2025年9月6日萩城攻略の間、萩市内を探訪してきました。
レンタサイクルがあると市内でしたら結構回ることができます。
例えば萩城の前に、松陰神社に行ってみることにしました。
こんなトコです。
JR東萩駅から自転車で数分です。
ちなみに東京の松陰神社に行ったお話はこちら。

わ、途中で猫ちゃん発見!
自転車ですので、構ってあげる時間があまりありません。撮影するだけでいっぱいいっぱい。

あっという間に松陰神社に到着。

明治維新胎動之地なのです。

神社のご由緒は比較的新しく明治23年。
東京は明治15年ですからあちらの方が古い訳です。処刑後の遺体を埋めた関係でしょう。

親思う心にまさる親心 きょうの音ずれ 何ときくらん

両親に送った言わば決別の歌なのです。

松陰先生、享年29才!!
絶句しますね、この若さ。


こちらが学びの道です。このまま進むと松陰神社本殿に行ってしまいますが、その前に、

松下村塾を拝見しましょう。小さくてビックリしますね。

8畳+10畳半何ですって。10畳半が増築で、先生と生徒の共同作業とか言いますので、泣けるお話です。

お、真ん中には、

松陰先生の姿が飾られているのです。

松下村塾の生徒たち。いわゆる明治の元勲さん達。
ちなみ桂小五郎こと木戸孝允は、松下村塾で学んでいないそうです。
吉田松陰が藩校の明倫館で教えていた時の生徒とのこと。

松陰の実家杉家。
松陰は蟄居中、この家で幽閉されていました。

神社本殿です、今日の探索のお参りを果たしました。

御朱印をいただきました。至誠、シンプルですがなかなか実行しにくい言葉です。
では寄り道をしましょう。松陰神社近辺はいろいろ史跡があるんですよ。

自転車で10分も掛からずに伊藤博文さんのお家。

本当に近い。

身分の低い出身で松下村塾で学び、品川で英国大使館焼打ちに加わり、長州ファイブとして英国留学、四カ国艦隊の長州砲撃を聞いて帰国、その後は高杉晋作の子分的存在となりますが、あまり実戦には参加せず、実務型の交渉役的な人でした。
初代内閣総理大臣となりましたが、最期はハルピンにて勘違いをした朝鮮人のテロリストに撃たれて死去。

身分が低いという割にはかなり広いお家でした。

燦然と輝く長州ファイブ。伊藤と井上は急遽帰国しましたが、残りの3人はそのまま留学を続けました。

維新後偉くなってからの伊藤博文の東京の邸宅を一部移したそうです。

出身の旧宅、やっぱり広いなあ。竈が3つあるんですかね。

こちらはお手洗い。
そういえば昔田舎の親戚の家に行った時、お手洗いは外にありました。
夜、外に用を足しに行くのが、怖かったですもんね(´・ω・`)

色つきのコートを着た伊藤博文さんの像。

伊藤博文邸の全景です。
次に行きましょう。

松陰の叔父、玉木文之進のお宅。スパルタ教育な人でした。
ここは止まらず、先に行きます。
うわあ、坂道です。高台過ぎて無理。自転車を引いて歩きます。

吉田松陰誕生地。
松陰神社のかなり東です。

ここに昔杉家があり、松陰は誕生したんですって。
上記の幽閉されたお宅は引越し後らしんですよ。


高台で風光明媚です。

吉田松陰と金子重之輔の像。
海を見ています。ペリー艦隊に潜り込みたかったんですよねえ。

像の方角からは、指月山と日本海を見ることが出来ました。

そしてここはお墓でもあるのです。

玉木さんのお墓。日本酒がお供えしてあります、南無。

久坂玄瑞さんのお墓。南無。

高杉晋作のお墓、南無。動けば雷電、発すれば風雨の人。

吉田松陰のお墓。遺髪が埋められているそうです。

池田屋事件で亡くなった吉田稔麿さん。南無。

お墓を守る会の方々が整備されているんです。

やはり明治維新胎動の地と言っても過言ではないのです。
この後は坂を下って、東萩近くのどんどんさんでうどんを食べてから、萩城攻略に向かいました。
それはこちらをご覧下さい。
お城の帰りは16時前になり、萩の武家屋敷内を通過します。

晋作広場(!)という場所があり、高杉晋作の像が立っています。

髷を結っている高杉晋作の姿は、私的には珍しいと思います。
どうにもザンギリ頭のイメージが強くって。

覗いていきましょう。観覧料は何と100円です。

ふむふむ。

中に入ってはいけません。外から見せていただく感じ。

うわ、まったく似てませんね、これでは捕まるものも捕まりません。
両隣は平野国臣、西郷隆盛です。3人とも非業の死を遂げています。高杉をそう思っても差し支えれば、ですが。



師匠の松陰を見習ってか、早死に過ぎです。

奥さんと息子さん。

先ほどは萩城に寄って参りました、天守台を見てきましたよ。
立派な天守だったですね、やはり崩したのがもったいない。

高杉晋作の浸かった産湯の井戸。
その筋を2つほど東に行くと、

今度は木戸孝允のお家。
子供のころは、高杉などと一緒に遊んだと思わせる様な距離です。

もう夕方ですので他に人がいません。

木戸孝允邸というより和田邸ですかね。
木戸孝允は和田家に生まれ、7歳で近くの桂家の養子となりましたが、桂家の方々が亡くなってしまったために、和田家で桂小五郎として育った訳です。
今回初めて知りましたが、木戸という名前は毛利の殿様から第二次長州征伐時に授かったそうなんです。

お顔は2枚目ですね、もてそう。というかもててます(笑)

こちらは断髪前。やっぱりいい男。



幾松さんこと木戸松子さん。お綺麗ですね。

浮世絵に描かれた幾松さん。

7歳のころ、和田小五郎時の習字です。
今日と書いてありますが上手すぎてビックリしますです。

仏間に、

誕生の間。

和田家と桂家の家系図です。
16時17分です。17時5分のバスに乗るため、東萩駅に向かいましょう。

レンタサイクルの返却後、バスの時間を待っていましたら。こんな表示を見つけました。
豪華列車な瑞風。

瑞風専用ゲートがあるのです!!凄ーい。
さ、バスが来ました。新山口に行って宿に泊まります。
また明日の探索が待っているのです、でわ。