2025年12月28日古河城と古河公方館に登ってきました。
ふふふ、年内まだまだ行けました。( ̄ー ̄)ニヤリ
南総里見八犬伝にも出てきました古河、厳密には古河城と古河公方館がありますが、行って参りました。
古河城はこんなトコ。今回は車で挑戦です。
初めて参りました、古河近辺です。

車を古河歴史博物館に停車します。

すぐ近くには長谷観音さんがあります。
長谷?先日、奈良の長谷寺に行きましたが……
何か関連はあるのでしょうか。

初代古河公方足利成氏の勧請!!日本三大長谷寺?!古河城の鬼門仏?
これは関連ありまくりです、もちろん今日の無事を祈願しました。

御朱印をいただきました。

古河歴史博物館は今日はお休みでした(´・ω・`)
どうもこの辺りが昔のお城らしいです。

この付近の古河城の地図。江戸時代古河藩の領地でした。

マンホールは利根川に架かる橋と花火、そして船。

早速史跡を発見。
古河城御茶屋口門址。お城の真東に当たります。
そこから北上すると、

古河藩使者取次所(御馳走番所址)ですって。

ここには今でも蔵が立っております。

お米や物資の集積所であり、お店があった模様です。
今度はまた東に出て、南北に走る日光街道を北へ向かいます。

雪の殿様、土井利位さんのことが知るされています。
時代劇13人の刺客で、明石藩主松平斉韶暗殺を依頼する老中首座がこの人。
実際にはそんなことしていません(笑)
土井利位さんは水野忠邦の後を受けて、幕政改革を図ります。
しかしそれよりも有名なのが雪の研究。雪の結晶を顕微鏡で見て、専門書の雪華図説を表しているのです。
近くまで来たのでJR古河駅を見て行きます。

古河駅を発見。

その近くには高層マンションが建っていました。
昔の芳流閣はこんな感じだったのでしょうか(笑)


駅前には万葉歌碑がありました。
逢はずして 行かば惜しけむ 麻久良我の 許我漕ぐ舟に 君も逢はむかも
もし逢わないでこのまま去ってしまうとしたら、名残惜しいなという意味です。
許我は古河、八犬伝原文でも実は許我と記されています。
さて探索に戻ります。駅前から西へ向かうと……

古賀城下高札場址。
ここにお知らせを掲示していたのですね。見ていると、近くのおじ様が出てきて、
「どっから来なさった」
と質問。
最近良く聞かれるのですよね(笑)
そんなんどうでも良いから早く家に入ってくれ、写真を撮りたいのです~

高札場の向かい側には、お宿があった様です。本陣址。
そのまま西へしばらく歩くと、

河鍋暁斎さんの生家があったそうです。
歌川国芳に入門したり、狩野派にも師事したりして、妖怪などの絵も描いています。
西に向かって歩きますと、篆刻美術館や永井路子さんのお宅がありました。
更に少し入った先には、鳥居と自治会館があり、ひっそりと石碑が置いてあるのです。

古河藩盈科堂(えいかどう)及び教武所の跡。藩校と道場ですかね。
今度は南下。分かりにくい道と格闘しながら進むと、ようやく見つけました。


古河城追手門跡です。
大体歩けるところは見つくしたので、車を回収して、南西部の土塁を見に行きます。

これこれ。獅子ヶ崎の土塁。
んーもっと近づいてみたいのに、行けません(´・ω・`)


かつての古河城三階櫓。どうも1600年代以降のものらしいです。
1910年明治43年渡良瀬川の改修でほぼ城跡は消失、ですって(´・ω・`)

古河城桜門址。
あとお城の西北に頼政神社があるのですが……車を停められずに訪問を断念しました。
源三位頼政を祀っているそうですので、行きたかったです。
そもそも平氏に宇治で負けて戦死した頼政の神社が、関東地方にあるかと言えば、頼政の首を持った従者がここまで落ち延びたらしいのですが……ホンマやろか。
ともかく行けなくて残念です。
次の目的地に参りましょう。
この辺りから南に10分も車で行くと、古河総合公園に到着できます。

たぬきさんの剝製があるのです。

芋ころがし坂!?

これが恐怖の芋も転がる芋ころがし坂!!
背筋も凍る思いです。
ここから坂を転がらずに西へ進むます。すると……

南総里見八犬伝でもお馴染み、第5代鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を殺害、上杉氏とその後ろ盾となった室町幕府と戦います。
結果、鎌倉に戻れなくなった足利成氏が初代古河公方となってしまう訳です。
その居城がここ。

この辺りで足利成氏は犬塚信乃を引見したのでしょうか。あれは物語ですけど(笑)


何となくお城の跡っぽいのですが、自信はありません。

何となく寂し気な古河公方館跡。
それでは移動しましょうか、この付近に面白そうなところがあって、そこに寄って行きます。
でわ。