2026年1月24日津城に登ってきました。
場所はこんなトコ。
続日本100名城の152番目、通算2回目です。
午前中の田丸城攻略からこちらに来ましたのです。
11時42分のJR参宮線に乗ってまた伊勢市に舞い戻り、近鉄の名古屋方面に向かって今度は津新町で下車しますです。

13時くらいに津新町に着きました。

津新町駅。
結構高層マンションが建っています、発展してますねえ。
お昼時ですので食事を取りました。
氷花餃子さん、お店が満員でしたので、写真は撮らずじまいです。
さあ、ここから歩いて10分くらい歩きます。
しばらくすると津市役所があります。土曜日ですが開いている様子なので、お手洗いを借りようと思いましたら、津市の市議会選挙の不在投票を受けつけている様子です。
まったくの部外者の私は入れませんね、我慢します(´・ω・`)
その反対側にお城があるのです。

今は津城公園ですね。でも1/4くらいのお堀が残っています。

犬走りがありますね。

ここからお城へ入ります。

ちょっとガタガタ感のある石垣ですね。

あまり高さがないと思ってしまいました。

ね、田丸城に行ってきたせいか、低いなあと思うのですよ。

藤堂藩藩校有造館の講堂の門である入徳門が移築されております。

水のない日本庭園もあったり。

お城の奥に進むと戌亥櫓跡と石垣が待っていました。
ここはさすがに高いのです。

伊賀上野城ほどではありませんが、さすがに石垣は高く、良いものです。

しかしやはり石垣が荒れています、直せるものなら直したい(笑)

これ実は天守台らしいです。

おお、さすがの積みです、綺麗です。

しかし天守台への出入り口がありません、入りたいなあ(笑)

この階段を登ると月見櫓跡。
津城はほとんど櫓を撤去しているんですよ、寂しいです。

公園の中心には藤堂高虎さんが飾られていました。

あの兜は間違いない、伊賀上野城に展示されているものです!!
伊賀上野城のお話はこちら。

藤堂高虎の履歴書。
戦国の生き字引と言っても過言ではありますまい。

津城跡。
唯一の櫓が見えています。丑寅櫓。
しかしこれも場所も形も当時のものではありません(´・ω・`)
津城は、安濃津を支配していた長野氏が初期のお城を建てました。
その後は織田家の伊勢侵攻に伴い、信長の弟である織田信包が整備したんだそうですよ。
関ケ原の時は富田信高という部将が津城主でしたが、東軍についたため、西軍長宗我部盛親らに攻撃されて、激戦の挙句開城。
何だか細川幽斉の田辺城みたいなお話です。
家康は奮戦を認めて、富田信高を何と伊予宇和島に移し加増。
伊予今治からは、藤堂高虎が大幅加増されて津にやって来たという訳なんです。
その後は、築城名人藤堂高虎の手による大改修を受けたのです。

復興されたとはいえ唯一お城っぽいので、激写します。

一回外に出て、丑寅櫓をパシャリ。

街灯と電線がお邪魔ですねえ。

うん?
櫓の近くに行けそうですよ、行ってみましょうか。

また公園内に入って、探すとありましたよ、階段が。
ただですねえ、このお城、鳥の糞害が凄いんです。ハッキリ言って地面がほとんど真っ白なんです(´・ω・`)
滑らない様に登りましょう。

うーん、樹木が邪魔ですぞ。

桜のシーズンは良いのかも、でも枝が伸び過ぎ(笑)


施錠されていますね。
戻りましょう。

お城の北側から西側に向けてお堀を歩きましょう。1/4ですから、そんなに長くありません。

群れる鴨ちゃんたち。

北側から見た津城です。

一周すると藤堂高虎を祀っている神社があるので、覗いてみます。
高虎さんもとうとう神様になってしまったのですね(*´▽`*)

大きな鳥居です。お参りすると発見!!

日本酒高虎ですよ!
三重県の酒造会社さんなんですって。

神社から天守台が見えました。この角度は美しいなあ。

公園に出入りできる埋門がありました。
糞害さえなければ、散策するにも楽しいお城です。桜の季節も良さそうですね。
大寒波が来ていましたが楽しく探索できました。
でわ。