2025年8月9日掛川城に登ってきました。
ここも3回目ですね。こちらは日本100名城の42番目なのですよ。
場所は駅近でこんなトコ。
高天神城からバスで戻って駅前で食事をして、掛川城へ向かいますよ。

マンホールは、おお、掛川城でした。

歩いて10分もせずにお城がこんにちわ!

平山城は楽ちんで楽しいです(笑)
たまには良いですよね。

うわーい、門越しの天守、素晴らしいじゃないですか。
これで青空なら言うことないのですが。

左にちょこっと見えるのは太鼓櫓。

こちらでも三日月堀があるのです。

美しいお城ですねえ、ため息が出ますです。

まずは二の丸御殿へ行きましょう。
うぃ~また階段です(´・ω・`)

銀杏の形の石垣があるそうですが、分かります?
結構難問ですよね。正解は私にも分かりません(笑)

御殿でお城カードGET、ミッションクリアしました。

水戸城でも見掛けた灰治郎君。
そうか無限城ですから、お城にはたくさんいる訳なんですね!!

吹き抜けの良い御殿です。

縁側から見えた掛川城。優美な姿をしておりますね。

釘隠しに太田家の桔梗紋がついていました。
この太田家は太田道灌の子孫なんですって!!


竹灯りがたくさん展示していました。


この通り1746年延享3年から太田氏が城主です。
一般的イメージは山内一豊……あれ、他が思いつきません、分からないや(笑)
他にも太田氏伝来の甲冑が展示されており、提供者は俳優の杉良太郎さんでした。
あの人物凄い方ですね。他にもボランティアに精を出されて立派なお方。
大災害では真っ先に炊き出しをされて、駆けつけた報道陣に、
「杉さん、売名行為ですか?」
などと失礼なことを言われたのに、笑って、
「ええ、売名ですよ、皆さんもおやりになれば良い」
……こんな切替えし、痛快ですらあるのですよ。さすが遠山の金さん!!

お城名物ジオラマですね。
御殿を出ます。ちなみに四大御殿のあるお城は、二条城、川越城、高知城、そして掛川城。
佐賀城、丹波篠山城などは違うのでしょうかね。

黒土塁と呼ぶんですって。

御殿を出て裏から回ると、二の丸茶室なんてものがあります。
お庭だけ覗きましょうか。


桔梗が寂しげに咲いていました。改めて天守に向かいます。

門から入ります。

分厚い石垣は私の好物。しかし整い過ぎな予感。

ゆるキャン△メンバーズが本丸付近で大歓迎してくれます。

太鼓櫓を見上げました。

白い掛川城。右下から登っていきます。

よいしょよいしょ。
ここから見ると美しいですよ。

城門越しの天守も最高。晴れてると良いのに(´・ω・`)

見下ろすと、太鼓櫓をより望むことができます。

いよいよ天守内へ入ります。意外と小振りでしょ。

霧吹きの井戸。岩村城でも霧を出す井戸を見た様な気がします。

ちょっと失礼して天守の裏側を拝見。

1854年嘉永7年の大地震で本来の天守は倒壊したんですって。
あれって安政の大地震でもあるんですよね。
さてお城の中に入りますが、事件が起きていました。
小学生くらいのお嬢さんが日射病か熱中症でダウンされており、お母さんや受付の方の介抱を受けていました。
お城探索は楽しいですが、体調管理に気をつけないといけない、と切に思いました。
お嬢さん、お大事に。皆さんも、私も。

きれいなお城内部。山内一豊騎馬像がチラと見えております。

結構な急階段、現存天守もかくや、です。


狭間の数が多い(笑)

鯱くん鎮座。

またもや急階段。

ここの踊り場には武者隠しがありましたよ。
ずっと待ってここで控えるのも辛そう。

ここを登ると最上階。

擬宝珠の向こうに富士山はやっぱり見えず。



こんな風にずっと山内一豊の奥さんの千代さん話が延々と記されており、きっとあの世では一豊も苦笑いをしているのでは?
高知城でも郡上八幡城でも千代さんのことばっかり。
小田原攻めくらいまではそこそこ武勲があるはずなのに、少し可哀そう。
あ、関ケ原の小山評定でも大活躍しましたね。
「内府殿、我が城を明け渡すゆえ、存分にお使い下されよ」
とか何とか。

掛川城に別れを告げて、帰りましょうか。
どこか涼しいところで水分取って、休みましょう、でわ。