2025年11月8日鳥取城と太閤ヶ平に登ってきました。
鳥取城は日本100名城の63番目、私は2回目。
太閤ヶ平はたいこうがなると呼び、鳥取城包囲戦の時に羽柴秀吉が本陣を構えた山です。初めてですのでワクワクです。
こんなトコですよ。
天気も良さそうです、張り切って行きましょう。

神戸三ノ宮から高速バスで鳥取駅へ、11時30分ごろ到着。
ここからは市内循環のくる梨という可愛いバスに乗って、10分ほど揺られました。
くる梨バスはICカードも使えますし、現金100円で乗ることが出来ます。
20分ほどで巡回していますので便利です。仁風閣・県立博物館で下車。

鳥取城址久松公園です。
この久松、ひさまつではなく、きゅうしょうなんですよ、日本語は難しいのです。
背後に見えるお山が久松山、鳥取城の本丸があったところ。

怪しい絵柄ですが、しゃんしゃん祭りというお祭りの傘がデザインされています。

何となく秋の雰囲気、ありますね。
午前の到着なら良かったのですが、さすがに鳥取は遠うございました(´・ω・`)

史跡鳥取城址附太閤ヶ平と書いてありますので、一緒に制覇すべきですね。
前に来た時は鳥取城だけでしたので、今回は気張ってみます。

早くもお城が見えています、石垣が美しくそびえているのですよ。
それにしても良く整っていますよねえ、感心します。
ちょうど12時ごろ。公園がありましたので、持ってきたお弁当をいただきます。
周囲には、あまりお昼を食べれそうなお店が見当たりませんでした。
その後はまず御城印とお城カードをいただきに、仁風閣へ……あらま!

こちらはかつての仁風閣。絵です(笑)

仁風閣NOW!
現在整備中で、2030年まで休館なんですって(´・ω・`)
でも大丈夫、お隣に仮の観光案内所があって、

御城印入手ができました。

お城カードも無事入手です。(*´▽`*)。

鳥取県立博物館。こちらでお手洗いをお借りして、それではいざ登城開始!
12時半です。

西坂下御門を潜りますよ。

この時点で立派な石垣がお待ちしているのですよ。凄いな、鳥取城!

津山城などとは違う感じですが、重厚感があるのです。

この角の積みとか。

ここは良く手入れされていますね。

あ、ここは山の上に行けそうですが、今は進入禁止なんですね。

二ノ丸跡と書かれていますが、史跡がたくさん点在していて、どこにいるのか良く分かりません(笑)

穴の開いた石垣。お左近のお手水鉢(おさごのちょうずばち)だそうです。
ここは難工事だったそうですが、因幡鳥取藩2代目の池田長幸の夫人の侍女、お左近の手水鉢を使うことによって無事完成したそうです。
姫路城の臼、福知山城の転用石、大和郡山城の逆さ地蔵みたいなものでしょうか。

そのお左近の手水鉢の横を通って、進みます。

お城の横に石切り場がありました。これもお城に近すぎて、なかなか珍しいです。

お稲荷さんに無事を祈願した後、中に入って、横を通ります。

こんな感じで鳥居の横を過ぎて、登っていきます。

高いところまで上がりましたねえ。
石がゴロゴロ。

隅々まで見て回りたくなります。

奥の奥まで、しっかりと石が積まれていました。

そうそうこの天球丸。これを見に来たんです。
どこかいな!?

あった、あった、天球丸です!!

ほとんど真上から見下ろします。珍しいですねえ。
ちょっと真正面から見たいです、迂回して下に降りましょうか。

下に降りて接近するだけでも、石垣を鑑賞しながら参ります。

人があんまりいませんので、ゆっくり探索できます。

ここを進めば!!

おーありました、真ん丸っぽい(笑)

しかもかなり大きいのですよ。

私、この丸っこいのが天球丸だと思っていましたが、実は間違っていました。
初代因幡鳥取藩主の池田長吉の姉が、嫁ぎ先から旦那の死後に鳥取に戻ってきたのです。そのお姉様の号が天球院なのです(´・ω・`)
姉上、ややこしいですよ(笑)
つまりここに天球院さんが静かに過ごしていた建物があり、それを天球丸と呼んでいたのです。
そしてこの石垣の補強のために、球面の巻石垣が作られました。
あの丸いのは天球丸ではなく、巻き石垣と呼ぶのが正解なのでした(笑)
いやあ、勉強になりますねえ。
勉強したところで、久松山登山に戻ります。12時50分です。

わあ、急な階段です~

ここも熊出没注意。しかし事前に鳥取県の熊MAPを見ましたが、最近は出てない様です。しかし念のため、熊鈴を装着します。

一合目。まだ余裕です。

二合目を撮り忘れて三合目。まだまだ余裕です。

よ、四合目。ちょ、ちょっと待って……

か、かなり厳しくなってきました。もう降りてくる方がいます。
13時ですから当たり前ですよねえ。

五合目!やっと半分、かな。
何か建物があるので、休みがてら覗きに参ります。


久松中坂大権現ですよ、畏み畏み。

六合目!!

七合目!!

は、八合目!?
お空が見えてきました。

この辺りでは、石垣を数多く見ることが出来ます。

九合目、山伏の井戸なんて標識があります。

しかし足場が悪く急な斜面で、これ以上接近できませーん!

またもお空が、あ、石垣が見えますね。

ひょっとして久松山到着ですか!?

よ、読みにくいですが山上ノ丸です。

もうちょっとだけ登ってみましょう。

ここが本丸なのでした。

しかし他には城址を示すものは、ほとんどないのであります。

1602年慶長7年の井戸だそうです。
……ということは、秀吉が包囲陣を敷いた時には、なかったのでございますな。
水の有無は分かりませんでした。

あれが天守台、ちょっくら登っていきましょう。
13時半ですから、博物館からは約1時間、登山口から約40分といったところでした。

わーい、標高263mの天守櫓です(*´▽`*)
ふむ、西北方面を向いていますね。

礎石が置いてあるのです。

わずかに鳥取砂丘が見えます。
もっと大きいものだと思っていました(´・ω・`)

礎石の周りを一周していますと、私の後から登ってこられた方がどんどん集まってきましたね。

天守の横でひと休み。

きっと右の山が秀吉が本陣を置いた太閤ヶ平と思われます。
今日は、あそこまで行く予定なんですよ。
13時40分太閤ヶ平へ進撃開始~

意外と歩きやすい道でした。

石垣が点在しています。

ああ、鳥取城の搦手でしょうかねえ。
ちゃんと虎口になって、わ、わぁーっ!!な、何か動いてるぅ~!!

蛇です、蛇!!
石の窪みに隠れようとして、でも入れずに引き返してきたドジな蛇くん~>゜)~~~
いやあ、私も焦ったけど彼も(オスかメスか知りませんが)焦っているみたいです^^
太閤ヶ平への進撃に戻りましょう。

鳥取城ゾーンよ、さらば。

下る一方ですので怖いです。
しかしヤマレコのデータを見ると、さっき天守跡のあった久松山が一番高いので、そんなに苦しまずに行けそうです。

十神砦というところがあるので、寄り道しましょう。

あ、ここですね。

ちょっと生い茂り過ぎですかね。

巨石ですね~

あれ?この先は行き止まり!?
進んでしまうと崖下に転落してしまいますので、戻ります。
砦の跡は特に見れません。

複雑な標識で分かりにくいです(´・ω・`)
太閤ヶ平へ行きたいんです、私は。

あら、ま、まさかの車道。でも車道はここで終わりですって。

太閤ヶ平の表示はありませんが、別名本陣山ですので、そちらへ向かいます。

巨木が倒れています、通行注意。
ちょっと気色を見てみましょうか。

あの電波塔、太閤ヶ平に違いありません!

展望所ですって、また寄り道しちゃいます。

あずまやがあるのみでした。

眺めは……こんな感じ。赤くなってきています。

太閤ヶ平への道に戻り、歩いていると、何かの気配を感じました。

ああ、また車道です。うん?目的地まで50mですって。
え、そうなんですか!?

あ、ここがもう太閤ヶ平なのでした。しかし。

これは空堀ですね、しかもここからは登れそうもありません。

ふと見ればNTTドコモさんの設備です。
この横から中に入れるみたいですよ!

ほら、これは土塁です。

土塁と空堀と堀切……堀切ではありませんか。

土塁を周りに配置して、攻め込まれない様にして。

四方八方に土塁っぽいのがたくさん。

あ、これは空堀っぽい。
でもどこが本陣かはまったく分かりません。

左手には車道が見えるのです。
こんな感じで他には遺構がありませんねえ。もう降りちゃいましょうか。
14時50分、下山開始です。

この山は久松山かしら?

車道を降りていきますね。

40分ほど歩いていると、川沿いの遊歩道に入りました。

池にもわずかな紅葉が反射していますよ。小さい秋を見つけましたです、何ちて。

ん、神社ですね。樗谿神社(おうちだにじんじゃ)、今は鳥取東照宮です。
こちらにも寄り道、ではなく無事に下山できたお礼をいたしましょう。

これは神韻漂う雰囲気ですね。

わぁー、さすが東照大権現を祀るお社です。
祭神はもちろん東照大権現の徳川家康、池田忠継(岡山藩初代藩主)、池田忠雄(岡山2代目藩主)、池田光仲(鳥取藩初代藩主)そして幕末の池田慶徳(鳥取藩第12代藩主)とのこと。
この中で池田忠雄さん、この方は伊賀上野城でその名前をお見掛けしました。
伊賀越鍵屋辻の敵討ち、荒木又右衛門のところです。
池田忠雄さんは愛する小姓の渡辺源太夫を河合又五郎に殺されてしまい、逃亡した河合を匿った旗本と対立して、幕府を揺るがせた大名です。
あの時の岡山藩主が池田忠雄さん。忠雄さんの息子の池田光仲が鳥取に移封されて、鳥取城に入ったのです。
伊賀越鍵屋辻の敵討ちの件についてはこちら。
幕末の池田慶徳さん。第12代藩主ですがこの方は養子なんです。
名前から勘の良い方はお気づきかもしれませんが、水戸斉昭の五男。
徳川慶喜の兄上なんですね。
長い間続いているはずの大名家も、よくよく見ると他家から養子が入っていることが多いのです。
この鳥取も第11代は加賀家から来ていますし、11代の慶栄さんは初めてのお国入りの途中に京都で亡くなってしまったそうです。
多産(笑)の水戸烈公のところから選ばれて(笑)、鳥取に入ったそうです。
大名家も大変(´・ω・`)

無事に降りてこれました。熊にも遭いませんでした。ありがとうございます。


東照宮を出て帰途に着きます。

鳥取市歴史博物館の別館やまびこ館の横を通ります。
とっとりのお宝おひろめ展なんてやっていますが、今日は寄ることが出来ません。

鮮やかな黄色です。深まる秋といいたいところですが、まだまだですか。

鳥取西高の向こうには久松山が見えますよ。

鳥取城に立て籠もった毛利側大将の吉川経家さんの銅像。
右手に首桶を持っています(ノД`)シクシク
この方は凄い人ですよねえ。頼まれて毛利家大将として、織田方迫る鳥取城に入り、その時には覚悟を示して自分の首桶を用意したんですって。
そして悲惨な鳥取城籠城戦の後、いざ降伏という時には秀吉は吉川経家には毛利領に帰る様に勧めたのを断り、切腹くして果てたというから驚きです。
首を見た秀吉は泣き、安土城で首を検分した織田信長はその首を丁重に葬った、という逸話が残っています。
彼が遺した手紙がまた涙を誘うのです。
吉川広家(吉川元春三男)への手紙。
我々が鳥取城で主君(毛利氏)のために命を懸けたのは、かねてからの覚悟の通りであり、決して忘れることはないでしょう。
日本の二つの大勢力(織田対毛利)が激突する戦いの境目で切腹(忰腹)できることは、末代までの名誉となることと存じます。
これまでの長年にわたる、格別のご厚情の数々、この期に及んで忘れることはありません。どれほど感謝しているかは言葉では言い尽くせません。
つきましては、あなた様にお預けしております長光の刀を、私の息子の亀寿*のもとへ、必ずお渡しくださいますようお願い申し上げます。
恐れながら謹んで申し上げます。
十月二十四日 式部少輔 経家 花押
経言様、また仕える皆々様へ
そして家族宛てはこちらです。
鳥取のこと 夜昼と二百日耐え忍びました。
兵糧が尽き果ててしまい、私が一人が責任を取ることにしました。
城中の者を助けて、吉川一門の名を上げることができました。
その幸せな物語をどうか聞いて欲しい。
謹んで申し上げます。
1581年天正九年十月二十五日 経家
あちゃこに語り聞かせてください。亀寿、亀五、徳五へ。
大部分ひらがなのお手紙です。
鳥取では、吉川経家さんは今でも尊敬されているそうですよ。

天気が曇ってきました。

擬宝珠橋を渡りましょうか。

大きな橋です。2018年復元です。前に来た時は無かったんでしょう。

中ノ御門、新築の匂いがします(笑)

新築ホヤホヤ感が拭えませんが、良く作って下さいました。

安心できますもんね(笑)

16時半、もう夕方です。

石垣は今も補修中。この右手奥が天球丸です。
私は左に折れてやっぱり工事中の仁風閣前を通って、本日の探索を終えることとします。

城址から山上ノ丸を経て、太閤ヶ平まで行って、下山です。結構歩きましたね。

ヤマレコデータです。
4時間5分掛けて9.4キロ歩いたんですね。結構歩きました(しつこい)
それではくる梨のバスに乗って、鳥取駅へ戻りましょう。
でわ。