馬鹿琴の旅立ち

独り言を綴っています。主にお城や史跡がメイン。時にはお相手して下さい。

此隅山城に登ってきました

2026年7月11日此隅山城(このすみやまじょう)に登ってきました。

此隅山城はこんなトコ。

ほとんど出石なのです。

出石にある出石城、有子山城と比べてマイナーなお城です。

しかし検索してみて、行きたくなりました^^

毎度毎度のJR豊岡駅。

朝5時半の電車に乗って、福知山経由、ようやく10時過ぎにJR豊岡駅に到着です。

豊岡は本当に遠いといつも思ってしまいます。

駅前のスーパーで助六寿司を購入して、お昼に備えます。

10時50分の全但バスに乗って、出石方面に向かいます。これはいつもの(笑)出石城、有子山城コースと一緒ですね。

出石城と有子山城に行ってきたお話はこちら。

fools-talk-to-oneself.hatenablog.jp

今日はその手前、嶋というバス停で降ります。

そこから目印の豊岡市立いずし古代学習館まで……歩いて1.5キロ!!

かなりありますね(´・ω・`)

今日の豊岡は何と32度(笑)、結構日差しもキツいのです。

日焼け止めはもちろん塗りましたけど、暑い、眩しい、遠い!!

こんな道を歩きます。

歩行者は他にはいません(笑)

おーい、古代資料館はどこじゃーい!!

あ、20分ほど歩いて、ようやくいずし古代学習館が見えてきました!!

学習館の裏側に此隅山城の入口があるのですが、少し学習館で休ませてもらいましょう。

中は無料でした。

冷房が効いていますので最高です(*´▽`*)お手洗いをお借りして、中の資料を見物。

戦国期よりも古代の展示が多い感じですね。

銅鐸。

最近は音を鳴らすことができる展示を良くお見掛けします。

渋ーい音がするんですよね。

室町期の資料が出てきました。

山名氏は、足利尊氏に従って、赤松、京極、一色と並んで四識家の一つ、後に日本66カ国のうち11カ国を治めたので六分一殿なんて呼ばれたのです。

此隅山はこんなお山。近くに出石神社がありますが、天日槍または天之日矛(アメノヒボコ)を祀っています。

アメノヒボコは新羅の王子らしく、但馬にやって来て、宝物を大和朝廷に献上し、この地方に根付いて土地を開発したとのことです。

 

しかし私はこの神社には寄りませんでした(´・ω・`)

山名氏では一番有名なのが、この人、山名宗全さん。

応仁の乱においては、西軍の総大将を務めました。仇名は赤入道(*´▽`*)

上から見た此隅山城。今日はここに登る訳です。

 

ようし身体も涼しくなってきましたので、向かいましょうか!!

いずし古代学習館の裏手にある登城口。

もちろん獣害防止柵で守られておりますよん。12時突入します。

開けるといきなりこんな感じ。結構手強そうですね(-_-;)

右に折れます。

結構傾斜が厳しいです。今日は念のため登山靴で来ております。

円墳とか書いてありますが、まったく分かりませんし、見に行く余裕もありません。

おいしょ、おいしょ、ドンドコドンドコ登ります。

あ、ロープ場!!

登りは必要はない感じですが、きっと下りに必要かも。

ずっとロープ、ロープ!!

見て下さいよ、この傾斜!

油断するとズルっといきそうです。

うへっ、少し小休止。

お城はまだ奥に続いています。

おっと~また傾斜がキツくなり、ロープも出てきました。

堀切です。まっすぐには進めません。

右に迂回することになります。

道は無いように見えてしまいますが、実はあるんですよ。

土塁……うーむ、分かりません。

またロープ場。

堀切以外にはお城の痕跡が分からないんですよねえ、何せ眼が節穴ですから(笑)

ここもロープ場。

どちらかと言えば、崖下へ落ちない様にある感じですか。

もうちょっと、もうちょっと。

うん?

ここを登ると……

残念残念、まだでした。

ここかな、ここを登れば!!

最後のロープ場だ!……と思いたいです。

此隅山城の上まで来ました!!

下から30分くらいでした。

あれ?何もない(笑)

説明版を見つけました。掠れて良く見えません。

座って休憩を取れそうなベンチもないのです。お昼どうしようかなあ。

ちなみにアレが有子山城。近くて遠いのです。

 

適当な石ころがありましたので、座って助六寿司をいただきます。

しかし暑い、暑いので飲み物を2本も空けちゃいました~

 

他に見るべきものもなさそうです、仕方ない、降りましょう。

降りましょう……でも足が少し震えております。

降りる時に気づく急傾斜。ロープが本当に助かります。

まだまだロープ場(-_-;)

足を取られない様にそろそろ下ります。

ふぃー下まで降りてきました。

あれ?下りも30分でしたよ(-_-;)

今日のヤマレコ。

距離が何と1.2キロ!!もっと歩いた気がするのですか、意外と少ないです。

標高も130メートル?ちょっと不満です(笑)

 

汗だらけになったので古代学習館にまた入り、ラムネを50円で購入、飲み干しました。

係の方いわくお子さんが多いので、こんなお値段なんですって。良いお話ですね。

ちなみに御城印はここにはなく、出石の方の観光案内所にあるのですって。

これから行くのはしんどいので、入手は諦めます( ;∀;)

 

帰りのバスの時間の調整をさせていただいてから、古代学習館を後にします。

お世話になりましたいずし古代学習館と背後は此隅山。

また20分ほど歩いて嶋のバス停へ。

福知山駅で大阪方面行に乗換えます。

福知山駅から見た福知山城。ちょっと不細工に見えます。

帰りのJRの中で見た吊り広告。

500系新幹線とドクターイエローは、2027年終了ですね、うん?来年かな。

ちなみに、まだドクターイエローが走っているのを見たことがありません(-_-;)

このまま見れないで終わりそうです、ご縁がなかったのかしら。

 

ふあ、眠くなってきました。大阪まで時間が掛かりそうです。

寝て過ごします、でわ。

 

横山城に登ってきました

2026年7月4日横山城に登ってきました。

横山城はこんなトコ。

先週は雨、違う用事がありましたので、そちらに掛かりっきりでした。

さて今週はお城に行こう、と思ったのですが、天気予報が芳しくありません。

九州地方は大雨とのこと、皆さん、大丈夫でしたか。

 

一方関西は、と言いますと、何とか昼までくらいならいけそうな雰囲気。

そんな訳で早朝から出発しますのです。

ということで、9時40分滋賀県のJR長浜駅です。

JR長浜駅の東口です。

ちなみに長浜城は西口にあります。こちらからは見えません(´・ω・`)

近くの平和堂フレンドマートさんで昼食用のサンドイッチを購入します。

滋賀県では、いつも平和堂さんにお世話になりっぱなしなのです。ありがとうございます、平和堂さん^^

秀吉と石田三成、このころは石田佐吉かな、の出会いが刻まれております。

後がバス乗り場なのですよ。

見上げると、豊臣兄弟関連の催しの案内でした。

 

ここからは10時10分近江鉄道湖国バス(湖国バスって名前がステキ!)に乗ります。

JR近江長岡駅行きなのです。420円ICカード利用可能でした。

30分ほどで、その名も石田のバス停で下車です。

降りてビックリ!!

ほら石田三成一色ですよ!!(笑)

小さいけれど付近の地図です。

当時の横山城はこんなんだったのでしょうか。

歩けませんが(笑)姉川古戦場も近く(!)にありますよ。

産湯の井戸……行ってみましょう!

ちなみに石田正澄さんは三成のお兄さん。あんまり目立たない地味な方ですよね。

地元の方の表札ではありません!!

あ、これが産湯の井戸ですか……どれどれ。

網越しに見ましたが、水は枯れておりました、残念!

あくまで「汲んだとされる」井戸なのであります。

井戸の近くに咲いていた紫陽花のお花。

一服の清涼剤ですねえ。

なかなか横山城に登れません(笑)

今度は石田会館と屋敷跡に足を伸ばすことにします。

こちらが石田会館。立派な建物です。

ははあ、ここが屋敷跡ですか。

うん?関原軍記!?しかも西郷南洲、いや隆盛?

本当かどうか知りませんが、調べてみましたら以下のことが分かりました。

西郷隆盛は、江戸時代初期に水戸藩主徳川光圀が編纂させた軍記物関原軍記を読んで深く感銘を受けたということです。
西郷はその内容から「石田三成は決して天下を狙う悪人などではなく、真の忠義者であり本物の侍である」と称賛したんですって。
この逸話に基づき、石田三成の生誕地にある石田会館の庭には、西郷がこの本を読んで詠んだとされる漢詩の石碑が建立されちゃったそうなんです。
はえ~っ。
西郷はいつ頃、軍記を読んだのでしょう。倒幕を決意したころ、或いは大政奉還前後には読んでいたのかしら。
幕府を敵対視していたら、そりゃ反徳川の急先鋒だった石田三成に傾倒しますよねん。

こちらも石碑。達筆過ぎてとても読めませんが、調べましたら歴史作家吉川英治さんの俳句でした。

治部どのも 今日瞑すらむ 蝉しぐれ

顕彰歌までありました♪

石田治部少輔出生地なのです。

佐和山城址でもお目に掛かった三成さん。

良く同僚に呼ばれていたあだ名(?)の横柄者ではない感じ。

大一大万大吉が記された灯籠。

お城まではすぐなのですが、まだまだ近づけません(笑)

あ”ーーーーーっ、石田会館は本日休館!!

御城印は入手できませんでした(´・ω・`)

後で分かりましたが、平日しか開いてないそうなんです。参りました。

三成くん、頼みますよ~

小字名が治部、俗称ごいでなんですって。

もう少し足を伸ばして、石田神社と供養塔に行ってみます。

八幡神社の裏が石田神社になっています。

この中ですね。

辞世の句、筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり。

佐和山城主時代に詠んだとされる、

散残る 紅葉は殊に いとほしき 秋の名残は こればかりとぞ。

渋い句ですね。

石田一族の供養塔です。南無阿弥陀仏。

 

それではようやくお城に向かいましょうか。

向かう途中、島左近のお名前を発見です。

治部少に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城ですよ。

日吉神社です。ここが横山城址の入口なのです。ちゃんと石橋があって驚き。

11時4分突入します。石田に着いてから30分も周囲を巡ってしまいました(笑)

ここは日吉神社、お城に行く前にお参りして行きます。

お参りします。

天気が持ちますように、探索が無事できますように、害獣に遭いませんように……

お参りを済ませて、鳥居の下に戻って左折します。

ここから登城!

石の橋もあったりして。

序盤はこんな感じです。何回か折り返して登っていきます。

5分くらいで少し開けた場所に出ました。しかしここは止まらずにGO!

今度は分岐点。表示通りに右へ進むのです。

後九町……町は約109メートルですから……1キロ弱ですね。

超意訳南総里見八犬伝で町の長さを覚えました^^

尾根沿いに歩きますよ。両端は切り立っています。

でもこれは尾根ですかねえ。

ん?虎口?

良く分かりませんね。

土橋と書いてありますが……どこでしょう?

あった、あった、これが土橋ですね!!

堀切堀切。

ここまで石垣も石垣っぽいのもなし。

ふぅー、後、一町まで来ましたよ。

風が結構吹いてきますが、天気はまだ持ちそうです。よしよし。

お空が見えました!!もうちょっとですね。

登りました!約45分で登城です。

後に見えるのは伊吹山、雲を少し被っています。

今登ってきた道は石田登山口、日吉神社口になる訳です。

三角点を確認!!

浅井氏攻略完了までの3年間だけのお城だったみたいです。

曲輪跡などは私にはまったく分かりませんでした(;´д`)トホホ

標高は312メートル。意外と高いのでした。

雄大なるかな伊吹山。圧倒的迫力です。

石田三成は伊吹山を見上げて育ったんでしょうか。

比叡山は遥か遠くですし、そんな感じがしました。

買ってきたサンドイッチを食べながら、お昼休憩をいただきます^^

反対側を見ますと、琵琶湖上に竹生島。

おぼろに見えています。

お昼を食べ終えたので降りましょうか。

今、12時2分。12時50分の帰りのバスに乗りたいので、急いで降りましょう。

ちなみに帰りは同じ道ではありませんので、緊張します(-_-;)

観音寺方面の登山口。結構急斜面かも。

あ、観音寺と言っても六角氏関連の観音寺とは違いますので、念のため。

赤い鉄塔の下を通ります。

通る人が少ないためか、道が雑草に侵略されつつあります。

ロープ場までありました( ゚Д゚)

私は軽く登る訳ですが、下りの方向けにロープ場が用意されていたのだと思います。

何となく寺院の気配。

観音さんですね^^

折角ですし撞いてみましょう。

姉川の戦い他すべての戦いの戦死者を弔う鐘だそうです。

連続して撞くのはNG。

まだ横山城の内部なんですね^^

そんな感じしませんけれど。

観音寺下山道をひたすらに下ります。また観音さんです、こんにちは。

また観音さん。

三差路に出ました。

最初の予定では右に行くつもりだったのですが、観音寺の方に向かいたいので、左に折れます。

!!

お地蔵さんです、少し焦りました(笑)いやあ、いきなりだったので。

えーと、どうかお守り下さいまし。

おっ、どうやら下界に降りることができたみたいですよ。

しかしなかなか獣害防止柵の鍵が開けられません(´・ω・`)

もう12時28分、バスまで12分、いや訂正、22分しかありませぬ(-_-;)

なかなか難しい鍵と格闘して突破しました(*´▽`*)

朽木街道の石碑、右がさめが井(醒ヶ井)、左がたにぐみ(谷汲)だそうです。

これが観音寺ですね^^

石田三成が寺小姓でこのお寺にいて、秀吉が鷹狩の際に寄り、三度の茶を振舞ったとかいう噂があります。

ただし本当ではない説があるんですって(笑)

ちょっとお寺の中に入る時間がありません、残念。

本当は寄りたかったのですが。

本当かどうか定かではないのに、水汲み井戸があったりします^^

それがこちら。私も水を汲んで煮沸した上でお茶が飲みたい……いや勇気があまりありません(笑)

今でも水が湧いているみたいですね(*´▽`*)

観音寺の山門でヤマレコをオフにしました。

日吉神社入口から観音寺まで1時間22分、2.8キロでした。

バス停まで歩いていると、また伊吹山が姿を見せてくれるのです。

もうちょっと歩きます。

あったあった、観音寺のバス停です。バスが来るまで後10分です。

あの赤い鉄塔が恐らく横山城址でした。

右下に観音寺が見えるのです。

バスが来てくれました(*´▽`*)

伊吹山に掛かる雲が厚くなってきました、雨が近そうです。

それではJR長浜駅に向かいます、でわ。

 

清洲城に再び登って来ました

2026年6月20日清洲城に再び登ってきました。

3回目くらいです。

前は夜に登城した記録を載せましたね。

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実は岩崎城訪問の際に忘れ物をしましたので、そのリカバリーをするため、再び名古屋駅近辺に行ってきたのです。

その後帰る時間までの間、懐かしの清洲城に訪れてみることにしました。

今回はバスです。

8時30分大阪駅発の高速バスで臨みます。

途中、甲賀の甲南パーキングエリアで小休憩。

忍ばない忍者です。

 

11時10分ごろJR名古屋駅に着き、忘れ物を預かっていただいているところに行き、お礼を申し上げて、回収しました。

いやあ、一安心です^^預かっていただきありがとうございました。

 

それでは、今日のお城、清洲城に行きましょう。

岐阜方面の東海道線に乗って、二駅です。しかし今日は雨。

結構降ったり、小雨になったり(´・ω・`)

JR清州駅です、初めて降りました。

清洲駅外観は意外と寂しいですねえ。

無人駅だったかもしれません。

 

雨の中、15分ばかり歩きます~

途中、古い民家を何軒か見掛けまして、これって桃瓦ですか?

桃っぽくもあり、そうでなくもあり。完全な球体なんですよねえ。

気づいただけで3、4件ありました。

この細い道を抜けますと……ちなみにJR線路が隣にあるのです。

清洲城近くに来ました。

ご存じですか?

清洲城は、清須市にあるのです。

両方の読み方が混在していて、南北朝のころの書物や江戸時代初期には清須と書かれているのだそうです。

信長の伝記である信長公記では清洲なんですって。

最近では2005年清洲町、他幾つかの自治体が合併して、清須市になったとのこと。

まずは清洲古城の方に来ました。

こちらは現在公園になっています。

お城の跡はあまり無いようです^^

一番高いところにお社があるようです。

右大臣織田信長公古城跡と刻んでおります。

こちらも石碑がありますが、年代物です。

文久二年というと……1862年ですから、幕末ですね。

何と書いてあるのかは不明です( ̄▽ ̄)

雨の中の探索ですから、無事をお参りします。

清洲城の概要です。

ご覧の通り、川が真ん中に走っております。

あ、清洲城、まあ、復興天守ですが安土城っぽい姿で現れましたよ!

でもお城に行く前に、JR線路反対側にも、公園があるので行ってみます。

若き日の信長と濃姫がいましたよ。

鎧をまとった信長が睥睨しています。

その姿を素敵(うっとり)とか見とれている濃姫さん。

この方のその後、って不明なんですよねえ、どうなったんでしょう。

今ではパワースポットになってる!!(笑)

雨に濡れた紫陽花ちゃん。素敵な色です。

戻って来ました。

五条川の西から東のお城を眺めます。

清洲城の古い石垣、しかし平成年間に復元されたものです。

赤橋越しに清洲城。

左側からも清洲城。

城門開けっ放しの清洲城。不用心、不用心。

中に入りましょう。

信長塀。

昔熱田神宮で見たことがありますが、そのまんまです。

それもそのはず、熱田神宮のそれをモデルにしたと書いてありました(笑)

雨のそぼ降る清洲城。

中に足を入れてはいけない庭園を迂回して、

門を振り返ってみますよ。

岸和田城の石と同じく豪華。

ここがお城の入口なのです。

撮影しようと思ったら、外人カップルが出て来てなかなか動かず、苦戦します。

400円の入場料をお支払いします。上は入場チケット。

昔は川を挟んだ城塞都市みたいな感じだったのですね。

もちろん天守はなく、館があったのです。

中の展示物はほとんど撮影禁止。

他には清洲会議、家康以降の名古屋への引越し話の展示が良くありましたよ。

最上階から外が見えます。鯱さんが怖い顔。

赤橋が見えています。

新幹線キターーーーーー!!

早いです、ちなみに京都方面から名古屋方面に向かっている車両ですので、速度は落としているはずですが、それでも早いのです。

北方面。

岐阜城、小牧山城が見えるとのことですが、雨天で何も見えません(´・ω・`)

触ってもOKな黄金(?)の鯱。

中の見学を終えて、見上げる清洲城。

奥の出入り口から一周してみましょう。

東南方向からも見上げます。

今度は東から。

北側からも。

雨に濡れながら一周しました(´・ω・`)

お土産物を扱い、お茶も飲める清洲ふるさとのやかた。

ふるさとのやかたの中から珈琲を飲みながら、清洲城をパシャリ。

観光客は雨なのに多いのです。

お土産に買った清洲城信長ビーフカレー(笑)

CoCo壱番屋さんの監修です。

 

それでは帰りましょうかね、またJR清州駅まで歩きます。

東海道線の中から清洲城を激写しましたよ(笑)

新幹線よりは楽に写すことができますね。

 

以上清洲城の探索でした、でわ。

 

岩崎城に再び登ってきました

2026年6月13日岩崎城に再び登ってきました。

今日で2回目、以前は車でしたので、公共交通機関を使っての城攻めは初めてです。

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小牧山城から栄に戻って、またもや地下鉄東山線で星ヶ丘駅に出ました。

栄は凄い人混みでした( ゚Д゚)

星ヶ丘の高級住宅街に行くと、さすがに人出はそこまでではありません。

今度はバスですが、なかなか名鉄バスさんの乗り場を見つけられません(´・ω・`)

名古屋市営バスの運転手さんにお聞きして、ようやく理解できました。

しかしバスに飛び乗ったのは良かったのですが、どうも路線が違う。

いや違うというか、途中で違うところに行ってしまう感じです。

仕方ないです、途中のバス停留所で降りて、後は歩きましょう。

ふと見るとマンホールは岩崎城です。もうここは名古屋市ではなく、日進市なのです。

およそ2キロ、緩やかではありますが、上り坂をヒィヒィ言って歩きます^^

表示が出てきました!!

しかしここは車の駐車場、今日は歩きでてくてく来ましたので、南側に回ってみます。

民家の間から岩崎城がこんにちは!!

同じく民家越しに岩崎城天守がこんにちは、しています。

南側天守の入口に着きました。コーンが邪魔ですね、取っちゃいましょう。

あら、すっきりしました。

他にも周囲には史跡があるようですね。

改めて中に入りましょう。

おお、小さい門ながら石組みが凄い。

ですが近現代的過ぎますかね。

曲がったところの組み方の違いがモダンチック(笑)

左側はお手洗いになっています。

改めての岩崎城。

右の入口から中に入ることが可能です。無料です。

城址整備について説明がされていますが、実は城郭考古学の権威、千田先生が岩崎城再現については激おこぷんぷん丸になられたそうです。

余りにも史実と違う模擬天守再現、一部遺構の破壊があったとのことで、仏の千田先生が厳しく非難をされたとか何とか(-_-;)

気を取り直して井戸です(´・ω・`)

隅櫓ですが、天守が横にありますから、やっぱり天守の位置がおかしい感じですねえ。

でも天守が綺麗。中に入ってしまいましょう。

丹羽長秀の丹羽氏とは違う系統なんです。

え、徳川期では譜代大名なんですか~三河以来の家とは違う様ですが、譜代扱いなんですね。

小牧長久手の戦い、秀吉と言いますか、信長の乳兄弟、池田恒興渾身の作戦、岡崎城攻略戦に関する三河中入り作戦について、説明されています。

この時岡崎城に残っていた軍勢は、どれくらいだったのでしょうか。

一方膠着状態に困っていた秀吉は、陽動作戦をしなかったのでしょうか。あ、しているみたいですね。

それでも大将の家康が三河派遣軍と戦った訳ですから、それに気づけなかった点は大きいでしょう。

岩崎城歴史記念館です。

こうやって見ますと、やっぱりお城が細い気がします。

前に来た時は子供たちの隠れ家になっていた古墳です^^

歴史記念館の中に入りました。4代目丹羽氏次さん。

扇の家紋です。

橋が掛かっておりますが……

左も、

右も空堀です。

橋の手前に櫓台がありました。岩崎城最高地点だそうです。

忠義の碑。岩崎城で散った16才の丹羽氏重以下将兵のことを評しています。

題字は徳川慶喜さんだそうです。

その櫓台から降りる階段があり、空堀の中を少しですが歩くことが出来ましたよ。

右側の土塁の高さと言ったらありませんね。

二ノ丸付近は石がごろごろ。

苦い思い出の水琴窟です。

以前は水がなく、鳴らすことができませんでした。

今日は水がいっぱい、早速チャレンジしてみます。すると……聞こえます、聞こえます(*´▽`*)

かすかに音がしたんです。

今年の大河ドラマ、豊臣兄弟で、この岩崎城の戦いが描かれるでしょうか、気になりますね。

それではそろそろ戻りましょうか。

 

実は帰宅した後、ある大切なものを落としたことが分かりました。

一瞬蒼ざめたのですが、思い当たったところに電話してみると、無事発見されました(*´▽`*)

しかし着払いで送ることができないとのことですので、また名古屋まで行かねばならなくなりました(´・ω・`)

自業自得ですね。

今後は注意しますです(-_-;)

 

でわ。

 

小牧山城に再び登ってきました

2026年6月12日小牧山城に再び登ってきました。

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ご覧の通り1月に登ってきたばかりなのですが、お城カードが出ちゃったもので、再び攻めることにしました。

前回は昼からの登城でしたが、今回は朝からです。

米原に出て、大垣経由、名古屋を通過してJR金山駅へ。

そこから地下鉄名城線で栄に出て、高速バス経由で小牧山城間近に出ました。

忙しい移動でしたので、まったく付近の撮影が出来ておりません。

ということで、10時45分に小牧山城直下に到着です。

今日はまた大手道、真下まで行ってみましょうかね。

ここから登ってしまうと前回と同じになってしまいますので、大手道まで歩いてみましょうね。

土塁と堀沿いに歩いてみます。

振り返って見ますと、かなりの土塁が傾斜を持っていたことが分かります。

土の城から石の城へ、です。過渡期ってことですかね。

ここを登って右に折れますと、

下から大手道を登るルートです。

険しいです、小牧山城はやっぱり山城なのです(´・ω・`)

お墓がありました。

誰だろうと思いましたら、尾張徳川9代目藩主宗睦(むねちか)さんでした。

死後名古屋市内のお寺から小牧山に移転したみたいです、理由は分かりませんねえ。

まっすぐ登りますと、原始林に入ってしまいます。

今度は神社、小牧山稲荷神社がありました。

今日はここを右に曲がります。標識は山頂まで後200メートルだそうですよ。

両側は鬱蒼としており、熊ん蜂がたくさん飛んでいる危険地帯です(-_-;)

あ、石が集められていますよ!!

発掘で出て来て、まだ整理の付いていない石垣でしょうかねえ。

凄いなあ。

お城が見えました!!

息が切れそうですし、日差しも厳しいですよ。

うーん、この街灯だか夜間照明等だか分かりませんが、邪魔です。

お城の真ん前にいて、左右どちらかに移って欲しいです(´・ω・`)

頑張って登りましょう!!

SPORTS DEPOさんの建物の奥の茂みが、どうも清洲城らしいです。

分かりませんねえ。

岐阜城?岐阜城?岐阜城やーい

小牧山城の裏側です。至って普通でした( ̄▽ ̄)

正面側に回って、今日は中を見学いたしましょう。

入場料は200円、これで麓のれきしるこまき、小牧山城史跡情報館にも入ることが出来ます。

わーい(*´▽`*)、お城カードをGET!!ミッションクリアです。

建物の中は2階、3階が撮影禁止でした。

4階、天守の廻廊から下を見下ろします。

こちらは北側。赤白鉄塔の延長上に犬山城があるとのことですが……分かりません。

天守床には俯瞰図がありました。

うーん、なるほど。

このお城は岐阜攻略の拠点ですもんね、北西を向いてたりするのかもしれませんよ。

今は南を向いておりますが。

1階のジオラマです。

昔お城が出来る前は、磐座のある礼拝の山だったそうですよ。

それでは外に出てれきししるこまきも覗いてみましょう。

あれ?

猫さんです、小牧山の猫!!

おーい、こっちを向いて下さいよぉぉぉ

ダメでした、無視されてしまいました(血涙)

さいなら~

土塁と堀を見ながら下山です。

れきししるこまきです。

中はほとんど撮影不可。しかし休憩所や映像資料としては見学するには最適です。

今日のヤマレコ(笑)

標高85.8メートルですが、記録を取ってしまいました。参考までにどうぞ(笑)

35分で1.3キロ。そんなものですかねえ。

建物内の見学時間は省いておりますのよ。

 

12時前です、お腹が空いたのでまた例のところに行きましょう。

眼の前のドンキホーテさんの中に出店している若鯱家さん。

カレーうどん+ミニ丼で、鶏天丼をチョイスして、1,240円だったかしら。

暑い中、カレーがスパイシーで美味でございました。

 

さて12時37分のバスに乗って、栄に戻ってもう一ヶ所行ってみましょうか。

でわ。

 

 

超意訳:南総里見八犬伝【第三十六回 忍耐を破って小文吾は房八と戦う/悲しみを含んで沼藺は自分自身を傷つける】

 人は皆それぞれに目指していく道は、違うものである。

 こんな時、板扱均太、牛根孟六、塩浜の鹹四郎は、前夜の遺恨を晴らそうと、古那屋の門に忍び込んで来た。三人は戸に耳を近づけて、或いは扉の節穴から覗いてみれば、蝋燭が灯されていて、声さえ聞こえたのである。
「まだ時期に早い」
 と一旦引き下がって囁き合っていると、背後からこちらにやって来る者がいることに気づいた。
「見つかってしまうな」
 と三人は一斉に慌てふためき、庇の陰から裏門へ隠れた。

 さて、山林房八は、母の妙真に送らせて女房の沼藺を出て行かせたが、向こうの回答の見通しが立たず、落ち着かないでいた。
 また他に思うところもあって、小文吾に直接会って、昨晩の揉めごとの決着を着けようと思い、こんな夜更けにただ一人やって来たのだ。
 静かに戸口に近づいて中の様子を窺うと、小文吾は沼藺と座っていて、嘆く声、諭す声、いろいろと物悲しく聞こえてきた。
「まずは様子を窺って、良く確かめた後に中に入ろう」
 と思案しながら、門柱に手を掛けて、身体を傾けて盗み聞きをしようとした。

 そんなこととは知らず、沼藺はようやく泣き止めて、
「思いも掛けず、この身に起きてしまった離縁騒動、父様がお帰りになられましたら、何と申し上げたら良いのやら。本当に情けないのは、女子の身でございます」
 と、考えを巡らせながら、
「ねえ兄上。良いお知恵をお聞かせ下さい。くよくよ思い悩むより、大八を納戸に寝かせて、父様をお待ちしましょう、ああ、、胸が痛い」
 と身を起こした。
 小文吾は駄目だと立ちふさがり、
「おい、お沼藺はどこへ行くのだ」
 言葉せわしく止めようとすると、妹は兄の顔を呆れて見て、
「何て意地悪な言い方でしょう。離縁されて帰って来ても、ここは親の家で私の実家、納戸に行くくらい何の罪もないでしょう」
 しかし言い終わらないうちに、小文吾は首を振って、
「例え実家であっても、親が留守であれば、この兄の思う様にする。知らないのか、今宵は庚申守だぞ。庚申の日は夜通し寝ずに飲食や歓談をして過ごす慣習だ。だから私は祈願することがあって、心身を清めている。だから親類でも誰でも、家には入れない。まして奥へは誰も一足すら許さないぞ。言ってみれば関所の様なもの。その戸を開けて、私の祈願念願を空しくさせるつもりか」
 と息巻いた。
 その心の裏側には、ただ奥の座敷で病み伏せっている犬塚信乃の姿を見せまいという思いがあり、でたらめで言いくるめ様としているのだ。
 しかし沼藺はまた涙ぐみ、
「それは嘘でございましょう。今夜は人目を忍んで、どなたか美しい女の人でも来ているのですか。他人には隠しても、この妹にはそんな必要はありません」
 と恨み言を言って中に入ろうとすると、小文吾は眼を怒らせて、
「下品な物言いはやめなさい。庚申守の祈願の他には何もない。一旦閉めた、来客用の、言わば関所を疑われたからと言って、入ることを許すと思うのか。強引に奥の納戸へ行こうとするなら、私の物忌みを邪魔する、正に悪魔の所業と同じだ。そうであれば、ここにいることも許さん。可哀想だが親子ともども、軒下にでも行って夜を明かすが良い。私は真剣に言っているのだぞ」
 罵りながら、妹を掴んで引っ張りながら、訳もなく出口に降ろしてやると、
「あっ」
 と叫ぶ母の声に、驚いて眼を覚ました幼児も、一緒に泣き叫ぶ。
 小文吾は無理もないと思うのだった。母子の姿を見れば、心が弱りそうになったが、そこをどうにか鬼にして、泣き声が奥に聞かせないとばかりに、潜り戸をはたと足で蹴り開いた。
 母子を外に押し出そうとすると、外から手を伸ばして、沼藺の肩先を押し戻しながら、ひらりと中に入って来る者がいた。
 小文吾が誰かと見つめると、
「房八ではないか」
「小文吾か」
「何を考えて真夜中に」
「聞かずとも知れたこと、喧嘩の続きだ、別に言うこともある。きれいさっぱり他人になって、潔く果たし合うために夜を越えて」
「それで来たのか」
「そうだ」
 お互い短く、しかし油断をせず、返答をして、房八は潜り戸をしっかりと固く閉ざした。

 その時小文吾は、元の場所に後退って、刀を一本を握りしめた。
 間髪入れず、房八は長脇差しの刀身をぎらりと光り輝かせた。辺りも狭しと裾をまくり上げて、母屋の真ん中に進み出ると、小文吾の近くに寄って、膝を付き合うばかりにまで近づきにらんだ。
 思い掛けずも沼藺は、夜更けにやって来た夫の剣幕と、それには兄もさすがに顔色を変えたことに、二人の意図が汲めなかった。彼女の胸は騒ぎ、荒磯に押し寄せる波よりも不安になり、ここは運命の危うい分かれ目だと思った。
 しかし二人をなだめることもできず、ただ泣き、、そして泣きじゃくる大八を横に押し抱き、含ませた乳房もやせ細る無限の苦しみを感じていた。沼藺はよろよろと後退り、心もそぞろになすすべもなく、行燈を壁近くに押しやった。
 ふと見た行燈の明かりは、心細く思われて、私もこの様に今にも消えてしまいそうだと嘆く他はなかった。

 房八は妻を見ることもなく、腕を上げて大きな声を出した。
「小文吾、貴様も男なら、栞崎で踏まれたことを恥と思え、恥と。辱めても注意をしても、何をしても無駄な臆病者を相手にするのは大人気ないが、少し見たこと、そして聞いたことがある」
 と意味ありげなことを言う。
「さて女房は返したけれど、妻の衣装や調度品を返さなくては、後日文句を言われかねん。奥歯にものの挟んだ言い方で、欲に転んだと他人に言われかねない。それらを返そうと持ってきたから、中身を改めて受け取るが良い」
 小文吾はそれを遮って、
「何ごとかと思えば、沼藺の衣服を返そう、だと。人騒がせな、こんな夜更けに限ってすることか。先に義母上の妙真殿にもお答えしたが、我が父がまだ帰って来られないからお断りをしたのだ。曲げて妹をこの家に置いたのは、姑のお情けに免じてのことだ。ご返答は父が帰ってからのことと言ったのを、まだ聞いていないのか」
 しかし途中で房八は嘲笑い、
「明日帰るのか、明後日帰ってくるのか、あるいは生涯帰ってこないかもしれないやら、様子がまったく分からない文五兵衛を待つとか、いつまでも待てるものかよ。俺も男だ。今日返そうと思って持ってきたものを、受け取れないからと言われて止められるものかよ。流行り模様の京鹿子、美濃の八丈、飾磨の褐(かち)など沼藺の着物の中に、お前が欲しがっているものがあったぞ。これに見覚えはないか」
 と問い返しながら、取り出したのは血の着いた麻衣である。
「これはどうだ」
 近づけてきたそれを見て、小文吾は驚き、
「まさしくそれは」
 と伸ばした手を払って、房八は左手に持ち直した。
「さぞかし欲しいだろう、欲しいはずだ。これはな、昨夜、入江の葦の原でな」
 房八の言葉に、小文吾は思わず前に進み出た。
「しかも宵闇迫る中、誰彼の区別もつかない中、背負って帰る一つの風呂敷包み。それを誰かが、誰とは知らず、後ろから引き止めたのを振り払ってやった。お互いに拳を繰り出すも、真っ暗な中、引き裂かれた風呂敷の裂け目から漏れて出てきたのがこの布切れか。そうとは知らず、相手を退けたつもりで、帰宅はしたものの、いろいろなことが起きたので、心も落ち着かないまま今ここにいる。この布切れを見て、胸が潰れる思いがしたわ」
 小文吾は低い声で言った。
「さてはあの時の曲者は房八、貴様だったのか。今こそ読めたぞ、離縁状の件」
「離縁状の三行半も仏にはお見通しだ、黄昏時に思いも掛けず、道で拾って、母に渡した犬塚信乃の人相書き。それですべてが分かったのだ。女房と別れたのは、祟り封じの注連縄、巻添えを食らわぬ様にした身の用心。この家のどこかに隠した不幸な犬塚信乃、他の誰かに知られてはあとかたもない。これまでのよしみで、古河の公方の褒美は俺の酒代にする。村長の屋敷に繋がれた父親の縄目を解くつもりなら、信乃を捕まえて俺に引き渡せ」
「いや小賢しきは貴様の贅沢な望み、私は罪人など匿ってはいない」
 と言いながら、脇差しの鍔元を握って、鞘の最先端を突き立てた。
「この期に及んでまだ嘘偽りを言うか。断るつもりなら、奥に踏み込んで縄でも掛けてやろう。さあ、どうする」
 互いに怯まず、まるでかたつむりが触角を立てた様な争いを見た沼藺の悲しみはやるせなかった。それでも今にも殴り合いになりそうな二人に慌てて、そして惑いながらも、兄と夫の間に入り、距離を押し隔てようとした。
「どうか落ち着いて下さい、外に声が漏れてしまいます。兄上、良くお考えになって、過ちをなさいますな。私は初めて知りましたが、父上の縄目。それが犬塚とかいう罪人のせいであるなら、親に換えることなどできません。夫もまた頑固です。この困難の最中に得意気な顔をして、罪人を捕まえて何をするつもりですか」
 沼藺の声は震えた。
「磯を打つ白波も当たっては砕け、雨降ってこそ土も固まると申します。思っていることをそのままに話し合えば、胸の中の火もきっと消えるはずです。お互いに胸の内を仲良く語り合って、父上をお救い下されば、これ以上の幸せはございません」
 気を揉む沼藺は双方をなだめようとして、声を曇らせて、泣きながら話した。床下にいるこおろぎも、しばらくの間鳴き止むほどである。
 今更ながら小文吾は争いごとを好む訳ではないが、執念深くしつこく絡んでくる房八に重大な秘密をすでに知られてしまった以上、父親に忍べと言われた縛めの刃に掛けた紙のこよりを気にする余裕はなかった。
「私が生きている限り、あの人を渡したりはしない」
 と強く思った。そして少しも引き下がることをせず、房八が立てば斬ってやろうと、刀の柄を握りしめた。指の汗で、刀の目釘も湿るばかりである。

 その時、房八はまずます苛立って、
「女の判断ってやつは、見苦しいことこの上ない。泣こうが口説こうが、宝の山に入りながら、何もせずに手を空しくして帰るものかよ。喧嘩のとばっちりを食らう前に、そこをどけ」
 と荒々しく叫んで、立ち上がりざまにはたと蹴りを入れた。そのつま先はどこをどう狂ったのか、幼児の大八の脇腹を蹴飛ばしていた。
 あっ、と一声叫ぶ間もなく、大八はそのまま息が絶えてしまった。沼藺は、その子を抱きしめながら横に転んでよよと泣く。
 しかし房八はそれをものともせず、
「信乃は本当に奥の座敷にいるのだな」
 と進み出す。
 その向かいに小文吾が立ち塞がった瞬間、房八は抜き打ちに、拳鋭く斬りつけた。
 小文吾は刀の鍔で受け止めたが、縛めのこよりは断ち切られ、「堪忍」という二文字は今や仇敵となり、反故となってしまったのだ。恨みの切っ先を抜き放ち、房八と丁々発止と鎬を互いに削っていく。
 太刀風は辺りを震わせて、二人は戦い始めた。

 沼藺はようやく身を起こして見てみれば、我が子はすでに息絶えてしまっている。
「これはどうしたことか、大八大八」
 と泣き、そして恨み、見上げれば、兄と夫は何度も切り結んで、生死の境にいる。この子の命も惜しいし、二人は危地にいる。
 夫には去られ、離縁を申しつけられ、子供は殺されて、我が身一つだけなまじ生き延びても、この先生きていく甲斐はない地獄の苦しみなのだ。
 ふと沼藺は思った。刃の中で、この生命、絶えてしまうのであれば絶えてしまえよと。たちまちにしてその気になり、覚悟を決め、抱いていた大八を床に投げ捨てた。
 悲しみのあまり、少しも疑うことなく、
「二人とも情けないったらありはしない。短慮のあまり、気でも狂ったのですか、お止め下さい」
 と呼び掛けて、打ち合う白刃の中に入ろうとする。
 小文吾は、
「危ない、どけ」
 とにらみ、近づけさせまいとしたが、沼藺はまとわりつく様にして離れない。争いを止めさせようとする女の執念は、夫の懐に身を投げ掛けるのだった。
 しかし房八はすがる妻をすかさず振り払い、眼を見開いて、
「邪魔をするな」
 と蹴倒した。


【白刃交わる時、小児、誤って蹴り殺される】

 

愁嘆場、古那屋の惨劇です。

大八は蹴り殺され、義兄弟は刀で斬り合っています。

おぬいちゃんの絶望をただ月が冷たく見つめているのです。

 

 髪留めが折れて飛び散り、結び目さえちぎれて、ざんばと広がる乱れ髪。苦しみに喘ぎながらも、夫の足を抱くも、また踏み倒されてしまった。
 再び起き上がろうとするが、その頭上に煌いたのは夫の刃である。
 踏み込んで小文吾を撃とうとした手元が、どうしたか狂って沼藺の胸元を斬った。急所への深手に一瞬も耐えられずに、あっと叫んで倒れ込んだ。
 しまった、と驚く房八の隙を狙って、今だと小文吾が閃かした稲妻の様な白刃が肩先を切り裂いていく。
 握っていた刀を振り落して、尻もちを突いて座り込んでしまった房八を再び斬ろうと振り上げた小文吾の刃の下、当の房八はこう言った。
「待て、犬田、言いたいことがある」
 と慌てて左手を突き出し、首を上げた。深手の苦痛の中、蜻蛉の様な吐息である。
 小文吾は不審に思って、しかし少しも油断はせずに、血に濡れた刀を握り直して、片膝を突いた。そしてきっとにらんで、
「卑怯だぞ、山林。言いたいことがあればさっさと言え。この期に及んで、私に何を言う」
 とたしなめると、房八は眼を大きく見開いて、
「そんな疑いはもっともなことだが、本心を初めから明かせば、義を守ることに熱心なあなたは、どうしても俺を斬ることができなかったはずだ。とにかくまずはこの傷を」
 と手を上げた。
 小文吾はなおも納得できないでいたが、刃に着いた鮮血を拭ってから急いで鞘に納めた。服の袖をちぎって、手拭いと結んで、房八の傷口にしっかりと巻いて端を結んでやった。
「おい、房八。傷口は浅い。さあ、言うべきことがあるなら言え。聞いてやる。どういうことなのだ、山林房八よ」
 呼ばれた房八は息を吐いてから、
「なあ、義兄上、いや犬田殿」
 口調も呼び方もまったく変わっている。
「栞崎で理不尽だと思っただろう、俺の態度を。あれは、かねてよりあなたを怒らせて、あなたに俺を討たせて、この難局を救おうと思ったのだ。しかしうまくは行かず、あなたの父上の言いつけで忍び耐える教えを守ることにはどうしようもなく、世にも珍しい本当の大勇、勇気に恥じることしかできず、逃げたのだ。しかし諦める訳にもいかず、母とは前から示し合わせており、沼藺を離縁にかこつけて、また今晩あなたの顔色を窺って、もう一度押し掛けてようやく本懐を遂げることができた」
 と打ち明けたが、小文吾は眉をひそめて、
「分からん、山林。私は確かに沼藺の兄ではあるが、お前に大きな恩を与えたことなどない。それなのに、その身を滅ぼすまでに志を尽くすという。それが一つ目の疑問だ。たとえお前が志とやらを持って、大切な命を落としたとしても、今宵に迫ってきた私の難題が解決すはしない。これが二つ目の疑問だ。お前、何か他にもあるな」
 と問い詰めると、房八は小文吾の声を聞いて、自分を励ましたかの様に、
「そうだ、そのことなのだ。話は長いが聞いて欲しい。輪廻転生の話、因果応報の道理、ものの本で眼にしたことはあるが、自分の身の上に起きることとは一切思っていなかった。これもはかなき今際の懺悔と思って欲しい。話すのも面目なきことながら、一昨年の秋、世を去った俺の父が危篤になったころ、密かに母と俺を枕元に呼び、こう言ったのだ」
 房八は今際の懺悔を語り出した。

 自分はここの召使いであったが、やがて主人になり、一子の房八も立派に成長した。
 年齢は五十を越えており、最後の望みは分不相応というものだが、心に恥じることがあるのだ。
 妻の戸山はもちろん、息子の房八にも、素性を明らかにしていない。思っていることを言わずに、もし死んでしまえば、冥土に行く時の心残りとなる。
 だから密かにお前たちに言っておきたいのだ。

 そもそも自分の父は、杣木朴平と呼ばれた安房の青海巷村の百姓だった。百姓ながら武芸をたしなむ性質で、ことさらに侠気があった。
 それ故に元の領主、神余長狭介光弘様の譜代の忠臣、金碗八郎孝吉殿の武名の高さをしきりに敬慕して、その剣法の技を受けようとして、金碗殿のお家にお仕えしたことがあった。
 しかしまた数年が過ぎて、佞臣山下定包が神余様の執権となり、みだりにご領主に酒を勧めて、民を虐げることになった。そして謀反の兆しを現わす様になったが、神余光弘様は一向にお気づきにならず、金碗八郎殿はもちろん、主を諫めるものは皆、主家を追われる様になり、とうとうお家は乱れに乱れてしまった。

 自分の父はまた義侠心のある人だった。
 里の人たちのため、金碗殿のために怒り、そして憤り、どうにかして山下定包を討とうとして、同志の友人である洲崎無垢三という立派な男子と語り合った。
 例の山下定包の物見遊山を狙って、落羽畷で待伏せし、乗っていた馬を矢で狙って射落としたのだが、実はそれは仇の定包ではなく、ご領主神余光弘様であったのだ。

 洲崎無垢三はその場で討たれ、自分の父はご領主の近臣である那古七郎と決戦して、七郎を斬り倒したものの、その身は遂に生け捕られて、やがて処刑された。
 この件の間違いは皆すべて山下定包の奸計だったのに、父は何とはなく迷い、思い惑って、遂にはご領主を殺めてしまった。そして金碗殿は里見氏をお助けして、功成り、名を上げた後に、いただいた俸禄を返上してご自害なさった。
 これも父が原因と聞いている。

 当時、私は十四歳、母は先に亡くなってしまっている。独り、安房の国を逃げ出して、この市川の地に流れ着いたが、里の人のお力でここの召使いになった。
 それから数年して心を込めて精一杯お仕えしていたら、前の主人に大変喜んでいただき、それなりの者と認められたのだろう、跡を継ぐ男児がいないため、そなた、戸山の婿にしていただいた。

 ところが去年から親戚となった房八の舅殿の行徳の文五兵衛は、那古七郎の弟ではないか。今年、初めて耳にした。
 文五兵衛の婿は、兄の仇である杣木朴平の孫である、と他人様の口からでも伝え聞けば、どうして娘をおめおめと房八のところに置いておくだろうか。破談になること、間違いなしだ。
 今は知られていないからこそ、誰も文句も言わないが、このまま過去の恨み、因縁を隠したまま、過ごして行けば、きっと子孫に災いを起こすことになると思う。
 しかしながら、沼藺は賢く、他人様も羨む見事な嫁だ。早くに授かった孫は、まだ乳房が恋しい年齢であるのに、母と別れさせるのは、とても酷く、辛いことだ。那古七郎の弟と知らずに親戚になってしまったのは、悪い宿命とも言える。孫の拳が普通の人と違うのも、今後三世の後まで恨みを引いてしまった神余様、那古殿、金碗殿の祟りか、と思い悩んで病み患ってしまった。

 私の死期は、もう間もない。
 他人様の恨みを解こうとするなら、陰徳、つまり人知れず、密かに行う良い行いより良いものはない。
 房八、お前は親に代わって、祖父の杣木朴平のために汚名をそそぎ、この古い怨恨を解いてくれるのであれば、この上ない親孝行となる。
 また房八は祖父に似て侠気があり、武芸を好む男だ。義のためには命を惜しむはずもない。
 戸山よ、お前も母として、心を強くして、我が子を諫め、そして励ましなさい。

 と俺の父は密かに遺言されたのだ。

 亡父は義理に対して明るく、懸命であったことは、すでにご存じの通りだ。
 俺は父に及ばずとも、子供としてその志を継がなくてはならないと決意した。祖父の汚名をそそぐために、杣木の名前から杣の字の部首の木へんを取って、木の字に合わせて、自分から山林と名乗ったのは、そのころからのことだ。
 このことを舅である文五兵衛殿とあなたの親子に早く申し上げるべきだったが、人一倍の努力を尽くしてから堂々と遺言の内容を話そうと思っていたものの、その機会もなく誠意を示すことが出来なかった。

 あの日、八幡の相撲では、あなたと俺が目当てにされて、修験者の求めに応じたが、俺は元々勝負を好まず、技も力もあなたに勝つべくもない。怪我してでも勝ってはならないと思いながら、果たして負けてしまったのは望外の喜びでもあった。負けたことをどうして妬ましく思うことがあるというのだ。
 それをとやかく言うのは、事情を知らない者の浅知恵というしかない。

 そして昨日は、祇園祭の神輿洗いを見物しようとこの浜にやって来た。舅の文五兵衛にご挨拶しようと思いながら、入江橋を渡ったところで、舅殿が遥か遠くの水辺の葦の中の船で、見慣れない怪しい二人の若者と語り合っているのを見た。

 

【入江橋】

現在の市川は入江橋。北から南に向かっての一枚。

 

 大声ではしたなく声を掛ける訳にもいかず、近くに寄って思わず立ち聞きしてしまうと、犬塚殿と犬飼殿の宿縁による出会いの物語、あなたもまた二人と同じ様な珠があり、痣まであるという似た境遇にある話を聞いて、俺は俄然感激したのだ。
 しかし今更ながら、出るに出られず、葦の原に隠れたまんま、独りつくづくと考えたのだ、俺にも似たような珠と痣さえあれば、あの人たちの仲間に加わって、言わば世の豪傑などと言われるはずだろうと。
 しかしそんなものはないし、祖父の過去の悪縁があり、皆さんと義兄弟の契りを結ぼうと思っても、許される訳もない。
 だが義兄弟にはなれなくとも、ここは千葉様の領地で、古河の御所のお味方だ。犬塚殿、犬飼殿が詮索されて、困難に陥ることがあれば、密かに舅殿と合力して、命を落とすようなことがあっても、皆さんの危機を必ずお助けしよう。
 そうすれば父の遺言を果たせるし、今がその時だと、心の中で思い定めた。

 日が暮れてから、お二人は古那屋へ主人の舅殿に伴われて向い、あなたは一人留まって、城からの船を押し流したり、血の付いた衣服を背負って、帰ろうとしていた。
 その時は胸が一杯で感動していたので、何か言おうと葦原から飛び出してしまったが、結局何も言えずにあなたを引き止めてしまった。
 あなたは俺を曲者だと思って、振り払って拒絶する態度だったから、とうとう声も掛けられず、しばらく争うことになってしまった。俺は脇腹を強く打たれて、倒れている間に、あなたは走り去ってしまったのだ。
 あとにはあなたが落とした麻衣だけが残っていた。もし他人に拾われてしまえば災いの種になると思って、すぐに拾って、夜更けに家に帰った。
 母にまだ何も言っていないのに、早くも犬塚殿を生捕りする触れが村長から出ていた。
 その時俺はまた思ったのだ。
 俺の舅は旅籠屋の主人である。犬塚殿、犬飼殿を匿おうとしても、人の出入りが多いから、すぐにばれて、二人はもちろん、舅殿とあなたの親子も罰せられるだろう。だからと言って、今更、あなたと義を結んだ人々を追い出す訳にはいかない。
 今こそ俺が命を懸けて、あなた達の危急存亡を救わなくては、遂に助かる道はないと思った。

 昨日、入江の葦原でつくづくと良く見たが、例の犬塚氏の面影は俺の顔に似ているようだ。

 だから俺のこの首を大塚殿の首と偽り、古河の御使者に渡してしまえば、舅親子に祟りもなく、犬塚殿を無事落ち延びさせることができる、当座はこれより良い方法はない。

 しかし似ていないところがあって、俺は相撲が好むが故に、前髪を切らなければ、顔つきは似ていると言っても、そのままでは騙すことは難しい。
 と気づいたが、とにかく時間がない。
 八幡の相撲に負けたので、生涯土俵に足を踏み入れまい、と言ってはみたものの、今朝、急いで前髪を切って鏡を見てみれば、年のころも顔つきさえ、犬塚殿に良く似ているのだ。
 そこでいよいよ覚悟を決めて決心し、密かに母に俺が決意したことを告げた。もちろん母は涙を浮かべてお許しになるはずもなかった。
 俺もさすがにお許しをいただくことを諦めて、しかし自決の遺書を母上がご覧になり、もう止められないと思われたのか、お泣きになりながらようやくお許しになった。
 俺の母上もまた義理に篤く、男勝りなところがあるので、今生の暇乞いとして、思うことを存分に言い尽くした。

 事情を知らずに気の毒であったが、急いで沼藺を離縁することにした。実家へ帰すと説明し、その後のことは母に任せた。
 俺は浜に向かったが、思い掛けず栞崎で、あなたが古那屋に帰るところに出会った。都合の良いことに、誰も通る者はいない。討たれるには、ちょうど良い場所だと思った。
 あなたは身代わりのことを知らずとも、犬塚殿と俺の顔が似ていると誰でも思うはずだから、俺が死んだ後、俺の首を犬塚殿の身代わりに使えるはず、とあなたが気づかないはずはない。
 そう思えば、ちっとも迷わず、浜での喧嘩にかこつけて、理不尽に責めて、罵り、蹴倒してやった。
 しかし、尚もあなたは争わず、お父上のことを思って耐え忍んだ。見上げたその孝心にはなすすべもなく、とうとう殺されるという本意を遂げられずに別れることとなった。
 その帰り道、酒を飲もうと誘ってきた観得を先に行かせてたり、追いついてはまた先に行かせたりしている間に、稲塚の近くまで来た時だ、あなたはまた危険に直面していた。

 古河から犬塚殿捕縛の大将、新織帆大夫とやらの軍勢に取り囲まれて、あまつさえ舅の文五兵衛殿が縛られて、連行されていた。
 舅殿、いけないと俺の胸は騒いだが、いかんせんお救いできる手立てもなく、藪の陰に隠れて一部始終を見聞きすることしかできなかった。その後、あなたは古河の虎口から逃れて、家路に急いで向かって行ったが、いなくなった後に一通の紙が残っていた。
 拾い上げてみれば、犬塚殿の人相書きだった。麻衣と言い、人相書と言い、不思議なことに他人には拾われず、俺の手に入ったのはせめてもの幸いだった。

 今宵こそ俺は本意を遂げてやろうと誓った俺は、心に勇気が湧いた。
 前に示し合わせた通り、他の宿で密かに母が来るのを待ち、母が来ると更に打合せをして、例の人相書きを渡した。それはあなたに心をかき乱し、騒がして、そして今晩こそ討たれるためだったのだ。

 そのため夜の間は裏門の辺りに忍んでいたので、犬塚殿の大病のことも、あなたの苦心も良く知っている。
 
 義兄上。どうか。

 山林房八は長い語りを続けている。
 一度言葉を切って、小文吾の顔を見つめた。黙る小文吾に対して、また房八は続けた。

 俺の願いは、兄貴、いや犬田殿。
 俺の首を取って、役に立てて、舅殿の縄目と犬塚殿の危機を救う手段を巡らせて、我が家の古い宿怨を晴らして欲しい。
 晴らしてくれたならば、これを俺は最期の功としたい。
 昔、祖父の杣木朴平は山下定包を討とうとして、領主を討ってしまった。あまつさえ、那古七郎殿を討ち取ってしまい、このためにその師であり旧主でもある金碗殿の腹を切らせてしまった。
 しかしその孫の、この房八が今回の義烈によって、犬塚殿という孝子、義人の無実の罪と古那屋文五兵衛という舅の縄目を解いたと、言い伝えに残して下さるのであれば、祖父の汚名をそそぎ、父の遺訓も空しくせず、死んでも名誉となり俺の喜びとなる。
 百歳の寿命を持って、富豪になったり貴人になるよりも、それに増すことはない。

 しかし、俺の名誉のことよりも尚、可哀想なのは沼藺と大八だ。
 親子三人が同じ日、同じところで命を落とすなど、これまた祖父の悪縁による報いなのかもしれない。
 妻には少しも意中の秘密を言っていなかった。怒りに任せて離別すると思ってたはずだから、きっと俺を恨んでいたはずだ。
 俺はこの件を必死に究めようとしてはいたものの、沼藺は年はまだ二十歳にならず、俺が死んだ後は未亡人のまま過ごさせるのは気の毒だ。だからこのことにかこつけて離別してやれば、却って沼藺のためになる、と思ったがために、冷たくあしらってしまったことが残念だ。
 こうなると前から分かっていれば、実家に戻すのではなかった。
 大八をつけてやったのは、大きくなるまでの間、伯父上、つまりあなたに託して育ててもらおうと頼むつもりだった。
 しかし考えは裏目に出てしまった。過ちとは言いながら、妻も子も手に掛けて殺してしまい、遂に俺自身をも殺すことになる。輪廻応報とはここまで運命を縛るものなのか、犬田殿。

 こんな悪縁を結んでしまったが故に、沼藺の横死は夫の悪縁の報いが祟ったもの、舅殿のお嘆きもあなたの恨みも想像だに面目もない。
 義兄上、いや犬田小文吾殿、どうか許して下さい。

 房八の長い懺悔が終わった。血涙の告白であった。
 血に染まった左手を上げて拝むほどに、心の中の誠を告白したその先祖に対する孝行心と小文吾たちに対するその節義。
 傷の深手に屈することなく長い長い物語に、小文吾は耳を傾けて、そして左手で胸を叩いて感動した。
 そして涙を払って、
「思い掛けないことを言うものだ、山林。お前は親の遺言を守って、旧い怨恨を解決するため、自分の身を殺して仁をなそうとする。その心情こそ真に素晴らしい」
 更に続けた。
「お前の祖父が誤って犯した罪は重くても、子孫、三代過ぎた今になってその汚名をそそごうとするその孝行心は、この日の本にも中国にも多くはないはずだ」
 房八は力なく笑みを浮かべる。
「犬塚殿の面影は、お前とよく似ている。しかし歴代のご主君のために身を殺して、死の代わりを務めようとする忠臣など稀だ。お前と私は親戚だが、犬塚殿はお前の知り合いではない。また八幡の相撲によって、私のことを不快に思っている様に見えたから、今回の危難に困っていても、苦しみをお前に告げて知恵でも借りようとも思わなかったのだ。まして身代わりのことなど、思いもつかず考えもしなかった」
 小文吾は房八の腕を掴んで倒れない様に支えた。
「しかし今思いもしなかった助けを得て、父の縄目を解く方法と私の義兄弟の命を救う手立てになることが分かり、意外なことで嬉しいが、しかしまた哀しさもひとしおだ。人を殺して、人を救うことなど、元から私の願いではない。犬塚殿も同じはずだ。しかし」
 自分に言い聞かせているのである。
「しかしながら、今更、お前の願いを断って、言うことに従わないということは、水に懲りて湯を辞す、つまり無駄なことだ。お前をここで犬死にさせても何の役に立たない」
 房八は微かにうなづいた。
「また沼藺と大八の不慮の死を遂げてしまったのは、思わぬ災いだった。哀悼の涙が胸に満ち、無念の思いがはらわたを断つが、すべては天の定めた薄命の致すところ、嘆く他になす術もない。しかし妹が刃に向かって身を殺してしまったのは、犬死にではない」
 房八の息が弱くなってきていると小文吾は感じた。
「我が家には、破傷風の変わった処方が言伝えられている。男女、それも若い者の鮮血をそれぞれ五合ずつ採って合した上で、傷に注いで洗えば、死にかけている者の魂を呼び戻して、その傷をも治すこと、箒が塵芥を払うように百発百中で間違いないらしい。例えるなら弓の達人、養由基が百歩離れた先から柳の葉を射ったかのように、効くらしい」
 小文吾は力を込めて話し続けていく。
「そしてこれは、我が伯父の那古七郎の言伝えである、と父から口授された処方であるが、求めてそう簡単に手に入る薬ではないから、施すのは容易なことではないと思っていた。犬塚殿は明け方から破傷風で命が危ない。そのために犬飼殿は、武蔵の国の芝浦に良い薬があると聞いて、それを求めて人目を忍んで今朝から向かっている。しかし道は遠く、いまだお帰りではない。例えお前の言う通りに任せて、今宵の危機を切り抜けたとしても、犬塚殿の命が尽きてしまえば、すべては徒労に終わる。しかし」
 涙をこぼして小文吾は言う。
「沼藺の突然の落命によって、図らずも男女の鮮血を入手することができる。不幸中の幸いとは正にこのことなのだろう。天か人か、望むところはただ塞翁が馬、うまり人生における幸と不幸は予測できず、何がきっかけで良いことや悪いことが起こるかまったく分からない。これはもしかして、犬塚殿の日頃の孝心と義を重んじて行う力が世の中で優れているため、それを憐れみなさった神明仏陀のお導きによるものかもしれないぞ」
 小文吾は房八の身体を揺すって叫ぶ様に言った。
「安心しろ、山林、お前と私の前世は共に殺し合った仇敵かもしれないが、今や旧怨は氷解した。恩義は千引の岩よりも重く、お前の功徳を長く言い伝えて、正義を重んじることのお手本にしよう。そうは言っても、これほどまでに逞しく、また志のある勇士を、あの珠がなくても、また少しばかりの痣がなくても、我らの同志に加えられたら、今後ずっと頼もしかったというのに。親子三人が一緒にここで命を落とすなど、無念以外の何でもない。賢くあられて、また雄々しくもある義母上と言えども、このことをお知りになれば、さぞかし気を落とされて、お嘆きになるだろう。ああ、何という痛ましいことか、どうしたら良いのだろう」
 義理に縛られた愛する人や大切な人と、いつかは必ず別れなければならない苦しみに嘆く他はなかった。

 そしてこの浮世は辛く、無情だった。丑三つの鐘の音が遠く響き、小文吾はただ切なく聞いた。

 

(続くかも……)

 

若桜鬼ヶ城に再び登ってきました

2026年6月6日若桜鬼ヶ城に再び登ってきました。

続日本100名城168番目、今回で2回目です。

以前の探索記はこちら。

fools-talk-to-oneself.hatenablog.jp

前回は車でした、今回は鉄道で挑みますね^^

しかし関西は梅雨に突入したので、天気予報を見ながらドキドキでした。

大阪駅発7時38分発特急スーパーはくと1号に乗ります。

この1号という響きにそそられるものがありますね(笑)

どうしてもこの特急のヘッドが、蒼き流星SPTレイズナーに見えちゃうのです。

www.youtube.com

1号車3列目でした。

眺めはこんな感じ(*´▽`*)開放的で素晴らしいです!!

あ、上のぬいぐるみは2列目の方のものです。気にしないで下さい^^

明石駅を通過、瞬間的に明石城坤櫓が見えました!

この後は眠り鉄で2時間後、郡家駅(こおげえき)に到着、乗換えますよ、若桜鉄道に。

30分後ようやく若桜駅に着きました~大阪から3時間ですよ、ここは遠いのです(-_-;)

10時40分若桜駅です。前もこんな感じの駅舎の写真を撮りました。

若桜駅周辺の観光地図。

出た、氷ノ山!!名前が禍々しくて、冬に登ったら絶対に凍死してしまう予感( ゚Д゚)

まずは駅前の若桜町観光協会に訪問。

いやあ、素敵な若桜鉄道のポスター。

桜の季節、凄そうです^^

続いてお城カード入手!ミッションクリア。

こちらもこの3月登場なんですよ。来た甲斐があるってものです。

受付の方とお話していたら、クリアファイルを頂戴しました、ありがとうございます。

登山地図もいただきました、往復2時間掛かると注意されました。

登山口に向かって歩きます。10分ほど歩きますと……

こ、これが登山口!?

ちょっと想定外の厳しそうな感じです(-_-;)

朽ち果てた史跡若桜鬼ヶ城の表示。

登りますよ~熊鈴セットオン!!

いきなり傾斜が厳しいのです。

道幅は広かったり、狭かったり、安定しません。

歩いて15分、手すりが出てきました。

あずまやです、暑いのでちょっと休憩しますね^^

遺構の説明が描かれておりますが、暑くて頭に入りません(笑)

今度は四差路です(-_-;)後600メートルですって。

どんどこ登ります。

自然石ではなく、石垣の遺構みたいなものが現れました。

後15分!?

森が終わって開けましたよ、頑張りましょう!!

三の丸まで90メートルです。

後一息とか煽られております(笑)

ここまで来ると石垣がたくさん見えます。

しかし登り口を見失ってしまいました、適当に山道を苦戦しながら登ることができました。

三の丸広場です。

結構広いのです。右手にまたもやあずまやがあります。

すぐ二の丸に入ります。もう石垣がゴロゴロ。

虎口もしっかりきっちりと。

山中鹿之助が入城しておりますよ。

本丸付近を探索しましょう。

六角石垣、気になりますね!?

いざ本丸へ!と思いましたが二の丸周辺を探索します。

二の丸も広いです、山の上ですが結構スペースがあるのですねえ。

石垣に直撃しまーす!!

中に進みましょう。

要塞の中に踏み分けていく感じです。

あれが天守台!!行きましょう、行きましょう。

↑が但馬方面、斜め右方面が播磨方面。木の陰に隠れてしまいましたが、氷ノ山がわずかに見えております。

やっと天守台に入りますね。

ちょっと足場が悪い感じ、よいしょっと。

天守台の跡には何もございません( ;∀;)

ちょうど12時になりました。登山口から1時間弱ですので、観光案内所のお姉さんの言う通りでしたね。

氷ノ山が一番良く見えました。この季節は凍っていない感じかな。

天守台を降りて周りを巡ってみます。

本丸の横にも道があります、進んでみますね。

右に行くと例の六角石垣に行けそうですが……先に奥へ行ってみます。

北側の枡形虎口です。

こんな高台にまで、良く石垣を運び入れましたね。

周辺を歩き回ります。

右の柵は恐らく弱い電流が走っているはずです。感電しないよう注意しますね。

ここがどうやら登れます、いや登れるみたい(笑)

本丸北側から見上げますね。うーんこれ以上は行けないですね。

では例の六角石垣を探索しましょう。

急な坂を降りて探します、これかな?

これでしょうか?

これではなさそうですね。うーん、六角石垣の場所が見つかりません。

12時半手前ですので、踏ん切りをつけましょう。

今このブログで熱い話題の蛇いちごをまた発見です!!

この山は豊作ですね^^

本丸の虎口を降りてみましたが……何と道が消失していました!!(´・ω・`)

弱りましたので下り道を探します……

あった、ありました、これです。

結構急ですが何とか降りられそうです。

先ほど登りの際は、あの赤いコーンを突破して登り口を見つけたんです^^

すいません、悪い子で(´・ω・`)

 

後はずんずん降りて行くだけ……あれ、沢なんか通りましたかねえ。

沢ガニ発見です!!

いや違うな、また道を間違えています。

調べた結果、あの四差路で道を間違えたことが分かりました。

軌道修正ですテヘペロ

おーあずまやです、今度は正しく降りてきたみたい(*´▽`*)

下界に無事到着。ここは八幡広場でゲートボール場なんです。

奥は体育館ですね。

今日のヤマレコ。

約2時間約3キロを彷徨いました。

マンホールにお城はなし。

氷ノ山と太陽か月か、そして雪の結晶と鯉?

 

13時23分、お腹が空きました。

前に行った道の駅でお昼をいただきましょうか。

道の駅若桜桜ん坊さんです、甘えん坊ではないので念のため。

michinoeki-sakuranbou.com

早速覗きましょう。帰りのバスの時間が、そう帰りはバスで郡家駅に行くのです、迫っております。

あっ、ツバメが飛んでいますよ~

こちらはジビエ料理の鹿のすき丼、とろろ付きで980円!

鹿なんてあまり食べないのですが、奈良や広島では神獣ですしね(笑)

美味いのですよ。すき丼に使った部位は足、とのことでした。ふむふむ。

道の駅は若桜鉄道若桜駅の近くなのです。

車両を見ながら、バス停へ。

!!

JA農協さんに、前首相のポスターが貼ってありました。

鳥取が地盤でしたね。

この人を見ていると、後ろから味方を撃ってはなりません、とかハッキリものを言いましょう、とか思ってしまうのです。おっとすいません。

 

バス停へ急げ、バス停へ。

無事乗れました。

可愛い兎がおります、因幡の白兎ってやつですね。

JR郡家駅に着きました。すぐにJR因美線が入線してきましたよ。

郡家駅はしかしこおげってなかなか読めないですね(-_-;)

難読地名ですよ、まったく。

そして……!!

因美線からお城がぽつんと見えました。

www.kawahara-shiro.com

河原城だそうですよ。ふるさと創生事業で作られた模擬天守で、犬山城をモデルにしているそうです。

愛称は若鮎城^^

そうこうしているうちに智頭駅に着きました。

ここで今度は第3セクターの智頭急行に乗って、上郡駅へ。

お星様キラキラのあまつぼし、カッコ良い!!

ピンク色の恋山形駅。

林家ぺーさんかパー子さんか(笑)

凄い色合いです( ゚Д゚)

 

この後は宮本武蔵出身の宮本武蔵駅、利神城の平福駅、上月城の佐用駅、白旗城の河野原円心駅を次々と通過していきます。

私はその間、眠り鉄(笑)

上郡駅に着きました~16時50分。

この後は相生駅に出て、更に新快速に乗って大阪方面に向かいます。

帰りはひたすらローカル線の旅なのですよ^^

 

でわ。