2026年2月22日名護屋城に登ってきました。
唐津城の後、約1時間車で走って行きました。
名古屋城は日本100名城の87番目、2回目の探索です^^
場所はこんなトコ。
唐津から結構遠かったです。
文禄・慶長の役の拠点となったところなんです。

11時半到着、しかし駐車場は結構一杯でした。
歴史ファンってこんなに多いのかしら?

名護屋城付近に点在する大名軍団の陣の図。もう多くて大変ですよ(笑)

城址に行く前に、佐賀県立名護屋城博物館に寄っていきます。

あ、済州島のトルハルバン。

まずは御城印。100名城スタンプは取得済みです。

清々しいほどの緑です。お城カードも入手できました。

コーエーテクモゲームス社と組んで陣巡り?
このイラストの大名を見分けるので精一杯(笑)

竹柄の自販機もあるのです。
奥の方に行くと、部将への陣に直接行けるみたいです。行ってみましょう。

木下延俊は秀吉の妻寧々こと髙台院さんの甥です。
後に関ケ原では東軍に属し、豊後日出藩の藩祖となりますよねえ、栗八さん。
このころはどこだろう、お父さんの木下家定と一緒に姫路にいたのかしら。
播磨三木で2万石を領したと資料にありますね。
お猿と猪に注意と書かれています、気をつけて行きましょう。
階段を登ると、もう林の中ですよ。


石塁と玉砂利が残っていますね。

陣地を一周出来るのですが……


お手洗いの跡もありました^^

なるほど。
小身の大名だと思いますので、名護屋へ帯同できたのは、数千人規模或いは数百人かもしれません。
それでも狭い、と思いました。そもそも雪隠もあれだけでは足らないでしょう(-_-;)
必ず誰かのいびきで眼が覚めちゃいそう(´・ω・`)
本当に陣地の手配とか設計した人のことを考えると、夜も眠れなくなっちゃう(笑)
博物館に戻ります。

おお、秀吉の兜じゃありませんか!

安宅船。
いつかの遣唐使船よりは頑丈そう(笑)

奥まった部屋にこの表示がありました。大阪城でも見ましたね。
カーテンをめくると……

じゃーん、黄金の茶室です。
うーむ、この中で茶を振舞われても落ち着かないと思います。詫び感も寂び感もなさそう(笑)
ちなみに常時警備員さんがいますので、気をつけましょう。

名護屋城と部将陣のジオラマ。
できたらお城の中にいたいものです(´・ω・`)

100円の施設維持協力金をお支払いして、名護屋城の方へ参ります。

この3つの石は旗竿石なんですって。


良く石垣を積みましたね、凄い凄い。

大手口跡です。名護屋城の門番みたいな感じ。

大手道を延々と登って行きます。
名だたる部将がここを登って本丸に向かったかと思うと、感動しますよ。

東出丸を眺めることができます。

もはや誰がどこにいるのか分からないほどの陣の数々です。

東出丸、登れそうです。
気を付けながら登りましょう。先ほどおじ様が登る時、覚束ない足取りでした。
思わず心配になってしまうほど(´・ω・`)

私も登って向う側を見下ろしてやりました。ウフフ。

さっき寄りました歴史博物館が遠く見えました^^

石垣が散乱しています。

大手門跡の階段。ガタガタでなかなか歩きにくいですよ。

この辺りはすでに三ノ丸なんです。

なぜか埋められた石垣が発見されています。

本丸の石碑も発見。
この辺りは広く真っ平です。馬でも走れそう。

こんな感じで広いのです。真ん中にも石碑が置いてあります。
で、その先に……

別の石碑。
太閤が 睨みし海の 霞かな
正岡子規の門人、青木月斗さんの句なんですって。

ここが名護屋城の天守跡。

五層もあったのでしょうか、凄いですね。
本当かなあ、本当なんでしょうね。

ここの石碑には、名護屋城天「主」台跡と記されていました。

下を眺めるとかなりの急斜面。

天守台の下には遊撃丸。
武将たちが集まったり、お茶したり、相撲取ったりしたんでしょうか。
それとも陣借りの武将でも集ったのかな。

人がいなくった瞬間を切り取って、天守台の地面を激写。
なかなか大変なんです(笑)

相変わらずたくさんの陣地の図。
海には数々の島があり、対馬、壱岐島をようやく見ることができます。
区別もつきません、太閤が睨んだら分かるんでしょうね。
そろそろ引き返します、もう一つ行きたいところがありますので。
ただいま12時36分。

入口まで戻ってきました。
こちらは名護屋城搦手門だそうで……行きたいけど、時間が……諦めます。
お昼を食べたいのですが食堂は満席でしたので、こちらもNG。
では出ましょうか。

名護屋城オールスターズの面々の見送りを受けて、出発しますよ。
でわ。