2025年8月30日春日大社に行って、究極の国宝大鎧展を見てきました。
春日大社はこんなトコにあります。
展覧会の内容はこんな感じ。
先週の九州のお城巡りの疲れがまだあったので、お昼過ぎにJR奈良駅着にしました。
近鉄奈良駅は観光客が多過ぎなので、最近はもっぱらJR奈良駅から行くことを好んでおります。

JR奈良駅1階の三条坊さんでお昼を食べます。

私が頼んだのは鶏天うどんの冷。
お値段はこのご時世で、私の財布と地球に優しい760円。
鶏天大好きです!!
食後はバスに飛び乗って、春日大社表参道で下車です。東大寺大仏殿と同じバス停でもあります。ICカードが使えて250円。
ほとんどの方々は東大寺に行くので、春日大社方面は少な……くは決してありませんでした。
奈良2回目、2日目の外国人観光客がとにかく多いのです。
かくいう私は春日大社初めてです、楽しみ~

油断していると鹿がヌッと現れます、本当にヌーッと。

何だか英語の文字は鳥居に合わない気がしますが。

鹿の大集会!!

お前、餌ないの?的な鹿さん。

灯籠の前で待ち伏せする鹿さん。

神鹿が見守っているんですよ、何たって神の使いですからね。

一之鳥居です。

立札の通り、参拝者はまず伏鹿手水所でお清めをします。

そして祓戸神社で更に清浄にしてから、本殿にお参りしますのです。

世界遺産の春日大社なのです。ではお参りしましょう。

鹿が現れた!
通せんぼしています。華麗に横を通って避けていきます。

神様が現れたという出現石。こんなものもあるんですね。

南門から入ります。朱が眩しい感じでした。

たくさんある灯籠と朱の柱が素敵です。

受付をして700円の参拝料をお納めします。
無料でも遥拝所から参拝することができます。

徳川5代将軍綱吉の生母、桂昌院奉納の灯篭ですって。


金ぴかの灯篭もあるんです。

灯籠の数が多くてビックリします。
平安時代から数えて3000基もあるんですって。

みかさやまうぎぐものみねの遥拝所だそうです。

ふむふむ。
武甕槌命(たけみかづきのみこと)が白鹿の背に乗って天から降られたそうです。
お参りいたしましょう。

戻る途中、金ぴかの灯篭を見たら、鹿と藤が描かれているのを発見しました。

1600年慶長5年と直江山城守息女敬白とあり、実は関ケ原に敗北した直江兼続奉納の灯篭と言われています。
確かに直江山城守兼続には娘の於松ちゃんがいますが、関ケ原時15歳。
直江兼続の名を伏せて奉納されたのではないか、と言われています。

こちらは1598年慶長3年備前中納言秀家とありますから、宇喜多秀家です。

こちらは将軍様御為祈禱也藤堂和泉守、1609年慶長14年とあります。
皆大好き、築城名人の藤堂高虎。
関ケ原以降の奉納です。

館林宰相正三位源綱吉卿、室とあります。
徳川綱吉さんご夫婦。
本殿でお参りした後奥に向かいます。

八雷神社他たくさんの社がありました。

万灯籠を再現してるんですって。入ってみましょうね。

おう、神秘的!!
でも実は奥行き5メートルもないのです(笑)
それでも厳かな気持ちになりました。

気持ちも晴れやかに涼し気になりました。

お参りした時は撮影できませんでしたが、離れたところから撮影できました。
本殿はこんな感じですよ。

御朱印をいただきました。

藤棚とミスト噴射装置。

春日大社の竃、台所。

酒殿。今でもお神酒を作っているそうです。
本殿を大体回ったので、今度は宝物殿の方へ行ってみましょう。

木が凄いことになっています!!

雄鹿同士が戦った瞬間をパシャリ!!戦いは引き分けでした。

モンスタハンターとコラボした大鎧展。
Japanese Gorgeous Armors とか The Elegance of the SAMURAI とか外国人向けのキャッチになっていますね。

神官さんも水を巻くほどの暑さ。ここが国宝殿です。

モンハンの可愛いアシスタントのアイルーたちもこんにちわ。
鹿軍団も顔を覗かせています。

楽しみになってきました。

これでもモンスターハンターワールド:アイスボーンは一応クリアしました。
最近はとんとアクセスしてませんね。


全国から鎧集結中!!
今回の私的な目玉は赤丸で囲った自天王の兜です。
では中に。


屋島合戦図。佐藤継信さん戦死です。


燦然と輝く赤糸威大鎧竹虎雀飾(あかいとおどしおおよろいたけとらすずめかざり)。


可愛い虎ちゃん。多分加藤清正以外誰も日本人は虎を知らなかったのでは?

舞楽太平楽の装束。

巨大過ぎる太鼓。上の飾りは太陽でしょうか。

アイルーがあざとく手を振っております。
ここから2階に上がりますが、残念ながら撮影禁止。
鎧を幾つか見てため息を吐きました。
楠木正成の黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)が見れて安心。
更に数日間展示の重要文化財縹糸威筋兜(はなだいとおどしすじかぶと)、自天王のご遺品と伝わります。

宝物館外のパネルに兜の写真があったので、許可を得て撮りました。
自天王、おいたわしいことです。
事件は南北朝統一後に起きます。
南北交互の即位を破棄して約束を守らないことに憤慨した南朝残党、いわゆる後南朝の人達が蜂起したのです。
6代将軍足利義教が嘉吉の乱で赤松満祐に殺されて、一応赤松満祐を滅ぼしたものの、また7代将軍義勝が幼少のまま亡くなったため、幕府は混乱していました。
1443年嘉吉3年、神泉苑に集まった後南朝一派は300人ほどで、御所に侵入、草薙剣と八尺瓊勾玉を奪取してしまったのです。
後に草薙剣は清水寺で見つかり、室町幕府は回収に成功、後南朝一派も比叡山に逃げ込んだので追討し、ほぼ全滅させました。
ところが八尺瓊勾玉だけは行方不明となり、後南朝は吉野の奥に持ち去ったのです。これを禁闕の変と呼びます。
約15年間八尺瓊勾玉は南朝が持っていたのですが、恐ろしい事件が起きます。
1457年長禄元年、赤松家の遺臣らが赤松家再興の名のもとに吉野を急襲、後南朝の皇胤とされる自天王と忠義王の兄弟を殺害し、八尺瓊勾玉を奪取したのです。
吉野の郷士たちは兄弟の首と八尺瓊勾玉を奪い返しますが、赤松家遺臣は簡単に諦めたりはしません。
1458年長慶2年、赤松家遺臣が再度侵入し、今度こそ都に八尺瓊勾玉を持ち帰ることに成功し、赤松家再興を果たすのです。
再興された赤松家からは後に龍野城や竹田城の城主になった者もいるんですよ。
しかし後南朝も旗印の兄弟の命はもちろん、神器を奪われてしまうとは!!
ミッションインポッシブルを達成した赤松家遺臣が凄かったのでしょうねえ。忍者も加わってそうな感じ。
これが長禄の変。
今回展示されたのは、兄の自天王の兜です。これまた怨念の籠った特級呪術品と言えましょう。
今でも吉野の川上村では年に一回お慰めの朝拝式を執り行っているそうです。

ハイ、間近に見てきましたよ。
1時間で春日大社を見て回り、1時間で大鎧展に費やしました。
まだ14時過ぎですが戻りましょうか。
春日大社の参道口に行くと、都合よくJR奈良駅行きバスが来てくれました。

鹿に注意なのです。奥には人力車も。
この後どうしましょうか。考えながら奈良駅に向かいますよ、でわ。