馬鹿琴の旅立ち

独り言を綴っています。主にお城や史跡がメイン。時にはお相手して下さい。

超意訳:南総里見八犬伝【第二十八回 仇を罵って、浜路は節に死す/道節は一族と認めて過去を語る】

 浜路は涙を止められず、養ってくれた親の邪悪さと網乾の悪知恵を聞くうちに、初めの恨みは更に募り、無常なこの世のできごとに胸が張り裂けそうになった。

 かりそめにも離れて暮らすことになった、昨日も今日も着ているこの旅の衣。
 夫である信乃の苦難を思えば、いっそ私の命が絶えてしまえばいいのに。

 どうにかして宝刀を取り戻して、夢のお告げであっても良いから、今までの話を夫に告げて渡したいと決心して、浜路は自分の心を励まして、どうにか涙を収めた。
「先ほどは、道理もなく縛られ、無理に連れ去られた恥辱をただただ恨めしく思っていた。しかし、思いがけない人から深く思われ、共に過ごすことになったのは前世からの逃れられない縁なのでしょう。犬塚様の太刀のことは私も聞いていましたし、見慣れてもいました。あの方は慎み深く、思慮のある方ですので、もしもの時でも罠に掛かる様なことがあるはずがありません。それをたやすく刀をすり替えたという言葉に偽りがないのであれば、私の進退はもう窮まりました」
 浜路は続けた。
「初めは情愛を持っていなかったとはいえ、宝刀を盗んだ人と知りつつ、共に逃げたと両親にさえ疑われてしまうことでしょう。もはや帰る家もありません。ましてその性格が一本気で正義感にあふれた犬塚様にも受け入れられることもないでしょう。どうかその刀を私に見せて下さいませんか」
 と言われて、左母二郎は何度もうなづいて、
「そう思うのも道理である。信乃は油断はしない男であったが、村長を救おうとして、続いて入水した時、船にいたのは俺一人。刀だけをすり替えたので、彼には気づかれることはなかった。誠にこの村雨は、我が立身の糸口になるだけではなく、お前との妹背の契りを結ぶ縁結びの神でもあるのだ。俺が嘘を言っていない証拠に、抜けばたちまち水気が現れる。これこそこの刀の奇蹟なのだ。良く見て疑いを解きなさい」
 と諭して、いきなり刀身を引き抜いて、浜路に渡した。
 浜路は右手に受けてから、左母二郎をじっと凝視した。
「夫の仇」
 そう呼び掛ける声と同時に刀で突いた。
 閃く刃の光に驚き、慌てながらも、左に外し、右に避け、左母二郎は沈んでは払われると飛び越えて、撃とうとすると掻いくぐった。後ろに立った浜路を追い詰めた。
 しかしかよわきながらも、列女の念力の籠った切っ先を侮ることができず、左母二郎はますます怒って、小太刀を引き抜いて、丁々発止と受け流していたが、つけ入る隙を見つけて、浜路の胸を切った。
 あっと絶叫した浜路の怯む刃を踏み落とした左母二郎は、躍り掛かって浜路の髪を掴んで己の膝に引き倒した。そして睨みつけてから大きな声を振り絞って、
「このあまめ、今になって、ようやく分かったか。お前を恋しく思っていたからこそ、心を穏やかにする様、慰めてやり、なだめてやることもできたのだ。それを執念深く恨んで刃物三昧、俺は仇と呼ばれるいわれはない」
 今や左母二郎は浜路を憎悪していた。
「そこまで信乃を忘れられないのであれば、暇を取らせよう、あの世で奴と会うがよい。言うことを聞かないのであれば、遊女として売ってしまえば良い金になるだろうと思ってはいたが、無駄骨を折らせやがって、やむを得ず売り物に傷つけてしまったからには、仕方がない。あくまで俺に抗うから、報いは直ぐに現れたのだ。すぐには殺さず、思いのままに苦しめてやり、なぶり殺しにすることで、旅の退屈を紛らわせ憂さを晴らそう」
 残酷な笑みを浮かべて左母二郎は続けた。
「この世の名残りももう少しだ。泣きたくば泣け、言いたいことがあれば言え。そうだな、月の出るまで聞いてやろう」
 と一度浜路を立たせてから突飛ばした。
 転んだ浜路を見ながら、奪い取った村雨の太刀を鞘に納めて腰に帯び、小太刀を大地に突き立てた。近くの切り株に腰掛けて、懐中にあった包み紙から毛抜きを出すと、顎を撫でながらわずかな髭を抜いていく。

 そのうちに浜路はすでに急所の深手により、今にも命が絶えてしまいそうだったが、信乃のことを思い出して何とか起き上がった。乱れた髪が顔に掛かるのを振り払い、言葉を紡ぎ出した。

 恨めしきかな、左母二郎。
 夫のいる女子と知りながら、訳もなく連れ出すだけでなく、ろくでもない悪事をさも得意げに、私の養親と結託して、宝刀を盗み、私の夫を死地に陥れた邪智と奸悪、どうにかして一太刀恨みを晴らそうと謀ったけれども、本意を果たすことができずに、邪悪な刃によってこの世の命を失おうとするこの身に、月も日も照らして下さらないのか。

 これもまた宿世の報いか。
 それにしても心配なのは我が夫の行方。もう二度と会うこともできないだろう。私が死んだ後に、こんなことになったのだ、と一体誰かが私のために伝えてくれるだろうか。
 何てどうしようもない世の中なのだろう。最も情けないのはこの身の上。幼い頃から両親に結婚を許されたあの人とはただ名前だけの夫婦で、本当に結ばれることはなかった。

 真実の親も兄弟も、練馬殿の身内にいると、わずかに聞いただけ。名を知らず、顔も見知らず、この数年ずっと恋しいと思っていたのに、去年練馬のお家が滅んで亡くなり、家老も若党も皆討たれてしまったとは世上の風聞。
 世の中の辛いことが重なり、身体がやせて見えるほどになった三重の帯も、もう合わなくなってしまった。円塚山の野火がすべて燃え尽きて消えていくように、冥土への旅路も一人旅だ。こんなことになったのも、両親が非道であったとはいうものの、お前が悪事の助けになった。

 九度生まれ変わったとしても、尽きることのない恨みは、死後にお前のその身に報いずにはいられまい、いや必ず報復してやろう。
 人から恨まれることもこの身の薄命も、ことの起こりは他でもない。この嘆きを聞こうともしない、情けのない養い親たちにある。

 ただただ恋しいのは犬塚様。私の魂はこの山の裾野の沼の水鳥となって、古河に飛んで行き、どうか夫に告げておくれ。
 このどうでもよい命ですら惜しいと思うのは、恩愛や節義のため、再び夫に会える日まで、そして本当の親の生死を知るその日まで、やはり命は惜しいもの。
 もう夜の訪れたこの山にやって来る人はいないか、私をお助け下さる神もこの世にいないか。

 か細い声を振り絞る浜路は、恨み、泣き、思い余って紡ぐ言葉を最後まで言えなくなった。女心はかくも脆かったのだ。

 左母二郎は欠伸して、毛抜きに着いていたあごひげを拭いながら、
「ああ、長い繰り言であったな。話を良く聞けばありがたくも、親のためには孝女でも、信乃ためには貞女でも、俺のためには少しも役に立たず、命を惜しむのも夫と決めた信乃のため、と言うのであればもはや助ける訳にはいかんな。本当に無益な殺生ではあるが、すべてこれお前の心次第だ。脆く弱く見えても、命の根源は強かった。しかも急所に深手を負っていても長い物語をするのは感心感心」
 残酷そうな笑いを浮かべた。
「褒美は、ただひと思いにこの世から暇を取らせてやるとしよう。いざいざ」
 と言って、持っていた毛抜きを急いで懐中に納めて、地面に突き立ててあった小太刀を抜き取った。刃をひらりと見せてから、持ち直した。
「血まみれついでにこの刀で、と思ったがしばし待て。浜路が思いを掛けた村雨で引導してやろう。喜ばしいことではないか」
 と嘲笑って小太刀を拭って鞘に納めてから腰に差し、村雨の刀を持って、
「観念せよ」
 浜路に立ち向かうと、当の浜路は少しも騒がず顔を上げて、
「例え仇の手に掛かって死すとも、夫の刃に掛かるのであれば本望。さっさと殺せ、左母二郎。お前もまたそう遠くないうちに、この様に最期を迎えるのだから」
 言い終わらないうちから左母二郎は、眼を怒らせて、
「憎い女の雑言か。息の根を止めてやろう」
 刀を引きつけて浜路の胸先を刺そうとした瞬間、煌く刃の光より早く、火定の穴辺りから誰が放ったが分からないが、修練を積んだ手裏剣は外れることなく、左母二郎の左の乳の下へ突き抜けんばかりに深く打ち込まれた。
 左母二郎は急所への痛手に思わず太刀を振り落として、あっと叫ぶ声とともにのけ反っていた。

 その時、奇妙なことが起きた。穴の近くから突然現れた者がいたのだ。それは他でもない、火定に投身したはずの寂寞道人肩柳であった。
 しかし当初と違うその姿はどういうことか。そして一体どのような格好をしているのかと言えば、見れば、肌には南蛮の鎖帷子を透き間なく着込んでおり、腹当てをつけた姿は網で待ち構える蜘蛛に似ている。
 上着は、唐織の段模様が入った広い袖の単衣を裾を短くして着ている。その様子は、紅葉が滝の流れを彩る様だ。
 腰には朱塗りの鞘の太刀を横たえ、足には厚手の草履を履き、平たい金属板が入った小手と、十王頭のすね当てを付け、濃い紫色の丸い組み紐の帯を尻高に締めている。
 年齢はまだ若く、二十歳前後だろうか。眉はきりりと整い、目は涼やかで、肌は白く、唇は赤く、耳は厚く、歯は細かく、月額の跡から長く生えた髪は黒く、髭は青々としている。
 その心は善か悪か。その行いは正か邪か。まだ判断はつかないものの、どこか一癖ありそうな顔つきで、ただ者ではないと思わせた。

 その時、寂寞肩柳は左右を見て、静かに近づいて来た。
 左母二郎が息を吹き返して、敵が近づいて来たと知り、立ち上がった。刺さっていた手裏剣を引き抜いて捨て、刀を杖に身を起こし、よろめきながらも迎え撃とうと進み出したところを、寂寞肩柳はちらと見て、少しも騒がず、やり過ごした。
 その後、駆け戻ると身体をすっと近づき、いきなり刀を奪い取ったその刹那、身を翻してから、はたと叩き切った。
 寂寞肩柳の技の冴えに左母二郎はもんどりうって倒れた。切った肩柳はもう眼もくれずに、しきりに水気が立ち昇る刀の柄を立てて、切っ先から鍔元までを瞬きもせずにきっと見つめた。
「なるほど、これが噂に聞く村雨の宝剣か。抜けばまるで宝石が飛び散るように、露か、滴か、美しい光が輝く。奇妙で見事なものだ。焼刃の輝きは、空に虹が引かれた様に、また地面に清らかな泉が流れていく様だ。豊城三尺の氷、呉宮、干将莫耶の剣は一函の霜、それと同じく正に世にも稀な宝刀だ。神龍はこれのために雲の中で唸り、鬼はこれゆえに夜に泣く。図らずも今、この名刀が私の手に入ったのは、積年の願いである復讐を果たすべき時が来た。何と、何と素晴らしいことか」

 そのころ額蔵はその朝信乃と別れて、急いではいたが、やはり背後の信乃のことに心引かれて、なかなか道がはかどらなかった。
 しかも暑い夏のことだったので、木陰を求めてあちこちで休んではまた走り、千住川を渡ったころ、日は暮れ果てて、道は大分暗くなっていた。迷うほどではなかったが、何とかして走り抜いて、駒込村の近くまで来た。
 ここで決心して、大塚村へ戻ろうとしても道が途切れていた。本郷坂を横切って、小石川から行こうかと思うものの、自分の身体に偽の傷を作って、まわり道をして月の出を待つのが良いだろうと心の中で考えていた。
 初更(夜8時頃)を過ぎた頃に、円塚山を越えていくと、道士の火定があったとか途中で聞き、見掛けた茶毘の火はまだ消えていなかった。その辺りがやたらと明るかったので、見てみると鮮血にまみれて倒れている男女がいた。
 また白刃を手を持った一人の怪しい男がたたずんでいる。何かあるのだろうと、額蔵はそこから足を進めなかった。松の木陰に隠れて、様子を窺った。

 肩柳は鞘を拾って刃を納めてから、横たわる浜路を引き起こした。そして急いで懐中から薬を出して、浜路の口に含ませて、
「おい、女子、女子」
 と呼び掛けた声と薬が効いたらしく、浜路は目を覚ましたが、怪しい男の介抱を受けていることに驚き、ひたすらに離れようもがいてみたが、肩柳は手を離そうとしなかった。
「何が起きたのか話さず、名前も名乗っていないので、敵か盗賊かと疑って、さぞかし驚いたことだろう。恐いだろう。お前は深手ではあるが、急所をやられた訳ではない。心を鎮めて私の言うことを聞き、今際の望みを遂げよ」
 と言われて息をほっと吐き、浜路は言った。
「そういうあなた様はどなたですか」
 正体を尋ねながら、相手の顔をじっと見ていると、肩柳も見つめ返してからため息を吐き、
「名乗ればはばかられるが、夜の深い山中には他に誰もいない。図らずもここでめぐり逢った私は、すなわちそなたにとっては異母兄、犬山道松忠与と呼ばれた者、故あって昨年の秋から、姿を変え、名を改め、寂寞院肩柳と世に謳う偽の修験。行く先々で火定を行い、愚民の銭を促して頂戴し、軍用のためにして、君父の仇に報いるために生きている」

 

【名刀、美女の存亡、忠義節操の出会い】

左から左母二郎、肩柳、浜路ちゃん、木に隠れているのは額蔵

早く浜路ちゃんを助けてあげて~

 

 肩柳こと犬山道松は続けた。

 そもそも我が主君、練馬平左衛門尉倍盛朝臣は、豊島平塚の一族全員が池袋にて討たれ、我が父犬山貞与入道道策はたくさんの郎党とともに冥土の供となった。
 練馬の館も焼打ちされて、生き残れた者はいない、私は命を惜しんだ訳ではないが、組んで死すべき敵を探し求めていたら、不思議と戦場を切り抜けることができた。

 遂に復讐の大義を考えて、家に伝わる忍びの秘術、隠形五遁の第二法、火遁の術を使って、修験者に姿を変え、ある時は烈火を踏んで愚民たちを信じ込ませて、またある時は火定に入ると見せかけて銭を投げさせて、財宝を集めて、軍用に当てようとしたのだ。火に入ると見せて、火に入らず、全身を焼いたと思わせて、火の外に姿を隠す。これを名づけて火遁と言う。

 およそ隠形に五法あり。
 第一を木遁と言う。樹に身を寄せると、自分の姿を隠して決して人前に現れることはない。
 第二を火遁と言う。火に遭う時は形を隠して、その姿を人に知らせることはない。
 第三を土遁と言う。これは、足が地面を踏むと人に姿を見せることがない。壁に入ったり、穴に隠れたりするのも、すべてこの土遁という一つの術である。
 第四を金遁と言う。金銀や銅鉄で姿を隠す。
 第五は水遁と言う。長い間水に入っても苦しむことはなく、柄杓の底に残ったわずかな水でも、その姿を隠すことができる。
 これを隠形五遁と言う。元々これは五斗米道の張道陵の道術である。中国では後漢末から今の明朝にもこの術を良くする者があると聞く。我が朝においては六条院の仁安年間のころ、伊豆の修善寺に中国から来た僧がいた。この僧が木遁の術を会得していて、後に密かに兵衛佐源頼朝に伝えたと言う。石橋山の敗軍で頼朝は倒木の洞に隠れて、追手の虎口から逃れたと言うが、本当は木遁の術を行ったのだろう。
 また吉岡鬼一法眼は火遁の術を会得したが、誰にもその術を伝えようとはしなかった。しかし牛若丸、源義経が秘蔵の書を盗んで、火遁の術を得た。文治年間に衣川の高舘落城の日、義経はすでに戦い疲れ、館に火を放ち、自ら燃やして外に逃れたのは、火遁の術によるものなのだ。

 その後この術を伝授された者がいたとは聞いていない。
 ただ独り我が家が、祖先から火遁の関する書物を相伝していた。しかしその書物は奇妙な文字や隠語があって、読める者がほとんどいなかった。私は十五の時、初めてその書物を開いて読んで、気づいたことがあって、昼も夜も惜しんで努力して読み続けること三か年、遂にその奥義を会得したのだ。

 しかしその法術は邪道であり、幻術に近い。勇士が行うべきものではなかったので、父にも言わず、他人にも授けず、試すこともなく、今は君父の仇である管領扇谷定正たちを討とうと思っているのに、一人の助けもない。他人の心を結ぶには金銭に増すものはない、と思案して儚い火遁の術を使って、火行火定と偽って愚民を欺き、あちこちで少しの銭を得ると急いでその地を立ち去ってきた。
 今年は下野下総から武蔵の豊島を回って、ここでも火定と偽ってわずかな銭を得たが、よくよく考えれば忠孝に似て実は賊同然のことをしている。
 例え多くの助けを得て、大敵を打ち滅ぼすとも、あの様に人を騙すことをして、人々を欺き、ものを掠めてしまえば、汚名を残すことになるだろう。
 とても悔しいが、正義とは呼べないことに志を費やすということは馬鹿げたことであると、慚愧に堪えない。やがて隠れ家に戻って作り髯をかなぐり捨てて、元の姿に改めた。
 身一つだけでも扇谷定正を狙い倒そうと決心して、再び円塚山を越そうとやって来たら、旅人たちの闘争を見過ごすことができず、隠れて様子を窺っていたのだ。三人の悪者は早くも討たれた。
 残る一人の曲者は、たいそう艶やかな女子を誘拐して、欲望で無理やり迫るものの、言うことを聞かなければ怒りに任せてとうとう女子に傷を負わせた。
 そこで初めて、怒鳴り声や罵り声、悲しみの声を聞いてみると、その女子は大塚村の村長、蟇六の養女であった。浜路、というのが今の名前だ。

 私には腹の違う妹がいる。幼名を正月と書いてむつきと呼んだ。
 彼女が二歳、私が六歳のころ、いろいろ事情があって、豊島郡大塚の村長蟇六という者に、生涯会わないという約束をして、正月を養女に遣わせた、と父から聞いていたので、それだと思い当たり、窮地を見るには忍びず、手裏剣を投げて妹の仇を討ったのだ。
 聞けばそなたには幼い時から、許婚の夫がいるという。
 そのために、苦労に耐えながら節操を守り、命を惜しまずに仇を非難し、また本当の親や兄弟を深く慕う心持ちは、正しく孝行であると言える。
 しかしながら、本懐を遂げることができず、私もまたそばにいながら救うのが遅れてしまい、事態がここまでになってしまったのは、天が人々の行いを見通し、地が人々の心を知るということが、疎かになっていて、善悪の区別がないように見えるけれども、これもまた輪廻がもたらした結果なのだろうか。
 逃れることのできない因果なのだろうと思う。

 話は長くなるが、苦痛をこらえて迷いを晴らして欲しい。
 そなたの母は黒白(あやめ)と呼ばれて、私の父の妾であった。私の母は阿是非(おぜひ)と言う。私の母も父の側室だったが、男子を産んだ功によって、本妻になった。
 我が父道策の本妻は早世したのだが、後妻を娶らずにいた。跡取りの男子のために側室を迎え、一年か二年を過ごしたが、この側室も妊娠する様子がなかなかなかったので、さらに一人の妾を迎えたのだ。
 最初の側室が黒白、後に迎えたのが阿是非、私の母だ。その時我が父は戯れに二人の女にこう言った。

 お前たち二人のうち、どちらかが男児を産んだ者を後妻にしようと、約束したのだ。
 かくて阿是非は身籠って、1459年長禄三年九月戊戌の日に、男児を産んだ。出生した子がすなわち私だ。私は生まれながらにして左の肩先に大きな瘤があり、その形は松の木の瘤に似ているから、道松と呼ばれた。後に十五歳の春、元服して名を忠与と命名された。
 ともかく父の喜びは推して知るべし、約束通り我が母が正妻になり、黒白は嫉妬したが表情には出さなかった。
 1463年寛正三年の春、黒白は女の子を産んだ。臨月が早春だったので、正月と名づけられた。正月は妹、すなわちそなたのこと。
 黒白は、自分より後に来た阿是非は早くも男児を産み、自分は遅れて女児を産んだ。六日の菖蒲、十日の菊、それにまして何の意味もない。ますます我慢できなくなったのだろう。

 1464年寛正四年の春の末、我が父は主君練馬殿の使者として、京都室町将軍家に伺候した際、黒白は今坂錠庵という医師と密かに語らって、我が母を毒殺し、私を絞め殺し、疫病で母も子も急に亡くなったと偽って、菩提寺に葬ってしまったのだ。
 その月の下旬、我が父が京都での任務を終えて下向する途中、旅の宿で何度も凶夢を見た。それからというもの毎日胸が騒ぎ、心配ばかりして、来る日も来る日も馬を走らせて練馬に帰り着き、様子を尋ねると、妻子の急死、葬儀を終えてすでに二十日以上経っていた。
 数日前に亡くなったと聞いていたので、驚き悲しんで、次の日、寺へ参り、墓所に香や花を手向けたところ、仮の墓の下から、子供の泣き声が聞こえた。更に驚き怪しんで、住職に告げて人を集め、掘り起こさせて見ると、私は生き返っていて、泣き声をますます大きくしたそうだ。
 すぐに助け出されて様子を見られたが、変わったところはなかった。ただ肩の瘤の上に真っ黒な痣が出来て、形は牡丹の花に似ている。
 しかし痛ましいのは我が母であった。全身すでに腐乱していてもはやどうしようもなかったので、元通り埋葬し、父は私を連れ帰り、ご主君に報告し、急いで召使いたちを集めて、すべてを話した。この年、私は六歳になっていた。
 召使いは集められた時に父に向って、こう言った。
 このような事情によって、母の阿是非は不慮の死を遂げ、道松も一緒に埋葬された。下手人は黒白であり、それを助けた悪者は錠庵である、と。
 聞いた父は再び驚き、そして怒り、即座に黒白を縛り、自ら詰問した。何度も言い訳をしたが、何かが憑りついて言わせたのか、子供みたいになっていたが、皆の訴えは明白で、ついには逃れる道がなかったので、黒白は罪を認めた。
 これによって我が父は更に主君に訴えて、何名かの助けを受けて錠庵を捕まえて、厳しく責めたの。その白状した内容も黒白と違わなかったので、二人を同じく法のままに斬罪、そして梟首した。
 それでも父の怒りは収まらず、正月は二歳の女の子ではあったが、その母が大逆無道のため、我が子とはしないと決めて、生涯二度と交わることがないとして、誰か引取り手を探したのだ。外への聞こえを憚って、世の中では忌むという四十二の二歳児と言いつくろって、養育料として永楽銭七貫文をつけ、大塚の村長蟇六とかいう者に養育させた。それが私が十二の春、母の七回忌の時に初めて父から聞いた。

 私はわずか六歳の時、黒白が悪事を白状したことを少しも覚えていなかった。ここで初めて、母の不慮の死もそなたのことも、こと細かに知ったのだ。
 昔を懐かしむ涙を禁じきれず、つくづくと思い出してみれば、正月も同じ父の子ではあるけれど、母と母は敵同士だった。父親が捨てさせた妹をどうして私が振り返ったりできるだろうか、と思ってその後は父には聞かなかった。
 父もまた再び言い出すことはなく、まるで忘れたかの様に年月だけが経ったが、思いも掛けない今宵の再会。
 まずは隠れて話を立ち聞きしてみれば、そなたの心ざまは実母の黒白に似ず、真面目で誠実であり、親によく尽くす娘であった。
 ところが薄幸なことにこの様なことになってしまい、邪険な養父母に仕えながらも、想いを寄せた男性と会うことは叶わず、無残な悪者に追い詰められ、そのために傷つけられた。輪廻転生によって解釈するならば、実の母である黒白の悪逆な行為の報いを受けたと言うべきでかもしれない。

 しかしそなたも父の子。誘拐されてもその身を汚さず、死に至るまで操を変えず、今際の際でも親のことを考える。その貞、その考、は決して空しくなることはなく、偶然にも兄にめぐり逢い、その兄が即座に敵を倒すに及んで、撃ったところはそなたの傷と等しく、左の乳の下。

 善行には必ず良い報いがあり、悪行には必ず悪い報いがある。
 今生の不幸は、実の母の行いのためにこの様になったのだろうか、来世には、その身の功徳によって、仏果を得ることは疑いない。
 そなたの親孝行の心を告げることができなかった父親は、練馬家の第一の家臣だった。後妻の不慮の死によって、自分の徳が薄いと恥じ、遂には主君に願い出て出家したが、家老の職のままであった。

 かくて我が父は池袋の戦いに比類なき働きをしたものの、管領扇谷定正の家臣、竈門三宝平(かまどさぼへい)に討ち取られてしまった。享年六十二歳。
 私は復讐の敵討ちを望んでいるが、成らなかった場合は仇の手によって死ぬつもりだ。
 かりそめながら修行者に姿を変えたことがあるから、世を忍ぶ有髪の入道、父の法名をいただいて、犬山道節忠与と名乗ろう。
 こうすれば仇を討っても、もし討たれたとしても、長生きが出来そうもないこの身は、先立つそなたの冥土への旅立ちの道連れ、父の霊にお詫びして、死後に親子の対面をさせてやろう。それを最期の思い出にせよ、妹よ。

 犬山道節は丁寧に説明し、また妹をいたわりながら、手負いの傷に慣れた勇士の介抱を行ってみせた。荒々しく見えても、兄妹の骨肉の誠実さがそこには現れていた。

 この長い告白の間に十九日の月が出て、野火と代わって明るく照らしている。亥の刻(午後10時ごろ)の半ばはすでに更け始めて、子の刻(午後12時ごろ)が近くなっていた。

(続くかも……)