2025年7月12日大垣城に登ってきました。続日本100名城の144番目で3回目くらい。
場所はこんなトコ。町の中なんです。
JR中津川から中央線で名古屋駅へ。そこからは東海道本線で大垣に向かいます。
郡上へ向かった経路と逆になる訳ですね。

大垣には14時過ぎ到着です。
駅から南下すること数分、

大垣城址の石碑が出て来ました。ここを右折します。

ほら大垣城!
民家の奥に東門と天守が見えています。


しばし鑑賞した後、門の中へ。

そうなんですよ、戦災で炎上してしまったんですよねえ(´・ω・`)
以前は国宝だったそうで、ああ。

艮櫓ですが樹木で覆われてしまっていました。

いやあ美しい本丸。小作りながら素敵なお城ですよ。

辰巳櫓跡ですが何もなし。

1620年元和6年、三階から四階建てに「改装」されたとあります。
これは要注意。
入城してチケットを買い、そしてお城カードを求めた際に事件が発覚です。
お城カード、無いんですって( ゚Д゚)
私「え、無い?売切れですか?」
受付の方「そうではなくて、日本城郭協会からものが届いていないのです」
物凄く申し訳なさそうなお顔なのです。
私「届いてないって、こちらで取り扱っているといろいろ出ていますよ」
受付の方「どうも大変申し訳ありません。連絡がないのです」
泣きそうなお顔。
受付の方「日本城郭協会にも是非言ってみて下さい」
私「……」
受付の方「どこからお越しですか?」
私「……大阪です」
ぶっきらぼうな私。
受付の方「そうですか、それは申し訳ないです」
こりゃあかん、と思ってそこで引き下がりました。
どーなってるのよ、日本城郭協会さん!!(# ゚Д゚)
※先ほど家に帰って城郭協会のHPを見たら、大垣城は調整中に代わってました(;´д`)トホホ

歴代城主一覧ですね。
多過ぎで何が何やら(笑)
氏家卜全、池田恒興、三好秀次(羽柴秀次)、加藤光泰、石川家成、戸田氏鉄を抑えておけば良いかな(笑)

再現天守の鯱が飾っていました。

築城490年、戸田さん入城390年だそうです。


石田三成、小西行長、島津義弘、宇喜多秀家の連名による書簡。
関ケ原直前のものです。



戦国末期の哀しいお話おあん物語。



国宝時代の大垣城の写真です。
何でしょう、やっぱり現存天守の内部と似ていますね。

かつての大垣城の俯瞰図。香川元太郎さんの作品ですね。

他ではあまり見ない遠眼鏡。




色つきのおあん物語。
生き生きとしたお城籠城戦の物語。脱出の話がやけにリアルです。

大垣城からの眺め。伊吹山は雲の中でしょうか。


関ケ原の時は3階。

3階。

あれ、4階?

4階になってる。

やっぱり4階。

また3階。

>1620年元和6年、三階から四階建てに「改装」された
なるほど絵の時期によってお城の階数が違うんですね。

大垣戸田氏は九曜紋。
別れを告げて外に出ました。

艮櫓から西へ向かいましょう。

乾櫓ですよ。水之手門跡とも書かれています。

今いるのはこんなところ。

マンホールはお城ではなさそうですが、石垣と水運の船、高いのは櫓でしょうか。


なかなか良い面構えですね。乾櫓、天守、西門と戸田氏鉄像のセット。

戸田氏鉄越しの天守。
我ながら良い構図です(自画自賛)

西門からまた城内へ。

接近して天守を撮影しました。

おあむの松。
おあむさんはここからたらいで脱出でしたというお話ですが……ホンマかいな(笑)
お城を出て、大垣市郷土館に参ります。
大垣城見学チケットで郷土館にも行けるのですよ。

歩いて23分の郷土館。暑い暑い~

これは見事なジオラマです。
さっきのあおむの松、堀の外に出たとしても、まだ城内なんですよね。
そこから包囲網をかいくぐって、城外に向かうのはなかなか大変っぽいです(´・ω・`)
ま、野暮な詮索は止めときましょう。戦国期と江戸期も多分に違いますでしょうし。


戸田家の鎧と刀が幾つか展示されていました。

こちらは関ケ原前哨戦の杭瀬川の戦いが描かれた屏風図です。
右端に大垣城がありますが、ここではお城は3階に描かれているという訳です。

大垣駅に戻る途中、ゆるキャラ発見です。
松尾芭蕉をイメージしたおがきっいとおあむちゃん。
芭蕉は奥の細道の最後に大垣に立ち寄って旅を終え、改めて伊勢へ向かったのです。
私は芭蕉伊賀忍者説が結構好き(笑)
では私も今回の旅を終えて帰りましょう、でわ。