信乃は小文吾の話す物語をじっくりと聞き終えた後、感心しながらこう言った。
「私が子供のころ家で飼っていた犬のことは、昨夜小文吾殿親子に申上げた通りです。その際に法師様がいらっしゃれば立ち聞きされたのかもしれません。その犬はとても大きく、与四郎と名づけた訳は、その全身に白黒八つの斑毛があり、足はすべて白かったからです。本来なら四白と呼ぶべきところを、訛って与四郎と呼ぶ様になりました。後に与四郎が死んだ時、庭に埋めた次の年の春、埋めた場所の近くの梅の木に、非常に珍しい実を結びました。一つの枝に八つの実がなったのですよ。世に言う八房の梅です」
信乃は少年時代を思い出し、感傷的になった。あの時には額蔵もいた。
「そしてその梅の実に、仁義の八行の文字が現れまして、それはもう鮮やかで、はっきりと読むことができました。数日経ってから、文字こそ消えましたが、梅の種は今でも持っています。犬の与四郎は、私の母が思いがけず入手した珠を飲んでいました。それを知らないで、年月が経ってから、珠は犬の傷口から忽然と現れて、私は入手したのです」
あの愛犬を斬った時の感触は、今も忘れられない。苦い思い出でもあった。
「梅の異名を木母と言います。木母はつまり母の木、という意味ですね。この子の珠と私の珠は、それぞれの母から出てきたのです。また梅の実が八房になり、犬の与四郎には八つの斑毛があり、皆自然に因縁があったのを、ここでようやく気づきました。いえ、それだけではありません」
小文吾と親兵衛の顔を眺めてから話を続けた。
「梅の実に八行の文字が現れたのも、私と犬川荘助の他に六人の勇士がいて、良く似た珠と痣を持っているはずだとお告げ下さる伏姫君の神霊がなさる神事に間違いないでしょう。事実、犬の八房の名を逆にした房八殿、沼藺殿の血液がなく、他の男女の血を注いだとしても、私の難病がここまで早く治ることはなかったでしょう。まして二人の血を入れた法螺貝は、修験道の法具です。役行者のご利益もあったのかもしれません。とにもかくにも、このお二人のご夫婦は、私の復活の恩人です。ああ、残念なことに、悔しいことに、その身は犬士の仲間に入れず、しかし子供に犬士を譲ることによってか、この世での生を早く終えてしまうことが哀しい。今は梅の実の八つの文字は消えてしまったけれども、八房の梅と房八夫妻には、名詮自性、名が本質を表すという義があるのです。梅の種を夫婦の墓に埋めて、末代まで功徳の証とします。だから二人の子である大八、いや親兵衛は、我が骨肉の弟と同じです。何年かの後、里見殿にお仕えしたとして、ともに戦場に臨めば、私は必ずこの子を助けて、また敵をすべて倒してとしたら功は譲りましょう」
信乃の声には熱が入る。
「もしその戦いに苦戦すれば、近づく敵を斬り払い、或いは矢面に立って、もし死んだとしても今宵私が受けた復活再生の恩に答えます。返す返すも、山林房八殿よ、今、この時点で命を失いゆくとは、何も例えることができません。悲しくてやりきれません」
と友を思い、心を誠実に示した信乃は、懐に入れておいたお守りの中に収めていた梅の種を取り出した。それを死にゆく房八に見せた。
この梅の種は、後年房八と沼藺の夫婦の墓に蒔かれて、芽を出すこととなる。そして八本の若木となって、実はまた八つの房となったので、里の者はこの梅を房八の梅、或いは八房の梅と呼ぶようになった。
閑話休題、山林房八は、信乃の並々ならない真心を喜んだ。
苦痛に堪えて梅の種を良く見ようと膝を立てて、
「ああ、賢明なリ犬塚殿。あなた様の言葉に博愛の心をとても感じます。私は宿世の縁がなく、犬士には残念ながらなれませんでしたが、金碗殿の子息であるヽ大法師様にお会いすることができました。祖父の罪を許され、とてもかないそうになかった宿願が成就しただけではなく、齢四歳になる大八こと真平は、この親に代わることによって、改めて親兵衛仁(しんべえまさし)と名づけられましたことは、望外の喜び、意外の大幸、そして今際の際の喜びです。これ以上、何を望みましょう」
房八は蒼冷めた顔で微笑む。もう時間はあまりないのは、明らかだった。
「これで我が子は犬士になりました。そしてその伯父に犬田小文吾がいて後見し、犬塚殿を師としてお頼みし、皆様に可愛がっていただけるのなら、両親がいなくても案じることなどありません」
「房八殿」
名を呼ぶ信乃に対して、房八は口を開いた。
「私の面影が不思議なまでに犬塚殿に似ているのも、これらの因果があればこそ、です。それだけではありません、私たち夫婦の墓にも、珠に似ている八房の実がなる梅を墓標として下さるのであれば、員外の犬士と同じだと思う様にいたします。私の望みはもう足りました」
と答える間にも、別れを惜しむ犬士と房八を急がせる様に、ねぐらに向かう鶏の鳴き声がした。夜が明けようとして、乱れ鳴いているのだ。
それに一瞬耳を傾けた房八は、
「早くも夜明けです。東の空が白んできました。いつまでも嘆いていて、時間が遅くなれば、それだけ我が死も無駄になってしまいます。小文吾兄貴、兄貴、介錯を頼む、早く早く」
と焦燥するが、小文吾はもはや断る術もなく、強い覚悟を決めたものの、足も進まず、拳も振り上げられない。おう、と返事だけはしたが、立つこともできなかった。
その時、尼崎照文は、房八や小文吾たちに向かって、
「方々よ、私が言うことを聞きなさい。促そうとしても、惜しもうとも、生死は天然自然の道理であり、人間にはどうすることもできないのだ。昔我が父十郎輝武は、伏姫様が富山にお入りなさった日にお世話をすることを命じられ、直ちに馬を汗が出るほどに鞭打って、姫君を追い掛けた。しかし、あの山の川において、早き瀬を渡ろうとする途中、人馬ともに押し流されて、命を落とした」
尼崎十郎輝武の非業の死ば、あまりにもあっけないものであった。
「だが私は今回君命をお受けして、およそ関八州の賢き者や勇士を探し求めている間に、ヽ大法師に巡り合い、そのお導きによって、伏姫君のお子様に等しい四犬士に相まみえたということは、優れた者を招くという本来の目的をかなえた。山林房八郎は、その義、その勇は犬士に劣らず、非命により生命を今終えるとも、正に里見の家臣である。我が主君の召喚状はここにある。拝受して、房八よ、死出の旅に旅立てば、その子親兵衛が幼くても君臣二世の恩義は深い。没後の栄え、子孫のためにも良いことであろう」
と人を選び出して褒め称えることの意義を述べて、小さな供物台の上に載せた一通の書状を取り上げ、房八の額にかざした。そして小文吾を見返り、
「犬田殿、この意味が分かるか。山林房八郎は今日から里見家の家臣ではあるが、その身はすでに必死の深手を負っている。従って、忠勤を勤める余裕はない。ただ僚友の犬塚信乃の危難に代わり、その決死を救えば、それは主君のためにすることと同じである。これ即ち大いなる忠であり、義である。救いがたい深手の傷と知りながら、いつまで苦痛を与え続けようか。介錯もまた情けなのだ」
尼崎照文が励ます武士の魂を聞いて、小文吾は、もっともなこと、と思い返した。脇差しを引き下げて身を起こすと、当の房八が苦しさの中でにっこりと微笑んだ。
「ことわざに言う、人は武士、世はただ情け。尼崎殿、ご厚意感謝してもしきれません。私は卑しい身分の船長の子に産まれましたが、幸運にも武門の道に入ることができました。そして名誉ある死を得ることができるのです。それでは、兄貴の刃に骨を折らせる手間を取る訳にはいかん。いざ介錯を」
と手のひらを合せて、首筋を伸ばした。
「心得た」
短く言った小文吾が抜き放った刃の光を見て、
「ああっ」
と母の妙真は、身をつんざくよりも堪えがたい叫び声を上げた。
船の板子に打ち寄せる波の飛沫の様に、寄せては砕け、はかなく消えゆく我が子を引き止められず、妙真の胸はきりきりと痛んだ。あふれ出る涙の泉は、もう二度と会えない我が子への別れの悲しみの証だった。
もう声を立てまいと噛み締める袖と一緒に、断腸の思いで哭き沈む。
信乃もさすがに哀悼の思いに胸を痛めて、しかしじっと眺めていると、ヽ大法師が房八の近くに立って、経典を広げて読経を始めた。
静かに授ける念仏の数は十声であり、極楽浄土に行ける様に。夜明けに鳴く鶏の八声は聞こえなかったが、母は哭いた。
まだほの暗い心の闇を照らすともなく、振り上げられた刃の光は煌めき、ねぐらに戻る鶏の羽ばたきの音の様な太刀の音ははかなくも神速で、まるで夢を見ているかの様だった。しかし覚めてみれば、山林房八の死出の旅、惜しくもたった一輪、咲いていた花の散り際は、清き最期であった。
妙真は、息子の告白を聞いていた時からこの様なことは覚悟していたが、思っていたより衝撃を受けて、伏せ沈んだ。そして声を振り絞って泣き叫ぶのである。
すると膝を枕にして寝ていた幼児が、驚いて眼を覚まし、そしてうろうろと辺りを見て、
「父様、ねえ父様」
ともう動かない父に近づこうとする。
小文吾は急いで血に濡れた刀を納めて、亡骸を見せまいと、房八自身が持ってきた信乃の血が付いた麻衣を広げて被せた。
そうとも知らず、幼児は訝しげにまた振り返って、
「母上、いつまで一人で寝ているのですか。お婆様が機嫌を悪くして泣くから、良いものをたくさんお持ちして、お婆様をお慰めして喜ばせたいのです。その代わりに、私にお乳を下さい」
と母の死に顔を覗き込もうとし、更に小さな手を懐へ入れようとする。
妙真はとうとう耐え切れなくなって、急いで幼児を抱き寄せて言った。
「お前の言うことは正しいけれど大八よ、もし百年呼び覚まそうとしても、父は帰らないし、母は起きません。父様母様を慕って、悲しいことを言わないでおくれ。お前が言う度に私の胸が張り裂けてしまいます」
と祖母は嘆く。苦しみと悲しみには必ず涙が伴うものである。
皆、手をこまねき、首を垂れ、何も慰めることもできず、ただ悲しむばかりだった。
その時、外が突然騒がしくなった。何かが投げられる音、叫び声が軒下近くに聞こえたので、皆一緒に驚き立ち上がった。
中でも小文吾はいち早く土間に飛び降りて、潜り戸を外に開けた。
とその瞬間、外からどうと投げ込まれたのが、人間だった。石つぶての様に投げ込まれたのだ。その人間は上がり框(かまち)に頭を打ち、脳を垂れ流してすでに死んでいる。
皆、更に驚いた。信乃は蝋燭に灯を灯して、小文吾が見やすいようにしてやると、死んでいた者は、他でもない、昨夜暴れるためにやっては来たが、すげなく追い返された塩浜の鹹四郎だ。
【現八の勇力、三人の間者を鏖(みなごろし)にす】

右は孟六・犬飼現八・均太
左は小文吾・鹹四郎・照文
さすが捕物の達人、現八。皆殺ししちゃうんですね(´・ω・`)
「これは」
といぶかる間もなく、左右に人を腕で挟んで、誰かがすっと中に入って来た。顔を良く見れば、犬飼現八である。
その現八に捕まえられたのは、鹹四郎と同じ類いの牛根孟六と板扱均太だった。二人は現八の腕力に締め付けられて、眼を剥き、舌を出して、悶え苦しみ、息も出来ないでいる。
信乃はその時現八と代わって玄関に行き、潜り戸を閉めると、現八は二人を一度にどうと投げ重ねて、その上に乗り、膝で挟んで動けなくした。
そのまま小文吾と信乃に向かって、
「私は先に芝浦に行って、破傷風の薬を探し求めたのですが、その薬の店は前に鎌倉へ移ってしまい、今は店はないと言われました。すぐに望みを失い、がっかりして、しかし考えたのですが、ここからまた鎌倉へ行ったとしても、どんなに急いでも、今日か明日には帰れないだろうと。犬塚殿は大病、往還に時間を掛けてしまえば、もし薬を手に入れたとしても、犬塚殿の水が干上がった轍の中の鮒の窮、つまり死の危難を救うことができない」
せっかく芝浦まで行ったのに、店はなかったのだ。
「急いで早く帰って、犬田親子に事情を告げて何とか他の手段がないかと相談しようと、腹の中で考えて、そのまま取って返したのです。少しも休まず、ただひたすらに急ぎに急ぎました。丑三つころに(2時から2時半ごろ)、こちらの門に帰りつきましたが、中から大変悲しそうな皆様の声が聞こえてきました。不審に思いまして、すぐには中に入らず、良く内容を確かめてから入ろうと思いました。外の辺りに佇んでおりましたら、宿の主の文五兵衛殿の危難、山林夫婦、その子のこと、犬塚殿は幸いにも病気が回復したこと、ヽ大法師と尼崎殿のお話はだいたい聞き取ることが出来ました。喜ばしさと悲しさに胸はつぶれてしまい、落ち着かなかったのですが、中に入ろうとしてまた思ったのです。山林は深手を負い、妻はもはや絶命、犬塚殿は不思議と回復していますので、私が今皆様の中に加わったとしても、死人は甦りはしませんし、山林には何もできない。この辺りに何となく気掛かりなことがあって、夜明けまでここにいて、外を守ることが大事、と思ったのです」
気掛かりなこととは何か、と皆が思う間もなく、現八は話した。
「馬を繋ぐ袖垣に身を寄せて、音もさせずに時間を過ごしていると、果たして三人の曲者が」
現八は下の三人を眺めた。
「この三人の曲者が庇の壁を掘って、簀子の下に身を隠しながら、話をすべて聞いていたと思われるのです。蚊に刺された尻を掻き、蜘蛛の巣が掛かった面を撫でながら、三人一斉に庇から蝦蟇の様に這い出て、軒下近くに立って、こう言いました」
現八が更に体重を掛けたため、苦しそうな呻き声がする。
「あの罪人、信乃のことをお前も聞いたか、俺は聞いた、急いで村長に訴え出て、昨夜の恨みを晴らそう、褒美は州浜に、つまり三等分にしよう、さあ急いで走れ、などと囁いて、一斉に抜き足差し足で去ろうとするのです。私は、その後ろからいきなり躍り掛かってやりました。一人目は襟上を掴んで引き戻して、ねじ伏せてやりました。残る二人は、驚いてから怒り出して、私を打とうと拳をかざしてきました。その裾を払って、一回転させてやりました。起き上がろうとした最初の一人をまた掴んで、家の中に投げ込みました」
それが塩浜の鹹四郎という訳である。
「また懲りずに組んで来ようとした二人を左右に挟んで、一人も洩らさず逃がしませんでしたよ。この通りです」
と現八が早口で言うと、それを聞いた小文吾は大いに喜んで、
「この三人の曲者は、塩浜の鹹四郎、牛根孟六、板扱均太と呼ばれて、妻もなく子もない奴らです。その辺りで行う辻相撲を好むのですが、心根が良くない者どもでしたので、近頃は寄せつけたりしませんでした。しかし昨夜、こいつらが押し掛けてきて、いろいろと揉めごとがありました。その恨みを晴らすためか、再び隠れて近づいてきたのでしょう。すべての話を聞かれてしまったのであれば、もう危険です。あなたがそこにいて下さらなかったなら、きっと私たちは大事を誤っていたでしょう。私たちの秘密の話を聞いた奴らなら仕方がない、命はすでに、夏の虫が火に飛び込もうとするがごとく、死に行くのみ。息の根を断って、災いの元を断ってやりましょう。さあ、早く」
すると現八は素早く二人を引き付けて、膝で首の骨を押して思い切りへし折ってしまった。二人の曲者はあっと短く叫んで、もろくも目鼻から血を流して死んでしまうのだった。
源八は、孟六、均太、鹹四郎の死骸を片隅に積み重ねると、布を掛けて覆い隠してしまった。
そして信乃に対して破傷風の病が回復した喜びを述べ、小文吾の苦心をねぎらった。そのまま導かれて、ヽ大法師と尼崎照文に対面して挨拶をした。それから妙真を慰めて、山林夫婦の献身的な犠牲とその義を激賞して悼んだ。更にその子、大八こと親兵衛が犬士の仲間に加わったことを祝った。
その時、小文吾は現八に言った。
「犬飼殿は家の外に立って、ことの顛末をお聞きになったということですから、今更くどくど告げる必要もないでしょう。もう夜は明けてしまいますから、ぐずぐずしていると、追手の新織帆大夫が部下の兵を率いて必ずやって来ます。もし偽の首であざむいたとしても、それだけでは完全ではない。私は首を持って、村長のところに出頭して、父親を助けて帰って来よう」
小文吾は冷静に考えた計略を話した。
「我が家の門をを出たところにすぐ見える橋のそばに、繋いであるのは我が家の釣り船です。水陸を共に固めた古河の兵たちが退散するのを見定めてから、房八と沼藺の亡骸はもちろん皆様方を船に乗せて、密かに市川にある山林の家まで逃げて下さい。現八殿、あなたは前にもこの地に来て、良くご存じでしょうから、だいたいの道案内はできるでしょう。すべてお任せします。よろしいか」
と小声で言うと、それを聞いた現八はうなづき、
「そこら辺りのことはご安心下さい。犬塚殿と相談して、何でもやってみます。夜は明けた様ですが、まだこんなに暗いのは、今朝は深くもやが立ち込めていて、すぐ眼の前も分からないからの様です。鳥の声すら聞こえません。巳の刻(午前10時くらい)ごろにならないと、このもやは決して晴れないと思います。皇天后土、つまり天も地も、私たちの仲間をお助け下さっているのに違いありませんよ。仮に出発が遅くなっても、計略の妨げにはなりません」
と言う。
その時、ヽ大法師は尼崎照文の方を見て、
「既に四犬士がここに集まっている。ご命令をお伝え下さい」
それを聞いた尼崎照文は、信乃、現八、小文吾たちの方を向いて口を開いた。
「先に申上げた通り、各々方は、それぞれ並々ならないご縁があって、里見家と由緒があります。里見家への仕官について記したこのお墨付きをお受けになり、主従の義を固められよ。そして一緒に安房へ帰りましょう。もちろん了承なさいますな」
と皆に知らしめてから、里見家お墨付きの仕官に関する書状を一人ずつに渡していく。
信乃たちは謹んで書状を受けて、しかしそれを尼崎照文に返して言う。
「私たちは幸いにも里見のお家に宿縁がありました。もし後で室町将軍なり関東管領に召されたとしても、決して禄を受けたりはしません。しかし我々五人、もちろん額蔵こと犬川荘助、そして親兵衛を入れて五人の他に、まだ三犬士がいるはずですが、まだ出会っていません。果たして、その三犬士が実在するかどうかは分かりませんが、犬川荘助は既に同列の犬士です。彼独り、この席上に欠けているのは、どうしたら良いでしょう」
信乃は、ヽ大法師と尼崎照文に問い掛けた。
「かの犬川荘助は、元伊豆の北条の荘園管理人であった犬川衛二の一人息子なのです。その母親は尼崎殿の亡父とお聞きした尼崎十郎殿の従妹です。1466年寛正六年の秋、九月、その父犬川衛二は横死し、妻子は追放させられました。その年荘助は六、七歳、幼名を荘之助と言いました。母上は何とか幼児を連れて、水鳥の様に彷徨って、向かった先は安房の国、親族の尼崎殿だけだったのです」
尼崎照文がびくりと反応する。
「しかし安房に向かう途中、その冬のころかと思われますが、武蔵の国まで来た時、大塚の里でお母上が急に亡くなられました。それにより荘之助は、土地の村長、蟇六の召使いにさせられて、額蔵と名づけられた挙句、今も尚村長の家にいます。身は片田舎で成長しましたが、武芸を嗜み、思慮分別がある人ですよ。孝行の人でもあり、信義を重んじます。実に得がたい豪傑なのです。他の人はともかく、私はその犬川荘助と一緒ではないのにお仕えしてしまいますと、彼に対して不義になってしまいます。愚見ですが、私の考えは以上です、どうかご賢察いただければ幸いです」
と信乃は仕官を辞退する。
すると小文吾と現八も声を合せて言った。
「私たちが思うところは犬塚殿と同じです。ひとまず大塚の里に行き、犬川荘助殿に会って、今までの事情を告げなくては。それをしなくては、犬塚殿だけでなく私たちの本意とも違ってしまいます。そしてしばらくの間、武者修行をして、それぞれ武術を鍛錬して、里見殿のために敵国を調べて、その長所短所を調べるなどをすれば、今後役立ちましょう」
ふむ、とヽ大法師と尼崎照文が顔を見合わす。
「またこの五人の他に三犬士がいるのであれば、見つけない訳にはいきません。八犬士すべてが集まって、安房に赴いても遅くはありません。この書状はその日まで、あなたがお預かり下さい」
と考えを述べたので、尼崎照文は感心して、
「三人の謙譲と深い考えは、誠に賢明です。先ほど私は、栞崎では犬田殿の強く耐え忍ぶ姿を見て、その世の常とは違う我慢の心に感動して、世の中に大勇士がいると言っても、犬田殿に増す者はいないと思いました。しかしここに来て、犬塚殿の信義博愛、犬飼殿の遠謀と勇力を見ました。誰を兄として、誰を弟にするか、分かりませんが、皆、共に蓋世の豪傑です」
そして信乃の方を見て、
「犬川荘助が伊豆の北条の荘園管理人である犬川衛二の子であるのなら、私と再従兄弟(はとこ)になる。犬川衛二が横死をして、その家が断絶したことは、最近、北条の地を通った時に里人から聞いたのです。大変気の毒に思っていましたが、その子が無事でいて、犬士の一人だったとは。非常に幸いなことだ。北条は我が父の故郷だったと聞いていたのに、遠くもない親戚の消息すら長年疎遠になってしまい、犬川家の断絶を今年初めて伝え聞いた。戦国の習いとはいえ、是非に及ばず、仕方のないことだ。それはともかく、三犬士の安房入国に関する辞退は、殿への言い訳が難しい」
尼崎照文には彼なりの事情がある。しかし少し考えてから、
「それでは私も一緒に大塚の里に向かい、犬川荘助に会って仕官の書状を授けようと思います。貴僧のご意見をお聞かせ下さい」
と言ってヽ大法師の方を見ると、法師はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いて、
「武蔵国の大塚には管領扇谷配下の武将、大石兵衛尉の城郭がある。もし額蔵こと荘助が皆の言う通りの勇士であるならば、里見のお家から仕官を求むということが先方に早く洩れてしまうと、大石の代官や配下の者が荘助を捕まえてしまい、決してこちら側に渡したりはしないだろう。そんなことになってしまったら、せっかくの惜しい一犬士を失ってしまうことにならないか。拙僧は諸国を行脚の身であるから、大塚へ行き、犬川荘助に対面して仕官のことを伝えても、余人にも疑われることはないだろう。しかしそうは言っても、尼崎殿、たまたま四犬士と知合いながら、その一人も連れて行かずに安房へ帰ってしまうと、何を土産に、何を証拠に復命を申し上げるおつもりか」
今度はふむ、と尼崎照文が詰まる。しかしヽ大法師には考えがあった。
「だから犬江親兵衛とその祖母、妙真殿をお連れしなさい。親兵衛が安房にいれば、他の犬士は招かなくても、最後には参り、そして集まるだろう。拙僧も一度故郷に帰って、ご主君義実公にお眼に掛からんことを願ってはいない訳ではないのだが、昔失った八つの珠がいまだ完全に集まっていないのに戻ることはできない。だからこそ満願の時が来た時こそ、七犬士を伴って殿の元に見参しようと思う。よってその書状は、拙僧がしばらく預かろう。犬塚、犬田、犬飼、お前たちはまず市川まで戻って、それから一刻も早く大塚の里に行きなさい。内密にことの次第を荘助に告げるがよろしかろう。拙僧は山林夫婦のために追善の読経をしてから、後に大塚へ参ろう。良いな、従いなさい」
と言うと、尼崎照文は大いに喜び、別に四通の書状を取り出して、併せて七通をヽ大法師に渡してやった。
その時、親兵衛を抱いた妙真が、ヽ大法師と尼崎照文に近づいて言った。
「こんな小さな幼児をはるばる安房へお召しになるとのこと、こよなく幸いなことではございますが、三犬士すら辞退されております。それなのに物の数にも入らない親兵衛が、独り先立ってお仕えしてもよいのでしょうか。先に進むのも退くのも、他の犬士の方々と一緒に、とおっしゃっていただくお情けをちょうだいできませんか。今、孫だけをお召しになるのは、何分にも後ろめたいのでございます」
と言う。
もっともな言い分なので、小文吾は甥のためにも言葉を添えて、
「親兵衛を私たちと一緒に」
と親兵衛の安房行きを断ろうとしたが、尼崎照文は一向に許す気色もなく、妙真と小文吾を翻意させるために説得させようと押し問答になった。
それをヽ大法師は仲裁に入って、
「今またこの様な問答に、時間を掛けることは無駄なこと。親兵衛は幼児と言っても、犬士の一人であるから、麟址龍孫、即ち麒麟の足跡であり龍の孫、優れた人物である。これをこのまま他領に置いていてはならない。だからと言って、今すぐ安房に行くわけではないから、後で話し合っても遅くはない。文五兵衛が帰られたら、祖父としてのご意見もあるかもしれん。伏姫君のお数珠は、役行者の通力で授けられたもの。だからこそ、姫君が幼い心からお亡くなりになられたその日まで、役行者の示現が何度となくあった。思うに拙僧と十一郎照文が、犬田、山林のどちらが優れているかを知るため、修験者に変装をしてここに来た。図らずも四犬士を知ることが出来た訳だが、それもまた役行者のご利益に違いない。だから親兵衛が今後どうすべきか、自然と分かってくるはずである」
ヽ大法師は外の方角を指して、
「見よ、朝もやが深く立ち込めていると言っても、今は早くも時が移ってきている。小文吾は先ほどの取決め通り、早く村長のところに行きなさい」
と促すと、小文吾は返事をして、信乃の血が付いた麻衣の両袖を咲いた。そして房八の首を引き寄せて、手際良く包んだ。
それを見てまた母の妙真は哭くのだ。袖で拭い切れないほどの涙の雨を降らす。晴れ間は絶えて、亡くなってしまった人に血まみれの麻衣を被せれば、それは後に形見となる。
蝉丸法師の詠んだ歌の通り、これやこの世の別れなのだ、と知るよしもなかったが、父を慕う幼児は、
「伯父様、どこへ行かれるのですか。私も一緒に参りたいのです」
と、まとわりつこうとするのを、信乃はあやして引き離そうとする。
絡みつく肉親の情は糸の様にもつれて、それは苦しく、嘆かわしいものなのだ。同じく悲しみの煩悩を抱いた現八と眼を合せて、一緒に悲嘆に暮れた。
こうして小文吾は脇差しを取って腰に差し、大切な首を包んだ麻衣を右手に持った。
ヽ大法師と尼崎照文に別れを告げて、信乃と現八に今後のことについて、
「鹹四郎たちの死骸は、入江の淵に投げ捨ててくれ」
と密かに依頼した。
そして妙真を慰め、何とか励ました後に、親兵衛とその珠について、
「堪えられない悲しみに気を落として、周りを見失わない様にな」
と言いつけを諭してから、立ち上がった。
小文吾を見送る一同を立ち上がった後に残ったものは、横たわる悲しき夫婦の亡骸だった。夫は元の姿のままではなく、首と身体が別れてしまったのである。
嘆きの霧が立ち込めて、胸の中も曇る中、今なお暗い外へ向かうため、門を押し開く。翼がしおれてしまった鳥の様ではあるが、小文吾は朝の旅立ちに向かって遠く出て行った。
(続くかも……)


























































































































































































