馬鹿琴の旅立ち

独り言を綴っています。主にお城や史跡がメイン。時にはお相手して下さい。

超意訳:南総里見八犬伝【第三十回 芳流閣の上で信乃が血戦す/坂東太郎の河原に見八は勇を示す】

 さて、夜が明ける頃、近隣の百姓たちや村の長老たちが集まってきて、事の次第を尋ねて騒ぎ立て、ある者は問注所へ訴え出ようとし、またある者は額蔵たちを庇っているうちに、夜はすっかり明け、六月二十日ももう巳の刻(午前10時頃)になってしまった。
 そこへ陣代簸上宮六の弟、簸上社平(ひかみしゃへい)と軍木五倍二の同僚、卒川庵八(いさかわいほはち)たちが、大勢の兵を率いて村長の屋敷にやって来た。百姓に案内させ、書院の上座に床几を立て、まずあちこちの死体を検分し終えると、額蔵たちおよび屋敷中の全ての召使いをすべて呼び集め、ことの顛末を尋ね出した。
 額蔵は答えた。
「主人の命令により、一昨日、下総の栗橋へ出向いたのですが、昨夜、夜が更けて村に帰った時、主人夫婦が討たれたのを見るに忍びず、即座に仇を討ちました。生憎従者たちに邪魔をされ、その上村長の召使いの同僚たちに押し止められたために、軍木殿を討ち漏らしてしまい、この上なく残念です」
 と言った。
 また、浜路や左母二郎たちを追っていた召使いたちは答えた。
「簸上宮六と浜路の婚姻のこと、並びに昨夜の婿入りのこと、また、浜路が昨夜の宵のうちに姿を消したので、それを追い掛けようとして、皆あちこちへ奔走しました。そして、ついに追いつくことができずに帰る途中、門のあたりで、額蔵が血のついた刀を下げて走り出てくるのに出くわしたので、驚いて彼を押しとどめただけです。蟇六夫婦が殺されたことも、また額蔵が陣代殿を害したことも、一切、まったく知りません」
 と言った。
 その時、簸上社平は大きな声を出して、以下の様に言った。

 そうなると、額蔵の申し立ては最初から最後までひどく怪しい。私はすでに事実を把握している。

 額蔵は、亀篠の甥だとか言う犬塚信乃を密かに助けて、主人の娘を盗み出し、さらに引き返して、主人の金銭や着物などを盗み去ろうとした。
 その最中、主人夫婦にとがめられ、やむを得ず蟇六と亀篠を斬り倒して、逃げ去ろうとした折に、私の兄である宮六が、部下の軍木五倍二と共に品川浜へ遠出をした帰りに、たまたま湯を借りようして蟇六の家へ立ち寄った。
 そこで不意打ちを食らって、命を落とし、従者までも害され、五倍二一人が何とか逃げ去った。
 これは五倍二が訴え出た内容であり、真実とするに足る。

 なぜなら、長年、村の戸籍に名前が載っている犬塚信乃が姿を消したのが、第一の不審点だ。また、私の兄の宮六が浜路を娶るなどというのは、極めつけの嘘である。
 なぜかと言えば、陣代という職務は厳格な役人であり、村長は低い身分の職である。この婚姻は身分に相応しくない。まして、ご城主の許可を求めもせずに、婿入りをするなどということはない。
 そればかりか、昨夜、円塚の山中にて、網乾左母二郎たち、すべて四人を斬り殺して、怪しげな札を立てた者がいる。これもまた、信乃か、あるいはこの額蔵めがやったことに違いなく、例の浜路は、左母二郎に害されたと言わせるための、底の深い策略であろう。
 その上、下郎の分際で、陣代を害することは、法において大逆罪に当たる。どうして仇討ちなどということがあろうか。
 私が今、この男を八つ裂きにして、兄の怨みを晴らすことは難しいことではないが、まだ主君のお許しを得ておらず、私的な恨みを晴らすのは筋が通らない。

 従って、兄宮六の亡骸を引き取って納め、かつ、その仇を捕らえるために、卒川殿をお供に連れてきたのだ。

 さあ、早く額蔵めを縛めよ。

 強く命令すると、承りましたと返答の声がすぐに上がり、兵たちが群がったが、額蔵は少しも騒がなかった。
「それはお役人の仰せとも思えません。犬塚信乃は一昨日の明け方、古河へ旅立ちました。それは皆知っています。当座の恥を後ろめたいとお考えか、鷺を烏と仰られても、蟇六夫婦が横死のことは、女中たちも良く知っています。忠義にも貴賤の差別はありません。主人の仇を討ったのに、大逆となされるのであれば、捕縛される訳には参りません。たくさんの証人がおりますのに、ご想像でなさっては感心はいたしません。その言い分は、果たして公けの道理に適っているでしょうか」
 と道理を正しく述べる額蔵の勇敢さに、兵たちは手出しができず、おめおめとして何もできない。
 それを見た卒川庵八は女中たちを並べて、その夜のことを尋ねたが、皆、陣代弟の簸川社平の機嫌を恐れて、なかなか返答ができない。
 数回問われて一二名が太刀の音の恐ろしさに裏門から逃げたので、すべては分かりませんと答える。
 それを聞いた氷川杜平は嘲笑って、
「では、蟇六たちが害されるところを見た者はいないのだな。証人はいないという訳だ。額蔵に厳しく鞭でも打たなければ、真実を吐かないであろう。早く縛り上げるのだ」
 と苛立って大きな声を出した途端のことである。
 縁側の踏み台の下から呻き声がした。どうやら踏み台の下に人がいるらしい。
 そこにいた人々は皆驚きながら、三四人でどうにか助け出してみると、それは蟇六のところの老召使いの背介以外の誰でもない。
 昨夜、軍木五倍二に髪を切られて縁側の下へ転げ落ちてしまい、遂には息絶えたかと思われていたが、今ようやく息を吹き返してかすかに声を上げたのだ。蟇六のところの召使いたちはこの有様に皆驚き、
「昨夜、お主が帰ってこないから、妖怪の野狐にでも化かされたのではないか、とそこいらを探し回ったのだ。どうして傷を負ったのか、ことの理由を申し上げよ。ああ、みっともないことだ」
 と言いながらも、背介を助けて縁側の上に上げた。
 卒川庵八が間近に寄って尋問すると、背介はようやく切り出した。
「昨夜は同僚よりも早く先に帰ったのです。主人夫婦が討たれた時、何も知らずに縁側から書院の障子を開けたところ、軍木五倍二殿に髪を切られて、仰向けのまま落ちてしまいました。そのまま踏み台の下に隠れて、額蔵が仇を討つ様子を良く見ていました。その内に傷が痛みだして、その後のことは覚えていません。ただ簸上殿と軍木殿に主夫婦が討たれたことについては、まったく相違ございません」
 すでにこの証人がいる以上、簸上社平に取っては、今更、嘘だと言い張るのは難しい事態であるはずであった。
 しかし、簸上社平は、卒川庵八に向かって、
「人々は何も知らずにいるのに、ただ一人、背介だけが巻き添えを食らって、争いの一部始終を見聞きしたと言うのは、怪しくないだろうか。真実かどうかは、多くの者の証言によるべきなのに、彼一人を証拠とするのは難しい。察するに、この背介めも額蔵の仲間であろう。その様に思わぬか」
 と言った。
 卒川庵八は異議もなく、
「確かにその通りでございましょう。まず額蔵らを獄に入れて、ことの次第を鎌倉へ報告申し上げ、尉の殿【大石兵衛尉殿を言う。この時鎌倉にいる】のお指図にお任せするべきです」
 と答えた。更に卒川庵八はこんなことを言う。
「ですからここは退いて、家の者たちと相談し、兄上のために恥を雪ぎ、あなた様のために恨みを晴らすことをいたしましょう。ここで是非を論ずるのはなかなか外聞も悪うございます。まずは穏便に退出しましょう」
 と簸上杜平に囁いて、媚びを売り、そしてなだめた。

 こうして簸上杜平は、準備させておいた駕籠に兄の宮六の亡骸を乗せて、従者に家まで運ばせた。また額蔵に手枷を掛け、背介を粗末な手輿に乗せて、百姓たちに運ばせることにした。
 卒川庵八は陣屋の問注所を目指して進むと、兵たちも額蔵を引き立てて、後に従い、先に立って、続々と出て行くのだった。

 さてここで物語は二つに分かれる。
 
 そのころ、犬塚信乃戌孝は十九日の朝早くに、栗橋の宿場で額蔵と袂を分かれてから、すぐに古河に到着した。
 そして城下の町で宿を決めてから、古河公方の屋敷の場所を詳しく調べた。その後は執権横堀史在村(よこほりふひとありむら)の屋敷に行って、氏名と用件を記した名簿を提出した。
 自分と一族の由緒を述べ、亡父犬塚番作の遺訓に従って、昔古河公方の兄君である春王殿から預かっている村雨の宝刀を持って目通りを願っていることを執権横堀の取次役に願い出たのだった。
 待つことしばらくして、横堀在村が出てきて対面をし、信乃の父祖の由緒と軍功を改めて糾明した。
「御所様(足利成氏を言う)が鎌倉におわしたころ、お父上足利持氏殿の旧臣、結城にて討死にした者を子孫すべてお召しになった。その時、番作は来なかった。宝刀の披露もなかったのは一体どういう訳か」
 と詰問すると、信乃は親の番作が深手を負ってとうとう廃人になってしまったこと、また伯母の夫である大塚蟇六のことを告げて、遅参の理由を述べた。その態度はあくまでさわやかであり、また敢えて伯母夫婦の邪悪なる所業については触れなかった。ただ亡父の義気だけを述べたのだ。
 言葉数は少なかったが、話の筋は良く通り、しかし要点をまとめて話したので、疑わしい点は特にない。聞いていた横堀在村もその振舞いに驚いて、実は内心ではこの者を厄介払いしたいとは思うものの、安易に断るべきではないと考えて、しばらく考えた後に口を開いた。
「今言われた由緒がその通りで、お持ちになられた宝刀に間違いがないようであれば、まずは重臣たちと相談した上で、近いうちに御所様へお話をいたそう。宿に戻られてお待ちになるが良い」
 横堀在村がそう言うと、信乃は、ようやく安堵した。信乃は承諾して、やがて宿屋へ戻ったところには、日はすでに暮れていた。

 そして次の日の朝早く、信乃はふと思った。

 村雨は名刀なのだから、亡くなった父が長年、これを大きな竹筒に収めて家の梁に掛けていた時でさえも、少しも錆びることはなかった。
 父上が亡くなられてからは、私も長年腰に帯び、枕元に立てて、ただ盗難に遭わないようにとばかり考えていただけで、一度も刀を抜いて試したことがなかった。
 とは言え、今まさに古河公方様へ献上しようという時に、刃の埃すら拭わないというのは、心構えが出来ていない様に思われてしまう。
 それに、この旅先の退屈しのぎにちょうど良い手慰みになるだろう。

 そう考え、周りに誰もいないのを見計らって、そっと障子を閉め、床柱のそばに座った。
 信乃は、刀を左手にとって、まず柄巻の糸の埃を払い、静かに鞘を拭き、そして刀を抜き取って刃を見たところ、それは果たして村雨ではなかった。

 どうしたことかと驚きながら、また気を取り直して刀を良く見ると、長さこそ同じだが焼き刃の刃文がまったく違う。思い掛けないことに信乃の胸は騒ぎ出した。
 良く思い出してみると、信乃はこの太刀を片時もそばから遠ざけたことがなく、また腰に帯びなかった日もなく、どうすればすり替えることができるのだろうと考えた。

 唯一思い当たったのが、神宮川の船中のみ、村長の蟇六が網につられて水中に落ちた時である。信乃を殺害しようするだけではなく、網乾左母二郎と企んでいたのだろう。
 信乃が村長を助けようと続いて水中に入った時、左母二郎は独り船にいた。その時にすり替えたに違いない。
 網乾左母二郎の人となりは、遊芸や歌曲は得意の様だが、武器には暗いと日ごろから思っていたので、油断して、その時刃を抜いて確かめようとはしなかった。しかも夜中のことで、村長の入水を救うことだけを考えて、取り替えなど疑いもしなかった。
 あの晩から昨日まで、自分の身の進退だけを考えて、他のことを顧みる暇すらなかったので、ことがここに及んでしまったのだ。前門の虎を防いではみたものの、後門から狼が進んでいたのを知らなかったのは、自分のことながら愚かとしか言えない。

 すでに宝刀村雨を失っているので、私は父に対して不孝の子であり、古河公方様にとっては不忠の臣になってしまう。一体どうしたら良いのか。

 と考え、怒った眼光は凄まじく、偽物の刀を投げ捨てて、はらわたがちぎれる様な激しい遺恨と後悔に襲われたが、今はどうすることもできることができない。
 どうしようもないので、刃を鞘に納めて、何度かため息を吐いた。今となれば、この宝刀が贋物であったことに気づかなかった日々は、もういかんともしがたい。今それを知りながら、古河殿のお召しを待つということは、また身分の高い方を偽ることになってしまう。

 早く申し出を行おうとして、櫛を取り出して髪を整え、袴の紐を結び直し、大小の刀を腰につけ、出掛けようとした時のことである。
 古河の城から、執権横堀在村の使いがやって来たのだ。
 信乃は不安になりながらも、対面してみると、使いは横堀に仕える二人の若い家来であった。召使いに運ばせた柳の細枝を編んだ柳筥(やないばこ)から一着の衣装を取り出させ、それを信乃に進めて言うには、
「この度献上される宝刀の件で、本日、重臣たち全員の検分を経て、公方様がお目通りになる予定ですので、すぐに登城して下さい。つきましては、着替えの服一着を賜ります。横堀殿のご指示により、お迎えに参りました。どうぞ急いでお出かけ下さい」
 信乃はこれを聞いて承諾し、
「仰せの旨、確かに承りました。実は私もまた申し上げるべきことがございますので、ちょうど横堀殿のもとへ参上しようと宿を出ようとしていたところです。ただ、少々思うところがありますので、賜った着物はしばらく預けておきましょう。さあ、ご案内をお願いいたします」
 と声を掛けて、慌ただしく走り出したので、使いの若い家来や召使いたちは、信乃の行動が理解できずに戸惑いながらも、息を切らしながら従うしかなかった。

 急いで進んだので、すぐに犬塚信乃は横堀在村の屋敷に行き、主への訪問を頼んだが、当の本人は早くも城へ登城しており、不在であった。
 どうすることもできないまま、横堀の若い家来に連れられて、信乃は城内に入った。もう衣装を替えなければならないと公方に対して不敬になると考えて、建物内の一画で礼服に改めた。ここからは取次の役人に案内されて、侍たちの詰の間に入ったが、辺りの警戒が厳重であり、横堀在村の居場所は分からなかった。
 そのため、信乃は宝刀村雨の紛失の件を訴えることができず、いよいよ心苦しくなるのだった。

 しばらくすると、取次ぎの役人たちが、再び信乃を案内して、瀧見(たきみ)の間へ連れていった。
 上座には青い御簾が垂れており、足利成氏の席が用意されている。その下座には、横堀史在村やその他の老臣たちが控えて座っている。左右には、数多くの側近たちが居並んでいた。
 また廊下の辺りには防具を身に着けた武士が数十人、重々しく並んで非常の事態に備えて、静粛に並んでいる。その姿は立派に見えた。

 すでに古河公方の足利成氏は着座しているが、まだ御簾が上がることはなかった。その時、横堀在村は遥か向うの信乃に向かって、
「結城の城にて戦没された旧臣、大塚匠作三戌の孫、犬塚信乃。そなたの亡父番作の遺言に従って、当足利家の重宝、村雨の刀を献上すること、公方様におかれては神妙に思し召しである。まずは我々重臣が拝見いたすゆえ、太刀を持って参れ」
 そう言われて、信乃は一生の一大事と思ったが、決して騒がず頭をもたげて、
「はい。実は、例の宝刀は、長年の間、盗み取ろうと隙をうかがう者がおりました。今朝になって、ふと刀の刃を拭こうと抜いて見たところ、嘆かわしいことに、元の村雨ではなくなっており、いつの間にかすり替えられておりました。予期せぬ出来事でしたので、驚くと同時に悔やみ、どんなに後悔しても今はどうすることもできません。つきましては、すぐにこの事情を訴え申し上げようと思って参上しようとした折に、お使いの方がお越しになりました。自分の至らなさが恥ずかしくて耐えられませんが、宝刀の献上ができません」
 信乃は声を振るって続けた。
「どうか数日間の猶予をいただきまして、失われた宝刀を捜索させていただければ、取り戻してみせます。このこと、心よりお願い申し上げます」
 と言うが早いか横堀在村は怒った声で、
「それは甚だしき失策であるぞ。失くしたという証拠はあるのか、どうだ」
 と大きな声で責め立てるが、信乃は少しも臆せずに、
「お疑いはもっともでございます。詰めの間に置いてございます私の持参した刀をお手に取られてご覧下さい。刃こそ村雨ではございませんが、刀の鍔も目貫も柄も、そのこしらえは元のままです。これこそすり替えられた証でございます」
 しかし横堀在村は嘲笑って、
「嘉吉の結城の戦いから今に至るまでの間、早くも四十年ほど経っている、六七十の老人でなければ良く知っている者などいない。ただその証とすべきものは、刀身から発する水気のである。思うに貴様は敵方の間諜に間違いない、者ども、早く生け捕るのだ」
 と苛立った口調で言うと、廊下に並んでいた数多くの武士が争う様に群がった。
 信乃は、横堀在村がむやみやたらに権力をふるって、賞罰を欲しいままにして、家中を率いる器量がないことを知った。このままおめおめと捕まることがあれば、最後は彼の手に掛かって死んでしまうと思った。
 ここは逃げるべきだとと考え、組もうとする武士たちを右に組み、左に投げ、後ろに立つ者がいれば蹴倒した。飛鳥の様に身体を動かして、近くには誰も近づけようとはしなかった。

 御簾の中でこれを見ていた足利成氏は、性格が苛烈で激しい短慮の公方であったため、座っていた敷物を蹴り出して身を起こした。あれを討ち止めよ、と直に命令を下したので、更に数多くの近臣が承知したと叫んで、それぞれの刀を抜き放った。
 隙間もなく斬りかかる白刃の下を搔いくぐって、信乃は畳を蹴り上げて、それを盾として刀を防いだ。隙を見つけて、一目散に進んで来た武士の一人に飛び掛かり、刃を奪って斬り倒した。
 更に四方八方に刀を払い、十数人に傷を負わせて、八九人を切り伏せ、広い庭に飛び出した。軒端の松を伝って、ひらりと屋根に飛び乗ると、ある者は槍を突き上げてきたが、柄の蛭巻から切り落とされしまい、屋根に登って来たは良いが、信乃に深手を負わされて、雪崩の様に転げて落ちていく者が多かった。
 僅かな間の戦いであったが、多勢で寄せてもその甲斐はなく、信乃一人に斬り立てられて倒れる者ばかりである。その流れた血は、古代中国において黄帝が軍神蚩尤を倒したという涿鹿の野を浸すほどであり、死体は同じく古代中国の殷が周に滅ぼされた朝歌の地の様に幾つも重なっていた。
 さすがの信乃も軽い傷を負ってはいたが、流れる血潮をすすって自分の咽喉を潤し、屋根から屋根へと登っていって、逃げ出すべき道筋を考えていると、城塞の物見櫓と思われる三階建ての立派な楼閣を見つけた。

 これこそが遠くからの敵を見つけるために建てられて建物で、芳流閣(ほうりゅうかく)と名づけられている。信乃は脱出するための道を探そうとして、何とかしがみついてよじ登った。
 城の外を取り囲む外堀は見渡す限り広々とした大河であり、流れが楼閣の真下に引き入れられており、水際には早船が繋ぎ止められている。これは世間では坂東太郎と呼ばれて、関八州第一の大河、利根川である。下流は、葛飾の行徳の港から大きな海へと流れ込む重要な場所だ。
 更に背後を見返すと、城の広い庭やあちこちの城戸には数百の士卒がたむろしており、信乃を狙おうと弓を構えているのが見えた。
 とうとう進退が極まったと信乃は考えて、良い敵がいれば登って来ればよい、組み合って討ち死にしてやろうとしか考えられなかった。

 その間にも公方の足利成氏は数多くの士卒で討たせようと思うものの、一向にはかばかしくないので、ますます怒って部下を集めて、
「信乃を捕まえた者には、褒美として千貫文を加増してやるぞ」
 と触れを出したものの、皆、信乃の武芸に恐れをなして、誰も受けようという者はいなかった。
 その時執権の横堀在村が足利成氏に言った。
「監獄の役人の犬飼見八信道(いぬかいけんはちのぶみち)は、お取立ての職を固く辞退し、あまつさえ暇乞いを強く望んだ罪状により、数か月前から牢屋に入れられています。犬飼は故人の二階松山城介(にかいまつやましろのすけ)の武芸の免許皆伝を得た高弟であり、更に申上げますと捕物術、柔術は我が古河においては、並ぶ者のいない強者です。その罪を減じて、あの信乃を捕えさせてはいかがでしょう。もし上手くいけば、犬飼の死罪を許してやりましょう。また信乃に討たれるのであれば、惜しくはありません。この策はいかがでしょう」
 と、真剣な顔をして進言すると足利成氏はうなづいて、
「お前の意見が非常に良い。すぐに、いますぐに実行せよ」
 言われた横堀在村は時を移さず、すぐに犬飼見八を獄舎から引き出させて、その縛めを解いてやり、君命を伝えた。そして太刀、鎧、籠手、脛当て、十手を与えると、犬飼見八は断る様子もなく、謹んでただ頭を下げて了承するのだった。ただ静かに鎧を着込み、捕らわれの身ですくんでいた足を伸ばし、そして足踏みを数回試みた。
 頃は良しと横堀在村の方を一瞥すると、三間梯子(約6メートル)を走り登っていく。その姿はまるで猿が木の梢を伝う様であった。

 

【君命によつて犬飼見八、犬塚信乃を搦め捕らんとす】

 

上が信乃、下から登っていくのが今回初登場の見八。

信乃ちゃん、高く昇り過ぎ(笑)それにしても落ちていく侍ちゃん、可哀想(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル】

 

 幾重にも連なった庇の向こうから、芳流閣の一番高いところの屋根に血で濡れた刀を引っ提げて立つ信乃の姿を見つめて、犬飼見八は少しも迷わず、恐れもしなかった。雲をも凌ごうという楼閣の甍を踏み進んでいくと、足利成氏は横堀在村たち重臣や近習の武士を引き連れて、庭に床几を立てさせて、勇士の姿を仰ぎ見つめた。
 古河の主従は、誰もが犬飼見八の手柄になると信じているのである。

 さてこの犬塚信乃と犬飼見八の両雄の勝負は、どうなりますことやら。
 それは次の回になり、巻を変えて、次の第四集の初めに明らかにすることとしましょう。
 まずは挿絵をご覧いただき、余韻を味わい下さい。

 

歌川国芳の描いた八犬伝内芳流閣。

多分後付けで歌川国芳さんが描いた一枚。

色つきで綺麗なので載せてしまいました。

右下の見八さん、十手を口に咥えています。いかにも強そう。

下からやって来る古河の武士たちは、捕物の御用だ、御用だ系な感じがしますね。

 

里見八犬伝第三集巻之五 第三十回 終

編述 曲亭馬琴 稿本【乾坤一草亭】
清書 千形仲道 謄写(書き写し)【中蹊】
挿絵 柳川重信 絵画【柳川】
校正 中村喜作

家傳神女湯 一包代百銅 婦人病全般の良薬であり、特に産前産後の月経・出産などによる体調不良に用いれば、その効能は神の様である。また、打ち身にも良く、傷、怪我の急変を救うことができる。詳しいことは包み紙に記してある

精製奇応丸 偽薬を取り除き、本物を選び、家伝の調合によって、分量は全て決まりに従い、製造方法を特に慎重に行っている。このため、その効能は神の様である。別に詳しい説明書があるが、ここでは省略する

大包 二百余粒入り、代金は二朱
中包 三十六粒入り、代金は一匁五分
小包 十一粒入り、代金は五分

婦人生理痛の妙薬 毎月の生理痛に苦しむ人に即効性がある。また、産後のおりものや腹痛や下痢などにも良い

一包の代金は六十四銅銭
半包の代金は三十二銅銭

製薬元 江戸元飯田町中坂下南側四方みそ店の向かい。滝沢氏製 [乾坤一草亭]
同家出張所 昌平橋通神田明神石坂下同朋町東新道 滝沢宗伯
取次所 江戸芝神明前 いつみや市兵衛 大坂心斎橋筋唐物町 かはちや太介
著作堂随筆 玄同放言 三巻 天地ノ部、草木ノ部、人事ノ部の上まで出版済み 全九冊

〇著作堂新編略目 江戸の書店 山青堂蔵版
江戸著作堂主人編集 越後雪譜 大本全六巻 越後塩沢の鈴木牧之考訂 近々出版
この書は、越後北部の冬から春にかけての大雪の珍しい光景、なだれ、吹雪、倒れた家屋の様子、ソリ・かんじき・スカリ(魚籠)・スンペイ(すんべ:藁で編んだ雪靴)などの図解、霊山、名所、珍しい魚や怪獣、年中行事など、漏れなく絵図に表した、非常に貴重な書物である

 

朝夷巡島記 初編・二編・三編まで出版 各編それぞれ全五冊 第四編五冊は、来年卯の年冬十二月に引き続いて出版 歌川豊広画

里見八犬伝 第四輯 全五冊 来年の卯の年の冬十二月に売り出し予定

犬夷評判記 横に細長くとじた書籍三冊 八犬伝の初編、二編、巡島記初編の評判が大変良いため随筆を記す、非常に面白い読み物

美濃旧衣八丈綺談 全五冊 絵入りの読本で、古今無双の因果話

1819年文政二年己卯/正月吉日 発刊

刊行書店
大坂 心斎橋筋唐物町 河内屋太助/江戸 馬喰町三丁目 若林清兵衛/江戸本所松坂町二丁目 平林庄五郎/筋違御門外 神田平永町 山崎平八

 

(続くかも……)