馬鹿琴の旅立ち

独り言を綴っています。主にお城や史跡がメイン。時にはお相手して下さい。

恩智城に登ってきました

2026年3月6日恩智城に登ってきました。

今日は11時くらいまで用事があって、仕事を休んでしまい、午後から探索に向かってしまいました(´・ω・`)

初めてのお城です、場所はこんなトコ。

あれ?先週探索した高安城、信貴山城に近いですよ(笑)

そう背後は大阪と奈良の間の生駒山、葛城山系なのです。

そのせいで私なりにですが、面白いことに気づきましたので、後で書くことにします。

もっとも皆さんご存じのことかもしれません(´・ω・`)

その名も恩智駅で降ります。またもや近鉄大阪線を利用。

隣りは高安駅ですが、そこからはケーブルは出ていませんので要注意。

ケーブルが出ているのは、信貴山口駅です。

駅には説明版がありました。

東に向かうと、つまり山に向かうと、恩智城、そして恩智神社があるのです。

恩智駅の眺め。古いタイプの駅ですかね、哀愁が漂っています。

商店街がありました。

これが恩智城と恩智神社に向かう道です。

狭い道ですが交通量が多く、車が結構通ります。

恩智神社の一の鳥居が見えてきました。

ちなみに駅から歩いて20分弱……あ、何か石碑がありますねえ。

あ、←→の道が東高野街道なんです!

東高野街道とは、京都から高野山にお参りする道として整備されたものなんです。

では鳥居の中に入りましょう。

恩智の公民館にこんな絵図がありましたよ。

分かりやすいですね、ありがたいのです。

真っすぐ行けば信貴山!

しかしこの間登ったので、今日は右手の恩智城址公園へ。

城址公園……本当に公園です(-_-;)

遊具の揃った公園ですよ。

あ、高台の上に何かがありますぞ。

登ってみましょう。

ここが恩智城なのでした!!

お城に登りましたよ~しかし、他に城址らしきものは見当たりませんね。

恩智城を築城したという恩智左近のお墓があるんですって。

そっちも行ってみましょうか。

大阪府八尾市が見えますね、結構高台です。

八尾には空港もあり、かなりの頻度でセスナ機やヘリコプターの音が聞こえます。

ここにも恩智城って記してあります。

細い道をくねくねと曲がって、恩智左近さんのお墓を見つけました、南無。

従四位恩智左近の墓と書いてあります。

この恩智左近さんは南北朝時代、楠木正成の部下として活躍した人なのです。

いわゆる楠公八臣だそうです。八臣には、他には和田正遠、湯浅孫六、神宮寺正房などがいます。和田と神宮寺は楠木氏の一族です。

その恩智左近さんは湊川の戦では死なずに生き残って、息子である小楠公の楠木正行に仕えます。吉野の朝廷を守っていたとも言われていますが、湊川の戦の翌年、小楠公に先んじて病死した模様です。

ではこの地図を見て下さい。赤い線は東高野街道です。

一番下の南東方面には千早赤阪城に繋がる千早峠道があります。

千早城に登った話はこちら。

地図に眼を戻すと、高安山が見えます。今私がいる恩智城は大体この辺り。

更に北上しますと、飯盛山。三好長慶さんのお城ですね。

その麓には四条畷神社と小楠公楠木正行のお墓があります。その辺りの冒険の話はこちら。

どうも楠木一族、父正成、息子正行は東高野街道を好む気がします。

東高野街道は常に東に山が迫っており、河内金剛山の武将であった楠木氏は山岳戦が得意ときています。攻勢する時も退却する時も、そして補給も山を背にして行う様な気がするのです。

結局、楠木正行は四条畷の戦いで、高師直に敗北してしまうんですけれどね(´・ω・`)

 

上記地図は以下から拝借しました。

気を取り直して、神社まで行きましょう。

本当に真後ろが山ですね(-_-;)

一ノ橋と書いてあります。そういえば見えませんけれど、下には川が流れています。

うわ、足腰鍛えるステージです!

ぜえぜえ、泣きながら到着しましたよ。

可愛い花手水に癒されました(*´▽`*)

ではお参りしましょうか。

兎ちゃん、思わず撫でてしまいました。

六社を祀っています。

天照大神、櫛明玉命、事代主命、熊野豫日命、安閑天皇(!)、住吉大明神です。

へえ、持統女帝が行幸されてるんですね……あれ?

恩智左近さんは祀られてないのぉぉぉぉ?

恩智左近さんを偲んで神社が出来たと勘違いをしておりました(´・ω・`)

 

後で分かりましたが恩智左近が築城時、城から神社を見下ろすことになったため、神社を現在のこの位置に遷っていただいたんですって。

それはもう大変なことで。

ふとマンホールを見ると、糸車を手繰る姉さん被りでした。

昔は河内木綿というのが有名だったらしいです。

 

それではこの辺で恩智駅に戻りましょう、お腹が空いてきました。

でわ。