馬鹿琴の旅立ち

独り言を綴っています。主にお城や史跡がメイン。時にはお相手して下さい。

柳生の里を探訪してきました

2025年9月23日柳生の里を探訪してきました。

一応城攻め扱いで、城攻めとしてエントリーします。

柳生の里はこんなトコ。

史跡もいろいろとある様ですし、楽しみです。

それでは行ってみましょう。

9時にJR奈良駅です。

ここから石内行のバスに乗ります。ICカード使用可で1,110円!

んでもって約1時間ですよ。もう奈良の東の果てと言っても過言ではありません。

結構混んでいました。

 

①柳生古城

柳生東というバス停で降ります。

この後ろの階段を登るのです。

この階段が手強いのです、よいしょよいしょ。

ね、こんな感じです。

大きな絡新婦女郎蜘蛛の巣が眼の前にありました。最近は誰も来てませんね(´・ω・`)

片側は崖ですので気をつけて進みましょう。

堀切です、しかも結構規模が大きいのですよ。

土塁とV字谷もあったりします。

10分足らずで、前方に何か見えてきました。

説明書きが読みにくいのですが、大意は以下の通りです。

後醍醐天皇のお召しに応じて、柳生家の先祖がここに城を築いたそうなんですよ。

剣塚という石塔があるだけです。

これで古城はおしまい。後醍醐帝のころに柳生家が勃興したということを知りました。

離れたところにあった説明書きです。

柳生永珍さんという方が立て籠もったのですね。

あのお山がさっき登ってきた柳生古城です。

 

②十兵衛杉

千葉真一柳生十兵衛三巌が諸国を回る前に植えたという杉を見に行きます。

もっとも、枯れちゃってるみたいですけれども(´・ω・`)

実は中宮寺さんというお寺の墓地内にあります。

お彼岸ですので、結構な数のお線香が焚いてありました。

立派な杉ですねえ。真っ白になっていました。

柳生十兵衛は20歳のころに将軍家光の不興を蒙って、11年に渡って浪人生活を送ります。

1650年慶応3年生まれですから、20歳と言えば1670年。それから350年後に落雷とすると、えーっと2020年に落雷?

ついこの間ですやん、と思ってもう少し調べたら、樹齢が350年、1973年昭和48年に落雷ということが分かりました。

降りたところから見た十兵衛杉。隣がすくすくと育っている2代目十兵衛杉ですって(笑)

 

③旧柳生藩家老屋敷

十兵衛杉から歩いてすぐ、お城みたいな建物が現れました。

これが旧柳生藩家老屋敷なのです。

と言ってもかなり後年のものです。第10代藩主柳生俊章が家老小山田主鈴に賜った場所に、作られた家老屋敷。

1848年嘉永元年完成と言いますから、ほぼ幕末(笑)

こちらが入口です。

ちょっとしたお城みたい(*´▽`*)

漆喰(?)が剝がれると少し寂しいです。

長屋門。ここから入るのですよ。

手前には、柳生但馬守宗矩さんと奥さん、側室ですけれどお藤さん。

ではお屋敷の中に入りましょう。

駕籠やら食器やら。

あっ、柳生一族の陰謀のポスターです。

NHKBS版、柳生但馬守は吉田鋼太郎さんですね。

でもここは萬屋錦之助さんのポスターも欲しいところ。

首を持って隻腕の柳生但馬守宗矩の「夢だ、夢だ、夢だ、ゆめでござーる」の怪演には驚かされました。

武士から大名まで様々な門弟たち。

家系図。

宗矩は五男です。長兄の血統が尾張柳生家となり、次兄三兄がお寺に入り、四兄が伯耆の国で戦死しています。

北斗の拳で言えば、ラオウの血筋が尾張に仕え、トキとトキの弟は僧籍に、そしてジャギが戦死、ケンシロウが跡を継いだ的な(笑)

次兄三兄は剣の才能がなくて(石舟斎から認められなくて)、お坊さんになったのかしら。

ジャギではなく四兄五郎衛門宗章は小早川家に仕官しますが、小早川秀秋改易後に米子の中村一忠に仕官します。

家老の横田さんと仲良しになりますが、藩内の騒動で横田さんが殿様に上意討ちされてしまいます。横田さん、かなり妬まれていた様なのです。

横田一党は激怒して米子城にほど近い飯山城に立て籠もり、仲の良かった宗章も加わります。かくして隣国出雲月山富田城から堀尾吉晴が中村家のために出兵、大軍と交戦して五郎衛門宗章は討ち死にしてしまうのでした(´・ω・`)

 

宗矩の次は野球中継十兵衛が跡を継ぎますが、問題なのは十兵衛の弟、柳生友矩(とものり)。家光に可愛がられてかなり賞せられますが、27歳の若さで死去。

剣の腕も良くかなりの美青年で家光の寵愛を受けているのですが、一説には衆道の相手だったとか!家光は男の子が大好きでしたからねえ。

父の命を受けた十兵衛が弟左門友矩を誅殺したとか、腐女子の方々なら喜びそうなお話もあるのです。

 

更に十兵衛も十兵衛で、鷹狩の最中、友矩の領地でこちらは44歳で横死するんですよ。

不思議と言うか何と言うか、因縁めいた話なのです。

友矩派の人が仇を取ったとか、何とか、これも不思議。

その後は宗冬さんが何とか跡を継ぎ、大名家として存続します。宗冬さんは荒々しい十兵衛、天才肌の友矩とは違い、実直的な方だったみたいです。

末弟列堂義仙。

この人は裏柳生の総帥で柳生忍者の棟梁。子連れ狼の拝一刀の宿敵……というのは嘘です。

京都大徳寺にて12歳で出家、しかし兄の宗冬とは仲が悪く、芳徳寺から出奔して長く行方不明だったとか。

柳生兄弟にありがちな諸国修行(?)の性なのでしょう。

 

ラオウの血筋、尾張柳生。

柳生利巌(としよし)はかなりの武闘派でして、肥後加藤家に仕官しますが、同輩と揉め、相手を斬って逐電!百姓一揆の鎮圧で慎重派の同輩と言い争い、これを斬り、翌日総攻撃で一揆を倒し、加藤清正に報告の上、出奔したとか何とか(笑)

気が短いなあ(笑)

その後は1615年元和元年、尾張徳川家に仕官しますが、特筆すべきことがあります。

兵庫助こと如雲斎こと利巌さんの奥さんって、島左近の娘なんですよ~

筒井家重臣、石田家家老のあの左近です。大和国住人繋がりなんですかね。

 

江戸柳生と尾張柳生は仲がよろしくなかったみたいです。

修羅の一族、怖すぎ。

ゆるキャラが巨石を一刀両断!

さて家老屋敷は作家の山岡荘八さんが所有しており、ここで作品を執筆したんですって。

私は見たことがありませんが、大河ドラマ春の坂道。柳生但馬守宗矩が主役です。

萬屋錦之助さん、若いです。39歳くらい。

輝く様な笑顔の倍賞美津子さん。お綺麗ですねえ。

おや袋竹刀。

上泉伊勢守が考案と書いています。

なぜなに八犬伝Ⅳで書いてある通りでした(笑)

お庭を見て心を落ち着けましょう。

客間に萬屋錦之助のお写真がありました。

砂雪隠ですって。

何だか猫のお手洗いみたい(笑)

えーと、釘隠し!?釘出てますけど。

あ、何だか騒がしくなってきましたよ。

私だけだったのに、他のお客さんがやってきました、しかも欧米人です、欧米か!?

こりゃいかん、脱出します。

家老屋敷とはおさらばしますです。

11時20分、ちょっと早いですがお食事にしましょう。

 

④十兵衛食堂

歩いて5分、柳生バス停前のその名も十兵衛食堂さん。

見せられた瞬間に決めたメニューにします、十兵衛定食1,200円なり。

おうどんのシイタケととろろが最強すぎて大満足なのでした。

とろろがこんなに美味しいなんて!

お店の中はこんな感じでしたよ。レトロな感じ。

私の後もどんどんお客さんが入ってきました。

 

⑤柳生陣屋

食堂から歩いて10分、陣屋跡にやって来ました。

これを登ると、

ね、柳生陣屋跡です。

お屋敷があったそうなんです。

ここでは石舟斎と十兵衛が待ち伏せていました。

1642年寛永19年に宗矩が建築したのです。

こんな感じの間取り。

井戸もあります、覗き込みましたが雑草が下から生えて来ていて、水の有無は分かりません。

お、石が何か意味ありげに置いてありますよ。

こ、これが剣禅一致ってやつかもしれません。

お庭の跡ですね。

 

⑥柳生八坂神社

1654年承応3年に柳生宗冬さんが勧請した神社です。

せっかくですのでお参りして行きましょう。

綺麗な拝殿でしたよ。お参りお参り。

神社奥に摩利支天碑と呼ばれるものがあるそうで見物に行きます。

小高い丘を登る感じです。

なるほどこれが摩利支天ですか。写真では見にくいかもしれません。

詳しいことが書かれていますよ。

 

⑦芳徳寺

陣屋からすぐです。

しかしこの坂道を登らなければなりません。

ここは左折して200メートル進みます。

石舟斎塁城址と書かれています。

実はこの辺り、柳生城でもあるのですよ。

筒井氏と揉めて落城した後に芳徳寺を作ったんですって。

とんとん、階段を進みましょ。

前は受付の方がいた様な……入場料は200円ですので、集金箱の中に入れて入りますよ。

柳生家菩提寺であり、列堂義仙さんが住持となります。

芳徳寺全景。何故か本堂には足が進まず、でした。

それよりこの柳生家墓塔の方に勝手に足が向いてしまいます。

いきなり林の中になります。

お寺の背後はこんな感じです。柳生城の跡、と言われば合点がいきますね。

山門から10分も掛かりません。

歴代柳生オールスターズのお墓です、あっと尾張柳生は除く。

ふむふむ。

石舟斎宗巌さん。

初代但馬守宗矩さん。

2代目十兵衛三巌さん。

3代目宗冬さん。

別格で上泉伊勢守信綱さんの供養塔。

他にも歴代の柳生の殿様のお墓がありました。

例の友矩やお藤さんまでお墓があるのですよ。

戻る途中に暴れん坊和尚(私が勝手に命名)の列堂義仙さんのお墓。

お寺の住持だけあって最大の大きさを誇りますよ。

 

⑧天石立神社一刀石

芳徳寺に登る分岐から右の奥の山道へ進みますよ。

新しく舗装されています、これがないと雨の日なんかは厳しいのかも。

まだまだ続きます。

私の後ろから、犬の散歩風情の方が健脚で私を追い抜かしていきます(´・ω・`)

まだまだ。

これが最後の登り道?

結構足に堪えるのです。

やっと一の鳥居に来ました。分岐から10分掛かりました。

巨石ですぞ~

927年の延期式神名帳に載っているそうですよ。

それ以前は皆目不明なんです。

あ、これは一刀石ではないのですよ。

こちらで一応お祈りしますです。しかし大きな石ですねえ。

歴代の剣士たちがここで修業したとか、それが本当ならば胸熱です。

私の厨二病魂に火が(笑)

更に奥へ。

出ました、一刀石。

石舟斎が天狗と思って叩き切ったそうです。

石の右上に何かいます!!天狗かも!

お神酒も備えられています。

いやいや凄いわ、鬼滅の刃でも巨石を斬るシーンがありましたが、ここがモデルだそうですよ。

しばらく鑑賞していると、続々と人が集まってきました。

 

⑨柳生城

気になるので柳生城址へ行ってみることにします。

と言っても現地に案内は見当たらず、ネット情報を鵜呑みにしていきます。

場所は芳徳寺に向かう途中、柳生正木坂剣禅道場という建物があります。

その反対側、朽ちた小屋があるのですが、その奥が入口ということなんです。

ふうむ、少しヤバげな雰囲気が漂います。

見事なV字谷がありますね、やっぱり城址っぽいです。

ここは進めず、折り返します。

ただし道が細く、風雨で浸食されていますよ、落ちたらハイ、さようならです。

開けた場所に出ました!

しかし奥には背丈ほどの草が生い茂っております。

やめた、無理です。君子危うきに近寄らず、引き返します。

怪しい小屋まで戻ってきました、何とか無事です。

柳生バス停に向かう途中で見掛けた派出所。何となく道場っぽいのです。

これはもみじ橋。奥に進むと、芳徳寺に繋がってるっぽいのです。

眼にも鮮やかな赤い唐橋ですね。

 

⑩柳の森

もみじ橋近くの史跡です。

柳生の由来でした。昔は楊生だったとか。

これがその由来となった柳の木です。

余談ですがお亡くなりになった俳優の柳生博さんも、柳生一族の末裔なんですって。

 

10時から15時まで柳生の里を探訪しました。

帰りのバスは15時52分ですので、しばらく待機です。大体見尽くしたので、もう待つしかありません。

入れるお店もありません( ;∀;)

 

では~