馬鹿琴の旅立ち

独り言を綴っています。主にお城や史跡がメイン。時にはお相手して下さい。

若江城に登ってきました

2026年3月6日恩智城の後、若江城に登ってきました。

若江城はこんなトコです。

やっぱり近鉄沿線、今月はお世話になりっぱなしですね。

恩智駅から近鉄線を乗り継いで、若江岩田駅で降ります。

恩智駅と違って、近代的に洗練されたデザインの駅ですね^^

駅のガード下のお寿司屋さんがありました、誘われて足が自動的に行ってしまいます(笑)

回らないお寿司屋さんですよ!!

サービスランチをいただきました。950円!

https://sankyu.co/

回らないお寿司は久々(笑)

満ち足りましたので探索再開です。

そこそこ人通りのある商店街を南下していきます。

15分も歩けば若江城に着く予定ですよ。

さて若江城。マイナーですよね。マイナーですが結構重要だと思うのです。

 

足利一門の畠山氏は室町幕府成立後、河内の守護を務めます。三管領の一つにもなり、威勢を誇るのですが、畠山義就と畠山政長の間で跡目争いが起きます。

ちなみに2人は従兄弟。

血を血で洗う戦いは続き、応仁の乱に発展しますよ。乱が終わっても2人の戦いは続き、

消耗戦の結果、義就は病死、政長は2年後に幕府内の政争による戦闘の結果自害してしまうのでした。

 

その後は戦国期、三好長慶の後継ぎである三好義継。彼は孤独で流浪の貴公子ですが、足利義昭による室町幕府再興時に若江城に移動するのです。

その後は、やめとけば良いのに足利義昭にそそのかされて、信長包囲網に加わります。

また信長に反攻した足利義昭が若江城に逃げてきたので(!)、やめとけば良いのに(笑)前将軍を庇護したことによって、信長が更に激怒。

織田軍に攻められ、しかし足利義昭は脱出済み(!)で、それを見届けた三好義継は家族もろともに自害、若江城は落城したのです。

逃げ足の早い足利義昭はともかく、孤独な貴公子の義継さんは少し可哀想に思ってしまいましたよ。

 

畠山の内輪もめ、三好嫡流の滅亡といい、若江城って不吉なお城かもしれません(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 

あ、三好義継について同情している間に、若江城に着きました!

この一画が若江城の城址です。

旧若江城址と記されています。

落城後は大阪本願寺の攻めの拠点となったんですね。

離れている気がしますが、信長は利用したのでしょう。

反対側にも石碑がありました。

時には信長は若江城に泊ったみたいですよ。

振り返ると、私の様なお城ファンみたいな人がいて、若江城址の写真を撮影していました。

その方がいなくなるのを待って、パシャリと全景撮影しました。

そろそろ戻ります、でわ。