馬鹿琴の旅立ち

独り言を綴っています。主にお城や史跡がメイン。時にはお相手して下さい。

津和野城に登ってきました(リベンジ)

2025年9月7日津和野城に行ってきました。日本百名城66番目、三回目ですが、前回は直前で登城失敗してしまいました。

その話はこちらで。

思わぬ降雪で登城失敗( ;∀;)

今度こそ、ということで行って参るのです。

朝6時に新山口駅。

津和野駅までJR山口線で揺られて行きます。山口駅で乗換えするため、約2時間掛かりますよ。

再びの津和野駅です、8時21分。

やあ、また会いましたねD51君。暑い日も寒い日も元気そうで何より。

今日は駅前で自転車を拝借します。これがあれば楽ちんです。

前には寄らなかった津和野カトリック教会。

可愛らしい教会です。

ふと足元を見ると、鯉が泳いでいるんですよ。

君たちは雪の日はどうしてるのかな。前に来た時は歩くのが精一杯で気づけませんでした。

教会の歴史が書かれていますよ。

綺麗ですね。日曜だから朝からミサを執り行うかもしれませんね。

邪魔者は退散しましょう。

横の資料館には、例の乙女峠の浦上四番崩れのことが細やかに記されていました。

後で時間があれば乙女峠にも行ってみたいです。

津和野城と太鼓谷稲成神社がちょこっと見えています。

今日は大丈夫そう。

前は歩いた神社の参道。

今日は反対側を颯爽と走ります。

津和野高校体育館から見上げる津和野城。

前回と同じ位置から撮ってみました。

 

リフト乗り場は坂道の上にありますので、自転車を引いて登ります。

ヒイヒイ、私を抜かす車が恨めしい。

着きました、リフト下。駅から約20分で来れました。

それでは階段を登ってリフト乗り場へ参りましょう。

おやここにも炭治郎くん。

リフトのおじ様が出てこられました。

あ、このおじ様、覚えています。私にその靴では登れません、と言われた方ですよ。

向うは覚えてないでしょうけど、思わず冬に来て登れなかった話をして、盛り上がってしまいました(笑)

自販機は城壁ヴァージョン。

さてリフト代往復700円ですが、JAF割引で600円。

9時の営業開始に合わせて、乗り込みます♪

……あれ?私が第一号だと思ったら、上からリフトで降りてくるお客さんがいて、ちょっとガッカリ(´・ω・`)

5分ほどで山頂に着き、こんな道を進みます。

向かいのお山は青野山だったかな。

天気は晴れとはいかず、曇り空。そんなに暑くはありません。

堀切跡を見掛けました。

ここで最初の分岐です。右に行くと本丸方面、私はまずは左の出丸に行ってみます。

まだ身体が軽やかに登れます。

きちんとした排水構があるのですね。

ここは出丸、通称織部丸と呼ばれています。

昔は櫓が立っていたのでしょう。

覗き込むと石垣が組んであるのが見えましたです。

この出丸の全体像。坂崎幸之助出羽守直盛時代に築かれたものです。

城下町を一望できるのですが撮り忘れましたテヘペロ

二重櫓もあったのですね。

ご覧の通り、今は何もありません。

盛土があります。わずかに高いでしょう?

出丸を降りて振り返ってみました。

本丸方面に進むと道が分岐しますが、どちらも本丸に繋がっています。

向かって右が帰りに急坂を登る道、左がなだらかに登る道と思っておきましょう(笑)

あ、木々の間に本丸が見えますよ!!

木が多過ぎ問題はここにも。

あれ?進めないです。

あずまや横の石碑を撮影すると、

道が続いています。この先10分、仮設の歩道と階段がありました。

しかしこの階段が曲者、怖くはありませんが結構急です。

良い積みですねえ、感心してしまいます。

横目で見ながら登ります。

ようやく登ると台所櫓に海老櫓。私は海老櫓の先から萩方面を見ています。

本丸に行くために台所櫓に戻ります。ちゃんと石の道があるのですよ。

道に落ちているのが瓦の痕。ちょっと感慨深くなります。

見えているのは天守台。

珍しいことに、津和野城では天守が一段低いところにあったんですって。

搦手の西門跡に続く道です。

見事な石組みで嬉しくなるのです。

ここも。もう野面積みではなくなっています。

ここを上がると本丸と天守台方面ですが、

先に寄り道の三の丸方面へ足を伸ばします。

通称人質櫓の高石垣です、これだけでもご飯が美味しくいただけそう(笑)

この先は南門跡で歩けますが、今日の私は遠慮しておきます。

三の丸に今いるのです。

台形状態の人質櫓、見事なものです。

本丸方面に戻りながら三の丸をパシャリ。

あ、簡単に登ってしまいましたが、ここが天守台。

小さくて見えないと思いますが、白木に天守台と書いてありますよ。

しかしまだ登ることができるのです。

三十間台です。一応ここが本丸なんです。

広いのです。

南側の風景。

手前が人質櫓、その奥が南門跡ですよ。三の丸です。

赤い瓦(石州瓦と言うんだそうです)が目立つ城下町。

この風景を見て、さだまさしさんが案山子を作曲したんですって。

また張ってしまいました(笑)

こちらは二の丸、通称太鼓丸の方へ行きます。

降りてみましょう。

良いですね、こういうところ好きです。

振り返ってみると、良い形ですよね。

リフトは見えませんが太鼓谷稲成神社を見ることができます。

結構遠いんですねえ。

人質櫓も素晴らしいですが、こちら太鼓丸もなかなか。

面白い積み方に見えました。

こちらの横から降りていくことも可能ですが、怖いので(笑)今はやめておきます。

いつまでも見ていたいのですが、他の観光客もだんだん現れてきましたのでそろそろ戻りましょうか。

まだ9時57分、9時のロープウェイで乗って、1時間足らずで主だったところを見学できた訳です。

戻る途中で未使用の石なんてものを発見。更にその奥には、

万代(よろづよ)の池です。

今でも水が湧いているのかは分かりませんでした。

この辺りになると、やぶ蚊だかブヨだかアブだかが飛んでいて、耳にうるさいくらい。

もう撤収しちゃいますからね!!(# ゚Д゚)

 

怒りの井戸撤収から30分、10時40分ごろ津和野市内を自転車で走っています。

乙女峠マリア聖堂の表示、これも前回探索に挫折した苦い思い出の場所です。

行ってみます。

せめてマリア聖堂まで行きたいものですが、早くも虫くんたちが羽音を立てて集まってきています*1イライラ

よし、行けそうです。当たり前ですが雪がありません(笑)

ここが乙女峠なんですね、教会も見えています。

ちなみに地図の表示からわずか5分の至近距離なんです。

キリシタン殉教のことについて触れられています。

小さな、でも美しい教会ですね。

あっ、何と中に入れるようです。

しかし誰かいたら……((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

人の動きによってライトが光る仕掛けでした(´・ω・`)

私はキリスト教徒でもありませんが、殉教した方には敬意を表しました。

左は雪の日の氷責め。

右は三尺牢に閉じ込められた人が、聖母マリアの出現を見たという逸話。

12日間も現れたのです。

それを幻覚と呼ぶのか、魔境と呼ぶのか、奇蹟と呼ぶのか、私には森安太郎さんを責めることなどできません。

結局、聖母マリアの降臨を見た森安太郎さんは、1869年明治2年3月4日、30歳の若さで亡くなっています。

頭をしばし垂れて後、乙女峠マリア聖堂を去ります。

しかし去りながらも虫と格闘し、殺生しちゃう私をどうかお許しあれ。

津和野駅北口に戻ってきました。

まだ11時過ぎです、帰るには早い時間。

ダチョウカレーにオムライスですと!?(*´Д`) 

お泊りもできます、1日3食9,000円ですって、破格の安さですよ。

私は久々にオムライスと咽喉の渇きを癒すためにオレンジジュース。1,200円でしたかね。

満足です~

 

自転車を早めに返却して、津和野駅をウロウロします。

あれ?無限城編のポスターが逆?

 

待合い室は冷房が効いています、飲み物を飲んで涼しんでいますと、何やら遠くから汽笛が聞こえてきました!

まさか!

SL山口がやってきたのです。

もくもく煙を吐いて、シュポーと汽笛を鳴らしていますよ(*´▽`*)

久々のSL山口号でした。

 

私はこれには乗りませんが、スーパーおきに乗って新山口に戻り、新幹線に戻るつもりです。

津和野城攻略と乙女峠マリア聖堂を探索できて、良かったです。

でわ。

 

*1:°_°