馬鹿琴の旅立ち

独り言を綴っています。主にお城や史跡がメイン。時にはお相手して下さい。

六孫王神社に行ってきました

2026年5月10日六孫王神社に行ってきました。

いや何、先日壷井八幡宮に行って、また昨年多田神社に行ってきましたので、源氏三神社を制覇しようと思いましたのですよ。

場所はこんなトコ。

JR京都駅の西側、新幹線の高架南側という意外な場所なのです。

 

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別に源氏びいきという訳ではありませんけれど、気になる集団ですよね。

実質、平安時代後期以降、つい最近まで歴史を支配(!)していたので、気にならない訳はないのです。

ということで、場所は京都ですので、阪急電車で参ります。

お昼は、阪急線梅田駅構内の早出美味たちまちカレーさん。

前も大覚寺、北野天満宮に行ってきた時に行って以来です。

相変わらず美味しい、普通カレーにソーセージトッピング!!^^

美味しいのですよ!!

 

阪急電車の特急に乗って、烏丸駅で下車、そこからはバスで東寺東門バス停で下車。

東寺の五重塔が良く見えますよ~

東寺の入口を横目に北上、JR新幹線の高架を西へ歩いて、10分くらい。

見えてきました、六孫王神社。

清和源氏発祥の宮と謳っておりますのよ。

南鳥居から入り直します。

ご本殿です。お参りしましょう~

御朱印をいただきました。

境内を散策いたします。

雲井なる 人をはるかに 思ふには わが心さへ そらにこそなれ

 

主祭神の源経基が詠んだ恋歌ですが、この源経基こそ清和天皇第六皇子の貞純親王の子、ということから、六孫王という異名があります。

この人、私的には幸運の人だと思うのです。

 

938年承平8年武蔵介として、武蔵国に赴任、さっそく領国を巡検します。

巡件といえば聞こえは良いのですが、要は土地の豪族に接待してもらったり、賄賂を取ったりすることもあります。

一緒に赴任した武蔵権守興世王(おきよおう)と接待を受けることと略奪巡件を開始すると、足立郡郡司の武蔵武芝(むさしのたけしば)はこれを拒否します。ルール上の問題ですので、これは武蔵武芝が正解なのですが、源経基と興世王は激怒、武芝の家と領土を襲い、収奪を行いました。

武芝は何とか逃げ出して、この調停を……平将門に依頼しました!

今度は将門に恐れをなした源経基と興世王は逃げ出しましたが、興世王は単独で武芝、将門と和睦を行い、源経基は結局、都に逃げてしまいました。

そして都で、平将門、武蔵武芝、興世王が謀反を企ていると報告してしまいます。

この時は将門が申し開きを行い、認められて、将門は許されますが、源経基は逆に讒言の罪で投獄されるのです。

だけれども、この直後、平将門は常陸国の罪人藤原玄明(ふじわらのはるあき)が保護を求めてきたために彼を匿い、とうとう新皇として反旗を翻しました。

このことにより源経基は罪を許されて、将門追討軍の副将軍に任命されてしまいました。更に追討軍が現地に行く前に、平将門は藤原秀郷、平貞盛によって討たれてしまい、反乱は終結してしまったのでした。

続いて藤原純友の討伐に向かいますが、これも小野好古によって、到着前に純友の乱は鎮圧。

子孫は後に武家の棟梁となりますが、皇孫の経基さんは戦う前に大体決着がついてしまい、鎮守府将軍になりました。彼こそ幸運の人ではありませんでしょうか(笑)

戦わずして勝つ人なのです!!

ということで、源経基の子孫がこのお社を建てました。

お庭も綺麗。鯉のぼりが泳いでおりました。

長男、満仲(みつなか)の誕生の産湯に使った井戸のお水が名水となっています。

この満仲は後に多田の庄に赴き、摂津源氏となるのですよ。

弁財天を勧請し、満仲安産の祈願もしている良い父親でもあったんですね(笑)

 東門から見た本殿。

右手のビルは六孫王会館。冠婚葬祭、講演、食事会などいろいろな用途で使われるんだそうです。

 

さあ、そろそろ失礼しましょうか。

源氏三神社を無事に制覇できました、でわ。