2025年9月20日佐柿国吉城に登ってきました。
続日本100名城136番目のお城で、私は2回目です。
場所はこんなトコ。
関西からは意外と行きやすい感じですが、敦賀駅以遠が少し面倒です。

大阪から新快速で敦賀着、9時55分。

慌てて撮ったJR敦賀駅。北陸新幹線が出来て、整備されたのですね。

像があるのです。朝倉家の武将か、大谷刑部かと思いきや、まさかの都恕我阿羅其等(つぬがあらしと)。
古代の朝鮮半島の伽耶国の王子で、崇神天皇の御代に倭へやって来たんだそうです。
ちなみに額に角が生えているので、鬼だったのかもしれません(笑)

おっと10時発のゴゴイチバスに乗ります。
このバスはJR美浜駅や観光地の三方五湖まで、連れて行ってくれます。
佐柿国吉城に行くにはこちらが便利。土日祝のみの運行ですのでご注意を。
ICカードが使えて660円、私が乗るのと同時に発車でした(´・ω・`)
涼しい車内でやれやれ……あれ、お腹の調子が……い、痛くなってきました。
大阪からノンストップで来たのでトイレに行けていませんが、これはマズい痛みです(´・ω・`)
しかし乗った以上は我慢して、堪えます。18分後に若狭国吉城口バス停に着くので、我慢我慢。
しかしお腹がぐるぐる動きます。最初は微妙な腹痛だったはずなのに、だんだん大きくなってきます。

バス停に降りました、10時20分。
このまま佐柿国吉城に行くにはチャレンジし過ぎですし、惨劇を迎えてしまうかもしれません( ;∀;)
付近にはパチンコ屋もコンビニもなさそう……ん、MAP検索するとドラッグストアのゲンキーさんがあります。
ざっと500メートルです、歩道もなかったりあったり雑草が生い茂る中、頑張って歩きました。
ゲンキーさんに入ると、店舗内にお手洗いはなく、外にあるタイプ。
激闘の結果、用を果たして無事に惨劇を回避することができました(*´▽`*)
このまま失礼するのもお店に失礼ですので、飲み物を2本ほど買わせていただきます。
いやいや助かりました、本当にありがたいです。
帰り道には途中にコンビニがあるのを発見しました。行きには気づきませんでした(;´д`)トホホ
では攻城戦に戻りますね。

バス停に戻ってきました、11時ちょうど。

古い町並みが残っているんですね。

これが佐柿国吉城です。結構険しい道でしょう?
月山富田城みたいな登り口が不吉なんです(笑)

11時10分には若狭国吉城歴史資料館に着きました。
登山(笑)する気満々のおじ様、おば様方が地図を見ています。
私は中に入ってまずは先ほどの体調を整えます、JAF割引で入場料50円!?
しかしスタンプも御城印も入手済みですので、資料を拝見するのみ。

香川元太郎さんのお城絵図がありました。

浅井長政裏切りによる信長退却ルート上に佐柿国吉城があったのですね。

この間攻城した後瀬山城も熊川も退却ルートにあるのです!
行った話はこちら。

関ケ原以降の京極氏、酒井氏の領地。
この間、小浜も含めて行っといて良かった良かったです。

見事なジオラマですよ、これから攻略するのですよ。
さあ、落ち着いたので向かいましょう。

登城口。竹の棒を今日は使わせてもらいます。

御触書なんてものがありました。
朝倉が若狭武田氏を攻めるために、何度も襲来したそうなんですね。
佐柿国吉城を死守した城主、粟屋越中守勝久さんの言うことを守りましょう。

その脇には石垣が幾つか残っています。

最下段の石垣です。

ちょっとピンボケの彼岸花。

通路の上から横を向くと、山麓の居館の礎石跡を見ることができます。
傾斜がだんだん厳しくなってきました、あっという間に20代くらいの方に抜かれてしまいました、仕方ありませんね。
っと、しばらくしたら上から引き返してきましたよ。どうしたのかな?

あ、獣害防止柵ですね、その横に熊出没注意と書いてあります。
これを見て引き返されたんですね。分かります、分かります。熊に遭うのは洒落になりませんもの。
でも私は行っちゃいますよ~

果てしなく登る感じ。

あと300メートル!

11時38分二ノ丸との分岐に来ました。
先に本丸へ行きましょうね。

崩れた石垣が出てきました。


斜面に向かって積まれた石垣が少しだけ残っていますね。

11時40分、あと100メートルのところまで来ましたよ。
御触書から20分ちょっとでした。

右の斜面が本丸です、向かいますがこの表示板の後ろが気になる……

堀切でした。
両側には石も積まれています。

本丸への道が、最後の登攀が結構厳しいのです。
足取られそう(´・ω・`)

ふぇーっ、キツかったです。ようやく本丸部分に到着です。

この辺り、北西虎口なんですって。

崖に向いた部分の石垣。崩れているっぽいですね。

奥には幟がはためいております。午後は天気が崩れそうなので、要注意。

本丸の石碑です。何とか登れましたね。
背後は日本海、美浜原発は見えません。

土塁は分かりにくいです。

何だか強風ですよ、お弁当持ってきたのに広げられません(´・ω・`)

東側虎口から見た本丸。


一応三角点。標高は197.3メートルと意外に低いのよ。

本丸から降りかけのところ。
下から団体さんが上がってきます。

輪郭も見えなくなった石仏。
鎮魂のため、慰霊のためかと思っていたら、粟屋越中守さんが籠城の時、投擲用に使うために山の上に置いたんですって(笑)
武器にしたんかーい!

奥に続く連立曲輪群、さすがにここからは行けません。

カサカサ動くので【G】か蛇でもいるのかと思いきや、クワガタさん。
もうすぐ秋ですよ、気をつけてね。
本丸部分を降りると、団体さんがガイドさんに説明受けながらこちらに向かってきました。
それを避けてあいさつしながら歩きます。

分岐の二ノ丸の方へ降りてみます。

土塁が2個。

通り過ぎて振り返ります。これ以外には痕跡はありません。
この2個の土塁は食違い虎口にもなっている様なんです。

土塁もこんな感じでありました。
さあ、降りましょう。

岐阜城もそうですが、やっぱり山麓には居館があったのです。
その礎石や敷石がこんな感じ、と言いたいのですが、私には何も見えません(´・ω・`)


居館跡にはやはり石垣が積んでありました。

土塁も、

石組溝なんかもありました。

歴史資料館に戻ってきました、半券があるので休ませてもらいましょう。
しかし難攻不落も良し、織田信長関連も良し、幟の徳川家康も良し、あ、明智光秀?
まあ、退却戦にも参加してましたか。

今となっては迷作(私の中では)となってしまったどうする家康。

もっと懐かしい麒麟が来る……これも余計な話を次ぎこんだせいで私の中では低評価。
長谷川さんは良かったんですけどねえ。

岐阜城と織田信長展、これは見たいですねえ。無理かなあ。

一乗谷でやっている一乗谷と戦国のかたな展。
これも見たいけど、一乗谷は遠いのですよ(笑)

正倉院展!!
万博はもう無理っぽいですが、こちらは予約して是非とも行きましょう。

!!
な、なんと越後軍記。元禄年間の書物が無造作に数冊置いてあります!!
何てこったい!!

武田信玄が死ぬことを隠したのに、間者に早速バレてますやん!
影武者いたのに隠せないものなんですね。
しかも上杉謙信、朝ご飯食べている途中で箸を置いて涙しています!!
塩を送った相手、訃報を聞いて落涙とかこちらも泣けますね。

同じ巻において、今度は上杉謙信が逝ってしまいました(´・ω・`)
やぱり定説通り厠でうんぬん、と書いてあります。

登ってきた佐柿国吉城の図面です。連郭曲輪群以外は大体制覇しました。

バス停に向かう途中、今更ながら国吉城の石碑を発見。
こちらでは若狭国吉城となっています。佐柿国吉城なのか、どっちなんだーい!?

准藩士屋敷跡。原っぱが石垣に囲まれています。

なるほど天狗党関連でしたか。
幕末の動乱、水戸天狗党の一派が敦賀で幕府に投降しました。
800名のうち、110名がこの国吉の地で謹慎したそうで、この准藩士屋敷で暮らしたということです。

今はもう夏草や、という感じです。
バスの時間になりました、敦賀駅に向かいます。

敦賀は駅でもあり港でもあり、銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトのモチーフとしたそうです。

宇宙海賊キャプテンハーロックの手配書を見る星野哲郎。

謎の美女メーテル。
「私は青春の幻影。若者にしか見えない時の流れの中を旅する女」が口癖。

寒い冬を母と一緒に過ごす哲郎。しかしお母さんは機械伯爵によって……( ;∀;)

名キャラクターの車掌さん。後ろには999があります。

永遠の星の海に旅立つ哲郎とメーテルさん。ここから物語が始まるのでした。
本当は足を伸ばして金ヶ崎城も行きたいところですが、午後から天気が崩れるのでまたの機会にしましょう。
それでは帰ります、でわ。