたので、私は考えるに及ばず、妻に告げて、子に告げて、その意にお任せして、簡素ではございますが、酒宴の席を設けて、勧杯の儀を執り行いました。そして見八は1459年長禄三年十月下旬に生まれたということが書いてある書きつけが、お守り袋の中にあったと言われました。我が子小文吾は同じ年の十一月に生まれましたので、一か月の違いはありますが、兄と弟の順番が分かったのでございます」
見八が兄、小文吾が弟なのである。
「こうして翌朝、犬飼親子は古河へ帰るということで、旅立ちの名残りを惜しんでいました。そえからすぐに我が妻も持病の胸の痛みとしこりが酷くなり、あっけなくこの世を去りました。見兵衛様も去年の夏、病み患うこと十日あまりでこれも黄泉路に旅立ってしまったと風の便りに聞いています。ですからこの亡き人は、我が子小文吾の義兄弟であり、兄になります。我が子ながら小文吾は、親が言うのもなんですが、善に味方し、義を貴ぶ様になりましたので、里の若者たちから兄貴分として慕われており、義侠心があります。小文吾がもしこれを知れば、何か文句の一つでも言うかもしれません」
信乃は何も言えない。
「しかしことの起こりから察するに、あなた様は元から傷つけるつもりで、この人と戦ったのではないでしょう。この人もまた恨みがあって、あなた様を捕まえようとしたのではありません。彼が戦ったのは、あくまで君命です。あなた様は包囲を破って、困難から避けようと思われたのみでしょう。私情から申上げれば、あなた様は、この亡き見八殿の実父の糠助さんやらという人に恩義があるのですね。であれば、見八殿はあなた様によって、実父のことを詳細に知ったのであれば、君命であっても断ってしまい、捕り方の役には立たないと思いますよ。あなたもまたそうではありませんか」
文五兵衛は細かく指摘する。
「最初からこの見八殿に名前を告げて、詳細を話したのであれば、組み合って高い楼閣から転落することもなかったでしょう。知らなかったからこそ戦ったのであって、ことここに及べばただ宿世の応報。最初に私が呼び掛けた見八殿は生き返らず、あなた様一人が蘇生したことも、ただ運命ですから、今更誰を恨むこともないのです。誰にも知られていないことが幸いです。陸を走って影をも隠して、後日の祟りから逃げなさい。この亡骸は他人には任せず、我が子小文吾に良く言い聞かせて、ともかくも急いで葬ります。さあ、あなたは早くお逃げなさい」
そう言って信乃を早く逃がそうとする。ところが当の信乃は首を振って、
「義にも厚く理にも明快なあなたの教え、しかしこれはあなたのご厚意に反するように聞こえるかもしれませんが、私は不注意にも、大切な村雨の宝刀を他人にすり替えられてしまいました。そのことを説明しようにも、証明する術がなく、大変な災いを生じさせてしまったのです。今さら逃げ出して、大塚の伯母夫婦の家に帰ったところで、古河の御所でおめおめと捕らえられるよりも、却ってもっと恥ずかしいことになります。人が人たる所以は、仁に基づき、義に依って、ただ良く恥を知るということです」
信乃は文五兵衛に言い返す。
「またあなたのお話によって、この犬飼見八は糠助の子供であるということは、名乗りあわずとも確かに分かりました。知らなければ是非もなし、知りながら私のみ生き長らえては、一旦受けた糠助の遺言に背くことになります、これは不義なのです。百歳の寿命を持ったとしても、不義の者と言われるのであれば、生きていても甲斐がありません。この世にたまたま男子として生まれながらも、国のため、人のため、功名もなくまた徳もなく、志を遂げないまま、十九歳の今を最期として、正に犬死にすることは悔しいことではありますが、これも薄命のいたすところ、もはやどうしようもありません」
信乃の瞳に絶望がよぎる。
「私にはもう頼れる親族がありません。ただ大塚の村長のところに召使いの額蔵と呼ばれる男と何年もの間、密かに義を結んできました。異姓の兄弟と言っても構いません。本名は犬川荘助義任という者なんです。もしこの上お情けをいただけるのであれば、こうして果てることとなった我が身の上を、密かに犬川荘助に告げていただけませんでしょうか。私の刀は古河の城に置いてきてしまいました。持っていた刃はとっくに折れてしまっています。せめてこの見八の刀を借りて自決すれば、亡くなった人を騙すことなく、真心を示す手がかりとなるでしょう。それでは」
と言って右手を伸ばして、見八が腰に差していた刀を取って抜こうとした。
それを文五兵衛をが止めようとして、
「おっしゃることは道理ですが、そこまで道理を通して義に対してひたむきな人はいません。失うには惜しい若者が、死ぬと言ってるからと言って、ただ死なすもんですか。まずはこの刃をお放し下さい」
「いえいえ、それは情けに似ている様で、本当は情けではありません。犬飼見八と一緒に生き返ったのであれば、あなたに苦労は掛けません。再び勝負を決するなり、それとも無二の友情を結ぶなり、それはその時の時機によります、こうなったからには手立てがありません。私もまた男です。あなたに止められたからといって、思いとどまることなどいたしません。そこをお退き下さい」
と文五兵衛を振り払い、輝く刀を取り直して、腹に突き立てようした時のことである。
「やあ、待ちなさい、犬塚殿、はやりなさるな」
死んだと思われていた見八が、がばと身を起こしたのである。そして、信乃に呼び掛けて、刀を持った利き腕を引き留めるのだった。
「これは一体」
と振り返る信乃よりも、文五兵衛はたいそう驚いて、眼を見開き、肘を張る。そして思わず発したため息は、磯に吹く浦風よりも荒々しいものであった。
(続くかも……)